小泉八雲

       「ろくろ首」|
               小泉八雲

 五百年ほど前に、九州菊池の侍臣に磯貝平太左衞門武連(たけつら)と云う人がいた。この人は代々武勇にすぐれた祖先からの遺伝で、生れながら弓馬の道に精しく非凡の力量をもっていた。未だ子供の時から劒道、弓術、槍術では先生よりもすぐれて、大胆で熟練な勇士の腕前を充分にあらわしていた。その後、永享年間(西暦1429年)の乱に武功をあらわして、ほまれを授かった事たびたびであった。しかし菊池家が滅亡に陥った時、磯貝は主家を失った。外の大名に使われる事も容易にできたのであったが、自分一身のために立身出世を求めようとは思わず、また以前の主人に心が残っていたので、彼は浮世を捨てる事にした。そして剃髪して僧となり――囘龍(かいりゅう)と名のって――諸国行脚に出かけた。
 しかし僧衣の下には、いつでも囘龍の武士の魂が生きていた。昔、危険をものともしなかったと同じく、今はまた難苦を顧みなかった。それで天気や季節に頓着なく、外の僧侶達のあえて行こうとしない処へ、聖い仏の道を説くために出かけた。その時代は暴戻(ぼうれい)乱雑の時代であった。それでたとえ僧侶の身でも、一人旅は安全ではなかった。
 始めての長い旅のうちに、囘龍は折があって、甲斐の国を訪れた。ある夕方の事、その国の山間を旅しているうちに、村から数理を離れた、はなはだ淋しい処で暗くなってしまった。そこで星の下で夜をあかす覚悟をして、路傍の適当な草地を見つけて、そこに臥して眠りにつこうとした。彼はいつも喜んで不自由を忍んだ。それで何も得られない時には、裸の岩は彼にとってはよい寝床になり、松の根はこの上もない枕となった。彼の肉体は鉄であった。露、雨、霜、雪になやんだ事は決してなかった。
 横になるや否や、斧と大きな薪の束を脊負うて道をたどって来る人があった。この木こりは横になっている囘龍を見て立ち止まって、しばらく眺めていたあとで、驚きの調子で云った。
「こんなところで独りでねておられる方はそもそもどんな方でしょうか。……このあたりには変化(へんげ)のものが出ます――たくさんに出ます。あなたは魔物を恐れませんか」
 囘龍は快活に答えた、「わが友、わしはただの雲水じゃ。それゆえ少しも魔物を恐れない、――たとえ化け狐であれ、化け狸であれ、その外何の化けであれ。淋しい処は、かえって好む処、そん処は黙想をするのによい。わしは大空のうちに眠る事に慣れておる、それから、わしのいのちについて心配しないように修業を積んで来た」
「こんな処に、お休みになる貴僧は、全く大胆な方に相違ない。ここは評判のよくない――はなはだよくない処です。「君子危うきに近よらず」と申します。実際こんな処でお休みになる事ははなはだ危険です。私の家はひどいあばらやですが、御願です、一緒に来て下さい。喰べるものと云っては、さし上げるようなものはありません。が、とにかく屋根がありますから安心してねられます」
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※どうも人は、怖いものみたさというものがあるようで、このような作品を読みたくなる。お化け屋敷なるものが、人気があるのも頷ける。
           平成27年10月1日 記   



    「死生に関するいくつかの断想」
                       小泉八雲 

七月二五日。 今週は思いがけない訪問が三つ、わが家にあった。

 最初のものは、井戸掃除職人たちだった。毎年すべての井戸は空にされ、掃除され、井戸の神様である水神様が荒れ狂わないようにしなければならない。この時に、私は、日本の井戸と、ミズハノメノミコト(水波能売命)とも呼ばれる二つの名を持つ井戸の守り神にまつわるいくつかの事柄を知ったのだった。
 水神様は、屋敷の持ち主が浄めについてのきまりをしっかり守っていれば、井戸の水を甘露にして、かつ冷たく保って、あらゆる井戸を守ってくれる。これらの掟を破った者には病や死が訪れるという。稀には、この神は蛇の姿となって現れることがある。私はこの神を祀る神社を一度も見たことがない。しかし、毎月一度は、近所の神主が井戸のある敬虔な家庭を訪れて、井戸の神様に古式の祈りを捧げ、幟や紙の御幣(ごへい)を井戸の端に立てるのである。井戸が清掃された後にも、また、これがなされる。新しい水の最初の一汲みは男たちがしなければならない。というのは、女が最初に汲めば、その井戸はそれ以後ずっと濁ったままであるからだという。
 水神様の仕事を手助けする使者(おつかい)はほとんどいない。ただ、フナという小さな魚がいる。一匹か二匹のフナがどの井戸にもいて、幼虫から水を綺麗にする。井戸浚いのとき、この魚は大事にされる。私の井戸にも一組のフナがいることを知ったのも、井戸浚い職人たちが来たこのときであった。井戸水が溜められている間には、フナは冷たい水を張った桶に入れられていた。その後、再びそれらの寂しい場所へ投げ込まれたのである。
 私のところの井戸の水は透明で氷のように冷たい。しかし、私は水を飲むたびに、暗い井戸の中をつねに動き回っており、また桶がピチャピチャと音を立てて降りてくるために、何年にも渡って嚇されてきた二匹の小さな白い生き物のことを思わずにはいられない。
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※私が見たものと同じであった。幼い時の私の田舎は、どの家庭も井戸水を利用していた。時折、井戸さらいが行われ、水神様が井戸の中から取り出されたのを記憶している。
 私は、ため池から鮒を釣り上げ、よく井戸に投げ入れたことがある。もちろん水神様を増やすためである。それが良いか悪いかは、私のあずかり知らぬところではあるが・・・。そして、時として、釣り糸を井戸に垂らして釣果を楽しんだものである。ちなみに餌は、ご飯粒であった。幼き日の一断面である。
           平成27年8月31日 記   



