上田都史(うえだとし)

          「俳人山頭火」
                            上田都史

 その寺は千仏体と俗に言われていた報恩時という禅寺であった。深閑としていてきわめて簡素、見るものことごとく一片の塵もなく、すべての物がそれぞれ所を得て和し、その均整と調和、簡素と端正を湛えている清々しい静謐(せいひつ)に山頭火は、生まれて初めての大きな衝撃を受けた。父の竹治郎の女狂いや、母や弟の自殺や、防府の家の崩壊や、種田酒造の倒産。山頭火の脳裡をこれらの忌まわしい影像が、遠いところから音もなくやって来て、また、何処か遠い所へ消えていった。そして、酒に明け酒に暮れ、底知れず酒に乱れた泥酔の自分の姿を、今こそはっきりと自分で凝視することが出来た。しかしそんなことは、防府の家の崩壊や種田酒造の倒産と共に問題ではなかった。
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※ 網代笠に法衣をまとい、えごの木の杖をついて旅行く放浪の俳人種田山頭火、酒におぼれ心乱した生涯であった。俳句を作ることでしか心の安寧を得られなかった人生が明らかになる。苛立ちを覚えながら、切なさを感じる生き様である。
    まっすぐな道でさみしい
    わかれてきた道がまつすぐ
    分け入つても分け入つても青い山
    うどん供へて母よわたくしもいただきまする
    うしろすがたのしぐれてゆくか
    ついてくる犬よおまへも宿なしか
      
           平成26年11月27日 記