五木寛之 

         「想う」
                      五木寛之

 ところが今、私たちの生活というのは、死というものを目前にすることが非常に少なくなっています。
 よく言われることですが、昔は、ふつう、人は家で亡くなるわけですから、臨終のときには家族はもとより、周りも親族一同も集まってきて、苦しんだり平静に死んだり、そういうふうにしてこの世から旅立つ肉親を、悲しみながら見守っていました。そして湯灌ということを行ったりしました。
 僕も子供心に覚えていますけれども、母が亡くなったときも、お湯をたらいに入れ、やせて三分の一ぐらいになった体をタオルでみんながふいてあげたのです。そのように死の儀式を家族の手で行うことにより、死んでゆく、滅びてゆく肉体というものを手で触るように、子供心ながらに感じられたものです。僕の母は四十四歳で亡くなりました。僕が十三、四のころですけれども、ほんとうに死というものが目に見えて感じられたものです。
(中略)
 人間は泣きながら生まれてきて、重い重い宿命を背負いながら、それをはね返し、はね返し、生きている。これ以上、その人間に何を要求することがあるだろうか。失敗した人生もあるであろう。平凡な人生もあるであろう。成功した人生もあるであろう。しかし、どの人間もみんなそのように与えられた生命というものを必死で戦って生きてきた一人の人間なのです。
 そう考えてみますと、生きていくということはすごいことだな、どんな生き方をしたかということはせっかちに問うべきではないな、という気持ちにさえなります。
 生存していること、この世の中に存在していること、このことで人間は尊敬されなければならないし、すべての人は自分を肯定できるのではないか。人は己の人生をそのまま肯定しなければならない。もしも余力があれば、世のため、人のためにも働けるにちがいない。今はただ、生きて、こうして暮らしていることだけでも、自分を認めてやろうではないか、と。
 そこから、ほんとうに希望のある、前向きな人生観が生まれてくるのではないでしょうか。そんなふうに今、僕は人生というものを受け止めているところです。
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※五木寛之の作品を読むと救われたような気持ちになり、また強く生きていこうという力が湧いてくる。生きていることだけで人は尊敬されなければならない、なんと素晴らしい言葉ではないか。
           令和元年11月19日 記


            「他力」
                     五木寛之

 諦める,というのは,物事を消極的に後ろ向きに受け止めることではなく,言葉の本来の意味「明からに究める」勇気をもって現実を直視するということでしょう。
 見たくない現実を,認めたくない事実をリアルな目で直視する。これが諦めるということです。まず,きちんと認める,確認するという,その作業から出発しなければならないということです。
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※五木寛之の作品を読むと、いつも救われる。人間の本質を見極め、温かく見守っている感じがする。      
              平成27年8月16日 記 


          「生きるヒント」
                        五木寛之

 朝顔を咲かせるのが朝の光ではなく,夜の闇であったというエピソードに感動したのも光を肯定し,闇の暗さを否定する風潮に疑問をおぼえはじめているからである。
(中略)
 人間が生きていくことは大変なことです。人生とは,決してかろやかなものでも,明るいものでもありません。冷静に振り返ってみればみるほど,人間の世界には,まっ黒い巨大な淵が,ぽっかりと不気味な口を開けています。
 そこをのぞみこむ不快さに,私たちは目をそらし,できるだけかろやかに明るく生きてゆこうする。しかし実際には,そういう努力は,ほんの一時の慰めにすらすぎないのではないか,と考えることがあります。
 私たちは,いつの間にか悲しむことを忘れ,暗さに沈潜することを嫌い,そして涙を流すこと感傷的になること,哀愁を感じることを軽蔑化するようになってきたのではないでしょうか。「ユーモアの源泉は哀愁である」とマーク・トウェインが言うとき,その声の背後には深い苦渋がかくされています。
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※五木寛之の作品には、人間の弱さを受け止め包み込む優しさがある。誰しもが、どのような艱難辛苦にも負けず力強く生きていきたいと願っている。しかし、現実はそのようにはいかない。悩み悶え嫉妬する、その人間の性を肯定している。駄目な自分を否定しなくてもいいと言われると心の安寧につながる。      
            平成26年11月14日 記