名越時正

       「水戸学の道統」
                        名越時正

 ことに、わが水戸の学問は、かつて長州の吉田松陰が「夫れ常陸の学は天下の推す所、而してその老輩碩師皆師承する所あり」と景仰したごとく、義公以来、無数の学者たちが、師道を重んじて謙虚に継承し、しかも発明講究を積んで大成したところである。そして、これらの学者によって大本を確立し、その学問の教えを実行して、国家を堕落と隷属の危機より救った人物は、全国にわたってほとんどその数幾百幾千というを知らぬほどである。その水戸学の眼目、言い替えれば、水戸の学者が最も意を注ぎ、全霊を捧げて明らかにした要点は次の三点であろう。
 一、日本の国の古今を貫く真実の姿、すなわち国体を明らかに認識したこと。
 一、世界の情勢を洞察して、日本のおかれた立場を明らか把握したこと。
 一、内外の情勢にかんがみ、日本の進むべき道をはっきりと見出し、日本人のなす   べき道を示したこと。
 卒然と見るならば、右の三条いずれも平易単純であって何のことはないと思うかもしれない。しかし、これだけのことでも、今日にあてはめて考えればどうであろうか。あらゆる邪説妄論を弁析し、百人百様の異論を統率して世を導くことは、はたして何人にできよう。水戸の学者は世の中に先立ってこれを究明し、一世の昏迷の中に光明を掲げたのである。しかも、水戸は先頭に立ってこの道を実行したのであった。
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※名越時正は、彰考館総裁の名越克敏の子孫である名越時孝の孫であり、父は名越時中(陸軍中将)であった。そのため、水戸学に対する思いは強く、造詣も深い。水戸学について理解する適切な書物であると考える。
              平成26年12月25日 記


       「水戸光圀」
                      名越時正

 徳川光圀は、江戸時代の数多い大名の中で、苦しい生活にあえぐ農民の生活を思いやり、とにかく権力を乱用して、厳しい取り立てをしがちな役人をおさえて、仁愛の政治を行った名君として知られている。「水戸黄門漫遊記」が今でも人気を博するのは、その表れであろう。
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※名越時正は、長く水戸一高の教諭を務める傍ら、光圀や水戸学の研究に努めた人である。膨大な資料から、実体の知られていない業績を記している。郷土の偉人を知る上で大切な一冊である。水戸人の気質は、「怒りっぽい」「理屈っぽい」「骨っぽい」(水戸の三ぽい)と語られている。それをかたちづくっていったのが、徳川光圀かもしれない。
              平成26年10月24日 記