原民喜 

          「夏の花」
               原民喜

 馬車は次兄の一家族と私と妹を乗せて、東照宮下から饒津(にぎつ)へ出た。馬車が白島から泉邸入口の方へ来掛った時のことである。西練兵場寄りの空き地に、見覚えのある、黄色の、半ずぼんの死体を、次兄はちらりと見つけた。そして彼は馬車を降りて行った。嫂(あによめ)も私もつづいて馬車を離れそこへ集まった。見憶えのあるずぼんに、まぎれもないバンドを締めている。死体は甥(おい)の文彦であった。上着は無く、胸のあたりに拳大(こぶしだい)の腫れものがあり、そこから液体が流れている。真黒くなった顔に、白い歯が微かに見え、投げ出した両手の指は固く、内側に握り締め、爪が喰い込んでいた。その側に中学生の死体が一つ、それから又離れたところに、若い女の死体が一つ、いずれも、ある姿勢のまま硬直していた。次兄は文彦の爪を剥ぎ、バンドを形見にとり、名札をつけて、そこを立ち去った。涙も乾きはてた遭遇であった。
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※ 平成24年8月原爆ドームや記念館を訪れた。人間の起こした愚行に改めて怒りを覚え悲しい気持ちになった。北朝鮮の挑発にのってはならない。戦争は、人間の行う最も愚かな行為で醜悪だ。
 作者原民喜自身も被爆している。記念館の展示品からも悲惨な状況が見て取れる。まさに、ここに記載されている内容と同じである。私たちは、この現実をしっかり受け止め、絶対に戦争を起こしてはならない、平和を守らなければならない。原民喜も、そのことを訴えるために、この作品を書き綴ったのであろう。「涙も乾きはてた遭遇であった。」という表現が、戦争の現実である。遠藤周作は、『夏の花』を「いくつも書かれた広島原爆を描いた小説の中でも最高のもの」と絶賛している。
        平成29年8月14日 記