私の読書法

         「私の読書法」
                     宮沢俊義 編

 中学校(東京府立第四)の何年だったか忘れたが、たぶん三年くらいのことだった。受け持ちの先生がひるめしの後でいろいろな本をもってきて読んで聞かせてくれた。その中に本の読み方についての本があった。著者の名も、題名もすっかり忘れてしまったが、ただひとつだけ今でもおぼえている。その本の著者は、本を読む心得として、どんな本でもはじめの100ペエジをていねいに読め、と説いていた。はじめの100ペエジをていねいに読むとそれから先がよく分かるからそうしろ、というのか、それともはじめの100ペエジだけていねいに読めば、その先はどうでもいい、というのか、そのへんはおぼえていない。先生が読んで聞かせてくれた本だというところからいって、おそらくどんなむずかしい本でもはじめの100ペエジをていねいによ読むと、それから先は容易に分かる、という趣旨だつたのではないかと推測される。
  私が本の読み方--読書法--について自分で考えたのは、このときが初めてであった。私には、はじめの100ペエジだけていねいに読め、という教訓は、非常に実際に役にたつようにおもわれた。当時の私は、新しい本を買ってきたまま読まなかったり、数ペエジ読みはじめて、中止してしまったり、・・・・・という悪いくせをすでに身につけていたから、みずから省みて、どんな本でもはじめの100ペエジはていねいに読め、というのは、読書法としてきわめて実際上有用だ、と心ひそかに感心した。
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※ この文章を読んで、私も参考になった。それ以来、どんなにつまらないと思った本でも、100ページは読むことにした。最初つまらないと感ずると案外当たっているもので、最後までつまらないものもある。つまらない本を購入した時と美味しくない料理を注文してしまった時は、お金を返却してくれと言いたくなる。やはり、何百年という風雪に耐えたものには価値がある。
               平成27年3月24日 記   



         「私の読書法」
                          杉浦明平 編

 第一に、わたしは毎月1万ページ以上を読む義務を自分に課することにした。
(中略)
 もちろん、そういうむりじいされた1万ページは、それに相応したなげかわしい結果をももたらす。といのは第一に、わたしは、この義務を果たすために雑誌を読むことを犠牲にしなければならない。
 (中略)
 第二に、さらに、一段と慨嘆すべき事態が発生しないわけにはゆかぬ。なぜかなら、じつは月1万ページというのは、まさに近視から遠視に移行しようとするこの年になっては、必ずしもそれほど容易なわざではないから。とくに旅行したり、選挙でもあったら、ああ、である。月末も近づくのにあと4、5千ページも義務が残っている。
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※切羽詰まると悲惨な結果になるのは何事も同じだ。ちなみに「切羽」は、日本刀の一部である。
              平成27年3月23日 記   



         「私の読書法」
                       蔵原惟人 編

  さて私の読書法ということだが、私は何もはじめから一貫した読書法などというものをもっていたわけではない。その時々の条件とその時々の必要と興味におうじて本を読んできたわけだが、そのうちに自然に自分の読み方が出来ているのに気がつく。
 若いころは私も、多くの人がそうであるように、乱読した。乱読という言葉はだいたいあまりよくない意味に使われているが、私はかならずしもそうは思わない。乱読という言葉が悪ければ多読といいかえてもよい。広く色々の本を読むということ、それもかならずしも一定の計画に従わずに興味のおもむくままに読むということは、時には必要であると思う。ことに若いときは知識欲も盛んで、吸収力も強いのだから、色々の問題に興味をもち、色々の本を読みたくなるのは当然である。それを無理におさえてはじめから読書の範囲を限定しようとすると、どうしてもせまい視野と教養の人間ができてしまう。
 乱読いっても、広く読んでいるうちに次第に眼もたかくなり、自分の興味もうつってきて、自然に書物を選ぶようになってくる。
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※ やはり、読書にどっぷりつかる時期がなければならない。そして、自分を磨き、知識を得、確かな思考力や判断力の基にしたい。
               平成27年3月22日 記   



         「私の読書法」
                       中村光夫 編

 しかし書物に対するときは、正直さを持たなければ、読書という行為そのものが意味を失うのです。むろんこの場合は正直といっても自分自身に対するもので、つまりはそのとき感じたことについて、自分自身をいつわるなということですが、こんな簡単なことがむずかしいのは、誰しも経験するところでしょう。
 その一番の理由は、読書が現代ではいつも流行に支配される集団的行動のようなものになっているからです。僕らが本を読む動機は多くの場合それについて人々と話す必要から、あるいは読まぬと時勢に遅れるという顧慮からの場合が大部分ですが、こういう場合にある書物について人々と違った意見を持ったとき、それを発表しておし通すには、よほどの勇気と自信を要します。それでいつのまにか周囲の意見に同化されて、自分の感覚を捨ててしまうのが、僕らの群居生活の本能ではむしろ自然なのですが、これが読書の本質から見れば、ほとんど自殺的な所業であるのは、これまで述べたところからも明らかでしょう。
 むろん僕は読書にさいして、友人の刺激や先輩の導きをすべて有害だというのではありません。しかしそういうものはすべて、著者と読者との書物を通じての一対一の対話のなかだちをするだけであり、どこまで話ができるかは、読者の地力をまつほかはないし、その場合度のすぎた干渉は、読者が自分自身であることを妨げて、読者の意味を殺してしまうというのです。
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※「風俗小説論」「二葉亭四迷伝」「小説入門」などの著作がある中村光夫らしい読書感である。風貌は茫洋としていたが、その評論には切れ味鋭いものがあった。
             平成27年3月20日 記   



         「私の読書法」
                     松方三郎 編

 ところがそういう意志薄弱な人間に救いの手をさしのべた人がいるのだから有難い話だ。当の御本尊はそんなことは忘れてしまわれているに相違ないが、「本というものは読まないでもいいんだ。積んでおくだけでも立派に値打がある」という、結構な話だ。この言葉は大分こっちの都合のいいように換骨奪胎(かんこつだったい)されている傾きがあるが、出所は鈴木大拙先生である。
 ぼくたちは大拙先生には、中学生の青二才時代から迷惑をかけてきたのだが、先生が尋常の英語教師でないことは、いかに青二才といえどもわかっていたから、このことばは今だに忘れていない。先生の言葉を少し補足すると、本というものは、部屋に重ねておくと自然に一つの香りがそこから立ちのぼってくるのだ。そしてそれを呼吸していることが大切なことだ、というようなものだった。そして先生は事実、それを実行して来られたようにも見える。
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※この「私の読書法」(岩波新書)は、20名の著名な人物の読書法を編集したもので、それぞれに個性があって、とても面白く読める。本の中から、「1973年(昭和48年)11月29日」と書かれたメモ用紙が出てきた。思い出せば、高校の時に国語の先生が、「こんな本があって面白い。」というようなことを話されたのを覚えていて、後日購入したものだった。そのように各時代の先生方から、有形無形の影響を受けていたのだと改めて考えさせられる。児童・生徒は、聞いていないようでも、結構聞いているものだ。だからこそ、折々に言うべきことは、言わなければならない。20年後、30年後にあれはこのようなことだったのかと理解してもらってもいいのである。教育とは、即効性があるものではなく、長い単位でみていくものだろう。
 鈴木大拙は、禅についての本を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。
             平成27年3月19日 記