    「貉(むじな)」
                      小泉八雲

 東京の、赤坂への道に紀国坂という坂道がある――これは紀伊の国の坂という意である。何故それが紀伊の国の坂と呼ばれているのか、それは私の知らない事である。この坂の一方の側には昔からの深い極わめて広い濠があって、それに添って高い緑の堤が高く立ち、その上が庭地になっている、――道の他の側には皇居の長い宏大な塀が長くつづいている。街灯、人力車の時代以前にあっては、その辺は夜暗くなると非常に寂しかった。ためにおそく通る徒歩者は、日没後に、ひとりでこの紀国坂を登るよりは、むしろ幾哩もり道をしたものである。
 これは皆、その辺をよく歩いた貉(むじな)のためである。

 貉を見た最後の人は、約三十年前に死んだ京橋方面の年とった商人であった。当人の語った話というのはこうである、――
 この商人がある晩おそく紀国坂を急いで登って行くと、ただひとり濠の縁に踞(かが)んで、ひどく泣いている女を見た。身を投げるのではないかと心配して、商人は足をとどめ、自分の力に及ぶだけの助力、もしくは慰藉を与えようとした。女は華奢な上品な人らしく、服装も綺麗であったし、それから髪は良家の若い娘のそれのように結ばれていた。――『お女中』と商人は女に近寄って声をかけた――『お女中、そんなにお泣きなさるな!……何がお困りなのか、私に仰しゃい。その上でお助けをする道があれば、喜んでお助け申しましょう』(実際、男は自分の云った通りの事をする積りであった。何となれば、この人は非常に深切な人であったから。)しかし女は泣き続けていた――その長い一方の袖を以て商人に顔を隠して。『お女中』と出来る限りやさしく商人は再び云った――『どうぞ、どうぞ、私の言葉を聴いて下さい!……ここは夜若い御婦人などの居るべき場処ではありません! 御頼み申すから、お泣きなさるな!――どうしたら少しでも、お助けをする事が出来るのか、それを云って下さい!』徐ろに女は起ち上ったが、商人には背中を向けていた。そしてその袖のうしろで呻き咽びつづけていた。商人はその手を軽く女の肩の上に置いて説き立てた――『お女中!――お女中!――お女中! 私の言葉をお聴きなさい。ただちょっとでいいから!……お女中!――お女中!』……するとそのお女中なるものは向きかえった。そしてその袖を下に落し、手で自分の顔を撫でた――見ると目も鼻も口もない――きゃッと声をあげて商人は逃げ出した。
 一目散に紀国坂をかけ登った。自分の前はすべて真暗で何もない空虚であった。振り返ってみる勇気もなくて、ただひた走りに走りつづけた挙句、ようよう遥か遠くに、蛍火の光っているように見える提灯を見つけて、その方に向って行った。それは道側(みちばた)に屋台を下していた売り歩く蕎麦屋の提灯に過ぎない事が解った。しかしどんな明かりでも、どんな人間の仲間でも、以上のような事に遇った後には、結構であった。商人は蕎麦売りの足下に身を投げ倒して声をあげた『ああ!――ああ――ああ』……
『これ! これ!』と蕎麦屋はあらあらしく叫んだ『これ、どうしたんだ? 誰れかにやられたのか?』
『否(いや)、――誰れにもやられたのではない』と相手は息を切らしながら云った――『ただ……ああ!――ああ!』……
『――ただおどかされたのか?』と蕎麦売りはすげなく問うた『盗賊(どろぼう)にか?』
『盗賊(どろぼう)ではない――盗賊(どろぼう)ではない』とおじけた男は喘ぎながら云った『私は見たのだ……女を見たのだ――濠の縁(ふち)で――その女が私に見せたのだ……ああ! 何を見せたって、そりゃ云えない』……
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った――それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして同時に灯火は消えてしまった。
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※本当に気味の悪い作品で、これを読んでから夜歩くのが気味悪くなったことを覚えている。突然このような経験をしたら、心臓が止まりそうになるであろう。
            平成27年8月22日 記   



