中野孝次

         「清貧の思想」
                 中野孝次

  現世の価値――他人より多くの富や権力を持つ者が崇められる――に対して、目には見えないもう一つの価値の世界があるのだ、それはブッダの教える心の救済にかかわる世界である。人が真に幸福になるかならぬかは、現世での成功や失敗によってではなく、心という誰もが与えられていながら日ごろ欲望に覆われているために曇らされている、その世界にかかわることだと、形而上的(けいじじょうてき)な体系を教えたのが日本では仏教であった。
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※どんなに富や揺るぎなき地位があろうと、外圧や時の変遷とともに砂上の楼閣のように消え去ってしまう。しかし、心の豊かさはどのようなものにも侵略されない。源信も、『往生要集』の中で、「足ることを知らば貧といへども富と名づくべし、財ありとも欲多ければこれを貧と名づく」と言っている。また、吉田兼好も「名利に使はれて、靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。財(たから)多ければ身を守るにまどし。害を買ひ、煩ひを招く媒(なかだち)なり。身の後には金(こがね)をして北斗を支ふとも、人の爲にぞ煩はるべき。愚かなる人の目を喜ばしむる樂しび、又あぢきなし。」と名誉や財産にこだわって人生を送ることの愚かさについて言及している。目に見えないものこそ、人を豊かにするものである。それは、多くの先達が語ることであり、歴史の示すところでもある。
           平成29年2月2日 記  


         「清貧の思想」
                      中野孝次

 妙秀は名によりも慳貪(けんどん)にして富裕なることを嫌ったという。慳貪とは、辞書によれば、欲深くしていつくしみの心がないこと、むごいこと、貪欲なこととあり、つまり自分さえよければ他人のことはどうでもいいという者のことだ。とすればいつの時代にも共存共栄を図るよりも慳貪なる者のほうが多いわけで、現代でもその例ににはこと欠かないが、戦国乱世がようやく収束したばかりのこの時代には商人で成功した連中にはそういうのがことのほか多かったらしい。(中略)
 妙秀が最も重んじたのは何よりも人の心のありようであった。たとえ、貧しくとも夫婦のあいだに愛情さえあれば、「いかほど貧しくともたんぬべし」と言った。富貴な当主が死んだ後、兄弟の間に醜い争いの起きるのはよくあることだが、貧しい者の死んだ後兄弟が争ったためしはない。人が幸せになるかどうかは富貴か貧乏かによるものではない、ひとえにただ人の心のありようによるものである、ともかねがね言っていた。
 語録を見ると妙秀は、貧困ゆえに起こる不幸よりも富貴が人の心に及ぼす害毒を重視し、人でなしとなって富貴であるよりも貧しく人間らしいほうがよほどよい、と考えていたようなのである。
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※妙秀は、室町時代末期から江戸時代初期に活躍した本阿弥光悦の母親である。本阿弥家は代々刀の研磨と鑑定を家業としていたが、光悦は書、漆芸、陶芸にも秀でた人物であった。妙秀の影響を受け、「心の内なる律を尊んだ」豪放な人格だったという。妙秀の考え方は、いかにも現代に通ずる。財産分与で兄弟が醜く争い、果ては殺人にまで及ぶ事例まである。何が人間にとって大切か改めて考え直したいものだ。
 ところで、自分勝手で野放図なアメリカ大統領トランプにこそ、この本を読んでもらいたいものだ。金や権力の権化になっている人に何を言ってもはじまらないか。それにしても、あのような大統領を選ぶアメリカも腐っていると考えざるおえない。
           平成29年1月31日 記  


         「清貧の思想」
                      中野孝次

 本阿弥の家では、目利きたる自分が正宗とわかっている物を、相手が知らぬからと言って引き取るような所業を恥とした。大事なのは金儲けではない。刀の目利きかけては自分たちこそが権威であるという誇りと自負、これが何よりも大切なのであって、金に目が昏(くら)んでこの誇りを傷つけるくらいなら死んだほうがましだ、と思っていたのだ。(中略)
 他人の目ではなく、己れの心の律なのだ。たとえ誰ひとり知る者はなくとも、己れひとりの心に省みて疾(やま)しいことをすれば、もはや己れはダメになったのだとする心持ちこそ、かれらが最も大事にしたものだったのである。露見(ばれ)なければ、法を犯してどんな汚い金でも平気で手に入れようとするような輩(やから)とは、まるで心掛けが違っていたのだ。(中略)
 絶対権力者である家康の前であろうと誰の前であろうと、心にもないこと言うくらいなら死んだほうがましと、最も率直に正直に見るところを言って憚(はばか)らないのが光徳という人であったのだ。刀の目利きにかけては自分こそが天下の権威という誇りは、最高の権力者の前に出ようといささかも変らなかったのである。
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※吉田兼好、松尾芭蕉、良寛、鴨長明、本阿弥光徳、与謝蕪村などの作品や言動から、日本人の在り方を述べたものが、『清貧の思想』である。本来、日本人の考え方は、こうであったのだろうと確信する。『徒然草』とともに私の心を揺さぶる最も影響の大きな作品である。
           平成28年1月31日 記  


         「清貧の思想」
                          中野孝次

 若いころだったらわたしはこういう話にさほど心を動かされることもなかったろう。事実わたしは四十ごろまでは良寛にも『方丈記』にも『徒然草』にも関心を持つことなく、みな黴(かび)くさい昔話の話と見做(みな)して、もっぱらヨーロッパの最新の文学にのみ興味をよせていたのだった。たまにそういうものを、たとえば『近世畸人伝』のごときものを読んでも、そこに記されているのがいわゆる「いい話」ばかりであるのに退屈して放り出してしまうのがつねだった。
 しかしいまわたしはこの国の随筆や逸話集が著者のいいと思う人物たちの話に終始していることを、いかにもそうあるべきことと共感しているのである。伝え聞いた古人のエピソードのうち心に残ったものばかりを記しとめておく。そういう逸話を集めて一冊にまとめておくことでかれらはいわば自分が好ましいと思う人間の生き方のモデルを作ったのだ、とわたしは考えるようになった。文化の伝統というものはこんなふうにして伝えられて来たのだな、と思うのである。自分にはとうていその真似は出来ないが、人間はこうあってほしいものだという願望を、かれらはそういう逸話集にこめて書き残したのであろうと、その志をありがたく感じるのである。そして、昨今のつまらぬ小説を読むよりもそういう昔の逸話集を読むほうがずっと楽しいのだ。
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※この文章を読むと一つの見識を感ずる。「文化の伝統というものはこんなふうにして伝えられて来たのだな、と思うのである。」とあるように、文化や伝統とは、一朝一夕に成ったものではなく積み重ねだという点を、古典の中に求めたことである。その中にはいかに人生を価値あるものに生きていくかが、繰り返し述べられている。心の安寧を探る基がある。
           平成27年1月3日 記