森 鷗外

          「最後の一句
                         森鷗外

 「そんなら今一つお前に聞くが、身代わりをお聞き届けになると、お前たちはすぐ殺さ れるぞよ。父の顔を見ることはできぬが、それでもよいか」
 「よろしゅうございます」と同じような、冷ややかな調子で答えたが、少し間を置いて、 何か心に浮かんだらしく
 「お上の事には間違いはございますまいから」と言い足した。
  佐佐の顔には、不意打ちにあったような、驚愕の色が見えたが、それはすぐに消えて、険しくなった目が、いちの面に注がれた。憎悪を帯びた驚異の目とでも言おうか。しかし、佐佐は何も言わなかった。
・・・・・・・・・・・。
 おろかな子供の影も残らず、ただ氷のように冷やかに、刃のように鋭い、いち
の最後のことばの最後の一句が反響しているのである。
・・・・・・・・・・・。
しかし、献身のうちにひそむ反抗の鉾先は、いちとことばを交えた佐佐のみで
はなく、書院にいた役人一同の胸をも指した。
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※官吏への揶揄と皮肉が表現されているが、それは鷗外の感情が伏線になっている。鷗外の引退の報が新聞紙上にすっぱ抜かれた翌日、大正4年9月17日に完成している。そのことが、この作品に微妙な影を落としているのも否めない。
    
           平成27年8月17日 記


       「高瀬舟」
                     森 鷗外

 高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、默許であつた。
 當時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜をするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、獰悪(どうあくな)人物が多數を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科とがを犯した人であつた。有り觸れた例を擧げて見れば、當時相對死と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き殘つた男と云ふやうな類である。
 さう云ふ罪人を載せて、入相いりあひの鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族(けんぞく)の悲慘な境遇を細かに知ることが出來た。所詮町奉行所の白洲(しらす)で、表向の口供を聞いたり、役所の机の上で、口書を讀んだりする役人の夢にも窺ふことの出來ぬ
境遇である。
 同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ氣色には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた。場合によつて非常に悲慘な境遇に陷つた罪人と其親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行くことになると、其同心は不覺の涙を禁じ得ぬのであつた。
 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌はれてゐた。
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※安楽死と足ることを知るをテーマに書いたこの作品は、多くのことを突きつけてくる。
安楽死の件であるが、鷗外も子どもの病気に際して、この問題に直面している。次男不律が明治41年2月5日百日咳で死亡する。この時、長女の茉莉(まり)も感染し医者から絶望を宣告される。医者が、茉莉の命は24時間であることを宣告し、「死ぬにしても甚だしい苦痛を伴うので、注射をして楽に死なせたらどうだろうかと、モルヒネを注射すれば十分間で絶命する」と鷗外に許可を申し出た。鷗外も腹を決め、もう注射をするばかりになっているところに、義父が見舞いに来て、そのことを知るに及んだ。
 義父は、それを聞いて烈火のごとく怒り、「人間は天から授かった命というものがある。天命が自然に尽きるまでは、たとえどんなことがあろうと生かしておかなければならない。」と言ったので、止まったという経緯がある。その長女の茉莉は、85歳まで生きた。この体験が、「高瀬舟」の根底に流れていると言われている。
 もう一つは「知足」である。人間の欲にはきりがない。それをどこで止めるかである。このことは非常に難しく、古来より先達の示すとおりである。
 「名利に使はれて、靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。」
                『徒然草』 吉田兼好
 「聲色飲食其の美を好まず弟宅器物(ていたくきぶつ)其の奇を要せず、有れば則ち  有るに随つて樂胥(らくしょ)し、無ければ則ち無きに任せて晏如(あんじょ)たり」
                『梅里先生碑文』  
 「 一生の間よくしん思わす」  『独行道』 宮本武蔵
   
           平成26年11月24日 記