           「耳なし芳一」
                       小泉八雲

 七百年以上も昔の事、下ノ関海峡の壇ノ浦で、平家すなわち平族と、源氏すなわち源族との間の、永い争いの最後の戦闘が戦われた。この壇ノ浦で平家は、その一族の婦人子供ならびにその幼帝――今日安徳天皇として記憶されている――と共に、まったく滅亡した。そうしてその海と浜辺とは七百年間その怨霊に祟られていた……他の個処で私はそこに居る平家蟹という不思議な蟹の事を読者諸君に語った事があるが、それはその背中が人間の顔になっており、平家の武者の魂であると云われているのである。しかしその海岸一帯には、たくさん不思議な事が見聞きされる。闇夜には幾千となき幽霊火が、水うち際にふわふわさすらうか、もしくは波の上にちらちら飛ぶ――すなわち漁夫の呼んで鬼火すなわち魔の火と称する青白い光りである。そして風の立つ時には大きな叫び声が、戦の叫喚のように、海から聞えて来る。
 平家の人達は以前は今よりも遥かに焦慮(もが)いていた。夜、漕ぎ行く船のほとりに立ち顕れ、それを沈めようとし、また水泳する人をたえず待ち受けていては、それを引きずり込もうとするのである。これ等の死者を慰めるために建立されたのが、すなわち赤間ヶ関の仏教の御寺なる阿彌陀寺であったが、その墓地もまた、それに接して海岸に設けられた。そしてその墓地の内には入水された皇帝と、その歴歴の臣下との名を刻みつけた幾箇かの石碑が立てられ、かつそれ等の人々の霊のために、仏教の法会がそこで整然と行われていたのである。この寺が建立され、その墓が出来てから以後、平家の人達は以前よりも禍いをする事が少くなった。しかしそれでもなお引き続いておりおり、怪しい事をするのではあった――彼等が完き平和を得ていなかった事の証拠として。
 幾百年か以前の事、この赤間ヶ関に芳一という盲人が住んでいたが、この男は吟誦して、琵琶を奏するに妙を得ているので世に聞えていた。子供の時から吟誦し、かつ弾奏する訓練を受けていたのであるが、まだ少年の頃から、師匠達を凌駕していた。本職の琵琶法師としてこの男は重もに、平家及び源氏の物語を吟誦するので有名になった、そして壇ノ浦の戦の歌を謡うと鬼神すらも涙をとどめ得なかったという事である。
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※体中にお経を書いた姿と耳をもぎ取られることが、子ども心に衝撃的だった。平家滅亡の歴史とも絡んで哀れでもある。作者にも興味がわく。
          平成27年5月8日 記   



          「食人鬼」
                       小泉八雲

 昔、夢窓国師という禅僧が、美濃の国を一人旅していた折、誰一人案内してくれる者のいない山地で、道に迷った。長い間、彼はあてどもなく、さまよい続けた。そして、その夜の宿は、見付けることができまいとあきらめかけていたころ、夕暮れの残光に照らされている丘の頂きに、世を捨てた僧のために建てられる「庵室」と呼ばれる小さな一軒家を見付けた。家はあれはてているようであった。が、急いで行ってみると、一人の老僧が住んでいたので、一夜の宿を乞うた。老僧はすげなくそれを断った。それでも、ねぐらと食べ物を与えてくれる隣の谷間の村を、夢窓に教えてくれた。
   (中略)
    宿をお願いした主人が亡くなったため、村人は全員5キロほど
   離れた別の村に行かなければならないと言う。夢窓は、一緒に
   という村人の誘いを断り、一人残り亡骸の側で読経をしていると。

 こうして、夢窓を残して、みんな出かけていったので、彼は亡骸の寝かせてある部屋へ行った。ありふれたお供物が亡骸の前に供えてあった。そして、小さな灯明が燃えていた。夢窓は経を読み供養を努めた。そのあと瞑想をしていた。こうして瞑想しつつ数刻、沈黙の中にあった。人気のない村に、物音ひとつなかった。しかし、夜の静寂(しじま)がいよいよ深まったとき、音もなくぼんやりした大きな「すがた」が入ってきた。同時に、夢窓は、動くことも口をきくこともできなくなった。
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※食人鬼にならなければ生きていけなかった理由が述べられる。哀れな人間の姿である。「夢幻能」のような感じのする作品で、救われない魂の叫びが聞こえてくる。昨晩、この作品の夢を見た。
          平成27年4月15日 記