河合隼雄

        『こころの処方箋』
                    河合隼雄(かわいはやお)

      「ふたつよいことさてないものよ」
 「ふたつよいことさてないものよ」というのは、ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられる、ということだ。抜擢されたときは同僚の妬みを買うだろう。宝くじに当るとたかりにくるのが居るはずだ。世の中なかなかうまくできていて、よいことずくめにならないように仕組まれている。このことを知らないために、愚痴を言ったり、文句を言ったりばかりして生きている人も居る。その人の言っている悪いことは、何がよいことのバランスのために存在していることを見抜けていないのである。
 それでも、人間はよいことずくめを望んでいるので、何か嫌なことがあると文句のひとつも言いたくなってくるのが、そんなときに、「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、なるほどうまく出来ている、と微笑するところまでゆかなくても、苦笑ぐらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い。
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※この作品を読むと心が救われる。だから『こころの処方箋』なのだ。安穏に生きるための必読書だ。
          令和3年6月30日 記


       『こころの処方箋』
               河合隼雄(かわいはやお)

        「縦糸横糸」
 「判断の基準」の混乱について、もっと深く考えてみよう。たとえばこんな例はどうだろう。親に反抗するのは子どもの自由だという考え方に対して、日本とアメリカの高校生にアンケートをとると、どんな結果が出るか、予想していただきたい。実は『家庭教育ノート』にその結果を載せているが、「反対は子どもの自由だ」と答えた高校生は、日本が80%以上、アメリカは20%以下である。では「売春など性を売り物にすること」はどうだろう。これも「自由だ」と答えは、日本では20%より多く、アメリカではほとんどゼロであった。
 どうしてこんなことが起こるのだろう。それは、日本人が欧米の真似をして自由主義を身につけたつもりでいながら、自由主義を支える「個人の責任」ということを、それを家庭教育で教えるということを学ばなかったからである。こんなことは当然といえば当然である。しかし、そんなことをわざわざ文部省が各家庭に言わねばならなくなったのである。
 古い考え方から新しい考え方に変わっていく際に、新しい考え方の本質を知らずに真似をする。古い考え方の人も、その本質がわからないまま、何となく新しい考え方に押されてしまって、尻込みしてしまう。このような悪い傾向が積み重なって、現在のような家庭教育の混乱が生じてきたのである。
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※河合隼雄は、人間の心の奥底を覗ける達人であった。このような人物は、もう出てこないであろう。昨今の世相、親が幼子を平気で殺してしまう、子が親を手にかけてしまう、妻が夫を金のために毒殺する。これらのことも、上記に繋がっているのかもしれない。
          平成29年7月28日 記


       「こころの処方箋」
               河合隼雄(かわいはやお)

 人生にも、ここぞというときがある。それはそれほど回数の多いものではない。とすると、そのときに準備も十分にせず、覚悟もきめずに臨むのは、まったく馬鹿げている。ところが案外、そのようなときでも90点も取ればよかろう、という態度で臨む人が多いように思われる。このような人が、自分はいつも努力しているのに、運が悪いと嘆くのは、ことの道理がわかっていないと言うべきであろう。
  こんな人と違って、いつも100点を取らぬと気がすまぬ人というのもいる。80点も100点も結果的にはそれほど差のないときでも、100点を取るために努力する。このような人は素晴らしいと言えば素晴らしいのだが、いつも100点を取るために、だんだんと疲れてきて、一番大切な「100点以外はダメ」というときは腰くだけになったり、うまく理屈をつけて逃げ出してしまったりするものである。いつも100点を狙っている人は、不用な努力を払っている分だけ不機嫌になったり、他に対して攻撃的になったりしがちになるものだ。100点はときどきでいいのである。
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※16年ほど前、河合隼雄先生が、つくばカピオで講演をされたとき拝聴した。ユーモアを混じえた内容は、とても心に残るものだった。多くの臨床事例を挙げ、分かり易く語られる柔らかな口調は、その人間性までも示唆していた。こんな先生にかかったら、心の奥底までも見透かされてしまうだろうと考えた。
 この「こころの処方箋」も、先生の考え方がよく分かる内容になっていて、思わず納得してしまう。特に人生の中で、「100点以外はダメ」という時があり、それをしっかり掴むんだという考え方が、妙に心に響いた。やはり、人生の達人だ。ぜひ読んでもらいたい作品である。
          平成28年10月26日 記


       「こころの処方箋」
               河合隼雄(かわいはやお)

 子どもは成長していくとき、時にその成長のカーブが急上昇するときがある。自分でもおさえきれない不可解な力が湧き上がってくるのを感じる。それを何でもいいからぶっつけてみて、ぶつかった衝撃のなかで、自らの存在を確かめてみるようなところがある。そのとき子どもが、ぶつかってゆく第一の壁として、親というものがある。親の壁にさえぎられ、子どもは自分の限界を感じたり、腹を立てたり、くやしい思いをしたりする。しかし、そのような体験を通じてこそ、子どもは自分というものを知り、現実というものを知るのである。
 いわゆる「理解のある親」といのは、このあたりのことをまったく誤解してしまっているのではなかろうか。子どもたちの力が爆発するとき、その前に立ちはだかる壁になるのではなく、「子どもたちの爆発するのもよくわかる」などと言って、その実は、それをどこかで回避し、自分はうまく衝突を免れようとしているのではなかろうか。壁が急になくなってしまって、子どもたちはいったいどこまで自分が突っ走るといいのか、どこが止まるべき地点かわからなくなる。不安になった子どもは、壁を求めて暴走するより仕方なくなる。子どもは文字通り暴走族になるときもあるし、この例に示したように何らなの意味で社会的規範をやぶるようなことをしてしまう。
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※子どもの前に立ちはだかる親が、子どもの非行を阻止する。本当に中学生は、不安定で心の有り様がコロコロ変わる。そんな時、大人が本気でぶつかるのが大切だ。
 以前、食卓にのせるおかずが減っていて、子どもの味覚に異常をきたしているという放映があった。さらに、子どもに今日は何を食べたいと聞いて決めることも拍車をかけていると述べていた。ますます子どもを増長させ、我が儘な性格をつくり、取り返しのつかない事件を起こさせることになる。今こそ、親の権威を振りかざす時である。
         平成28年10月25日 記