「名人伝」
中島敦
趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手飛衛に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌ははるばる飛衛を訪ねて、その門に入った。
飛衛は新人の門人にまず瞬きせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織台の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。眼とすれすれに機躡(まねき)が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見つめていようという工夫である。
(中略)
二年の後には、あわただしく往来する機躡が睫毛をかすめても、絶えて瞬くことがなくなった。彼はようやく機の下からはい出す。もはや鋭利な錐(きり)の先をもって瞼を突かれても、瞬きをせぬまでになっていた。
(中略)
彼の瞼はもはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜熟睡しているときでも、紀昌の目はクワッと大きく見開かれたままである。ついに彼の睫毛と睫毛との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼は、ようやく自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。
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※ 紀昌の修行はさらに続き、そして天下に並ぶ者のない名人になっていく。その結果、予測できない事態となる。極めれば、ここまでいくかと感嘆すること間違いない。
平成27年4月14日 記