二葉亭四迷
中村光夫
名古屋と松江
明治元年から11年まで5歳から15歳まで10年間の少年時代を、二葉亭四迷は名古屋、東京、松江にほぼ3年ずつ過ごします。落付かぬ時代の落付かぬ環境と云へますが、これらの町はそれぞれ伝統と特色のある都会で、ここでうけた教育は、彼の精神の素地を生涯にわたって決定する感化をあたへました。
彼が名古屋に行ったのは、「上野戦争後の諸藩引払の時」すなはち明治元年11月のことであり、このときは母、祖母なども全部一緒に郷里に引揚げ、父だけが残って「江戸の邸」を守ったのですから、一種の疎開のやうな感じだったのでせう。
しかし彼の父はこのとき「御足(たし)米二石」を加増されて、東京留守居調役といふ職についたので、維新の争乱は或意味では吉數にとって出世の機会でした。 明治維新といってもはじめはただ幕府から朝廷への政権の移転だけで、大名小名は依然として旧態を保ってゐたわけでした。これから廃藩置県といふ封建制度の廃止まで行く、明治4までのあひだが、士族階級の者にとっては革命政府によって生活基礎を掘りくづされた時期ですが、吉數はその嵐のなかを、うまく泳いだ方でした。
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※近代文学の先駆者を、中村光夫独特の考えで綴っていく評伝文学の傑作である。
平成27年11月5日 記