出川直樹

       「壺」
                     出川直樹

  壺の中は何もない空間である。実はこのことになかなか気がつかなかった。
 老子に次のような言葉がある。
 「埴(しょく)をこねて器を作る。その無にあたりて器の用有り。戸をうがちて室を作る。その無にあたりて室の用有り。」
 粘土で器を作るが、器のはたらきは粘土で包まれた空間そのものにある。戸口や窓を開けて部屋を作るが、部屋はその何もない空間によって用をなす、というのである。
 これによって老子は、有と無、あるいは存在と非存在を絶対的な対立概念としてではなく、対立することによって互いが在るという相対の立場でとらえ、この両者が生まれ出る同一の根源である「玄」(真っ暗なもの)へ迫ろうとするらしい。しかし、私にはこの古代の大思想家の独創的な思考方法をたどれるはずもなく、ただこの語句の表面的な字づらが示す鋭い機知をおもしろがっているにすぎない。
 この語句に突き当たって、初めて壺の本体はその中の空間にある、というあたりまえのことを悟るというのも、我ながらうかつな話だが、改めて古陶磁を追いかけている者の目の曇りといったものを、自ら感じた新鮮な瞬間でもあった。外側にばかり気を取られている者にとって、その本質は無である部分だよ、と決めつけられたのだから、足もとをすくわれたのと同じこと、いっそ痛烈な爽快感を覚えつつひっくり返る以外はない。

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※これを以て考えると、無いことが有ることであり、有ることが無いことになる。何とも哲学的である。有ることばかりに眼を向けていると、物事の本質を見誤ることになる。眼を凝らして、しっかり見ることが大切だ。
            平成26年10月26日 記