志賀直哉

         「暗夜行路」 
                   志賀直哉

 老人は近寄ってきて、私の頭へ手をやり、
「大きくなった」と言った。
 この老人が何者であるか、私には解らなかった。しかしある不思議な本能でそれが近い肉親であることをすでに感じていた。私は息苦しくなって来た。
 老人はそのまま帰って行った。
 二三日するとその老人はまたやって来た。その時私は初めてそれを祖父として父から紹介された。
 さらに十日すると、なぜか私だけがその祖父の家に引きとられることになった。そして私は根岸のお行の松に近いある横町の奥の小さな古家に引きとられて行った。
 そこには祖父の他にお栄という二十三四の女がいた。
 私の周囲の空気はまったく今までとは変わっていた。すべてが貧乏くさく下品だった。
他の同胞(きょうだい)が皆自家に残っているのに、自分だけがこの下品な祖父に引きとられることは、子どもながらにおもしろくなかった。しかし不公平には幼児から慣らされていた。今に始まったことでないだけ、なぜかを他人に訊く気には起こらなかった。しかしこういうふうにして、こんなことが、これからの生涯にもたびたび起こるだろうという漠然とした予感が、私の気持ちを淋しくした。それにつけても私は二ヶ月前に死んだ母を憶い、悲しい気持ちになった。
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※ 主人公、時任謙作のぼんやりとした立ちこめる霧のような不安は現実のものになっていく。兄から、謙作が祖父と母親との間の子だということを聞かされるに及んではっきりとしたものになる。謙作の受けた衝撃と倒れまいとする彼の闘いは沈痛そのものであった。志賀直哉唯一の長編小説で、完成までに17年間の歳月を要した。
 文芸評論家 中村光夫は、「志賀直哉論」の中で次のように記載している。「大正期の作家のうちで、志賀直哉ほど生きた影響を現代文学に与えている人はいません。鷗外、漱石といえどもこの点では到底彼に及ばないのです。武田麟太郎が『志賀直哉は日本文学の故郷』と言ったのは戦前のことですが、単に武田だけではなく、丹羽文雄のようにやはり仕事の性格から見れば、直哉の対極をなすと思われる作家も、『先輩作家から受けた影響と言えば、やはり志賀直哉だ。志賀直哉の影響は、文体とかなんとかということではなくて、いわば小説を書く態度の問題であった。』と最近の『文学』誌上で、おそらく多くの人々に意外の感を与える言葉を吐いています。小林秀雄の作家論の処女作が志賀直哉に対する熱烈な讃辞であったのはひろく知られていますし川端康成も彼にはときどき反撥しながら、その文章には一貫して敬意を払っています。」   
              平成27年8月14日 記


        「小僧の神様」
                       志賀直哉

 その時不意に横合いから十三四の小僧が入ってきた。小僧はAを押しのけ
るようにして、彼の前のわずかな空きへ立つと、五つ六つ脂の乗っている前
下がりの厚い欅板の上を忙しく見廻した。
「海苔巻はありませんか」
「ああ今日はできないよ」肥った鮨屋の主は脂を握りながら、なおジロジロと
小僧を見ていた。
 小僧は少し思い切った調子で、こんなことは初めてじゃないというように、
勢よく手を延ばして、三つほど並んでいる鮪の脂の一つを摘んだ。ところが
なぜか小僧は勢いよく延ばした割にその手をひく時、躊躇した。
「一つ六銭だよ」と主人が言った。
小僧は落とすように黙って、その鮨をまた台の上へ置いた。
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※店の番頭たちが話していた鮨を一度食べたいと思い、使いに出た帰りの
電車賃4銭をうかして、屋台の鮨屋に入った。しかし、鮨は6銭であった。
 その後、Aは小僧の神様になっていく。
             平成27年8月13日 記


         「剃刀」      
                    志賀直哉

 芳三郎は剃刀をもう一度キュンキュンやって先ず喉から剃り始めたが、どうも思うように切れぬ。手も震える。それに寝ていてはそれほどでもなかったが、起きてこう俯くとすぐ水洟が垂れてくる。時々剃る手を止めて拭くけれどもすぐまた鼻の先がムズムズしてきては滴りそうに溜まる。
 奥で赤児の鳴く声がしたので、お梅は入っていった。切れない剃刀で剃られながらも若者は平気な顔をしている。痛くも痒くもないという風である。その無神経さが芳三郎には無闇と癪に触った。
 使いつけの切れる剃刀がないではなかったが彼はそれを更え様とはしなかった。どうせ何でもかまうものかという気である。それでも彼はいつかまた丁寧になった。少しでもざらつけば、どうしてもそこにこだわらずにはいられない。こだわればこだわるほど癇癪が起こってくる。からだもだんだん疲れて来た。気も疲れて来た。熱も大分出てきたようである。
(中略)
 傷は五厘ほどもない。彼はただそれを見詰めて立っていた。薄く削がれた跡は最初乳白色をしていたが、ジッと淡い紅がにじむと、見る見る血が盛り上がって来た。
 彼は見詰めていた。血が黒ずんで球形に盛り上がって来た。それが頂点に達した時に球は崩れてスイと一筋に流れた。この時彼には一種の荒々しい感情が起こった。
 かって客の顔を傷つけた事のなかった芳三郎には、この感情が非常な強さで迫って来た。呼吸はだんだん忙しくなる。彼の全身全心は全く傷に吸い込まれたように見えた。今はどうにもそれに打克つ事が出来なくなった。―――――
 彼は剃刀を逆手に持ちかえるといきなりぐいと喉をやった。刃がすっかり隠れるほどに。若者は身悶えもしなかった。
 ちょっと間を置いて血がほどばしる。若者の顔は見る見る土色に変わった。
 芳三郎はほとんど失神して倒れるように傍らの椅子に腰を落とした。
 すべての緊張は一時に緩み、同時に極度の疲労が還ってきた。
 眼をねむってぐったりしている彼は死人の様に見えた。
 夜も死人の様に静まりかえった。全ての運動は停止した。すべての物は深い眠りに陥った。ただ独り鏡だけが三方から冷ややかにこの光景を眺めていた。
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※最後の場面に床屋に行くのが怖くなった、という感想が多く寄せられたほど衝撃的だったという。「ただ独り鏡だけが三方から冷ややかにこの光景を眺めていた。」この冷徹な状況が、この作品の恐ろしさを表している。
            平成26年11月23日 記


        「清兵衛と瓢箪」
                        志賀直哉

 これは清兵衛という子供と瓢箪(ひょうたん)との話である。
・・・・・・・・・。
 清兵衛がときどき瓢箪を買ってくることは両親も知っていた。34銭から15銭くらいまでの皮つきの瓢箪を10ほども持っていたろう。彼はその口を切ることも種を出すことも独りで上手にやった。栓も自分で作った。最初茶渋で臭味をぬくと、それから父の飲みあました酒を蓄えておいて、それでしきりに磨いていた。
 まったく清兵衛の凝りようは烈しかった。ある日彼はやはり瓢箪のことを考え考え浜通りを歩いていると、ふと、眼に入った物がある。彼ははッとした。それは路端に浜を背にしてズラリと並んだ屋台店の一つから飛び出して来た爺さんの禿頭であった。清兵衛はそれを瓢箪だと思ったのである。
「立派な瓢じゃ」
こう思いながら彼はしばらく気がつかずにいた。気がついて流石(さすが)に自分で驚いた。
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※ 清兵衛が授業中まで瓢箪を磨いていると、先生に見つかりさんざん叱られる。そして、父親の知るところとなり全ての瓢箪を取り上げられ売られてしまう。しかし、その瓢箪は、信じられないような高値で店頭に並ぶ。清兵衛という特異な才能をもつ少年の願いや志望が、無理解な大人によって打ち砕かれていく。それは、志賀直哉と父親の確執に起因するものであった。
              平成26年10月27日 記