永来 重明

       残照の青春
            永来 重明

 受験生活というものが青少年たちの心を灰色に塗りつぶしてしまっていることは今も昔も変わりがない。本来ならば体も心ものびのびと育つべき青春の一ばん美しい季節を社会の一制度がつくりだしたこの手かせ足かせのために鬱屈させてしまうということは人間の本然の姿からいっても残虐な行為である。上級学校への入学試験さえなかったらこの世はどんなに楽しいだろう---いま受験勉強に苦しんでいる若人のほとんどがそう思っているにちがいない。まさに砂を噛むような日々の連続である。もっともなかにはこの受験勉強をただひつの生き甲斐に感じ、苦痛どころか、むしろ闘志をかきたててこれに立ち向かっている者もいるだろう。これまで多くの先輩たちもやはり自分がいま味わいつつある苦しみを乗り越えて社会へ出ていった、これは人生にとって一度は必ず通り抜けなければならぬ試練なのだ、そう思って日ごと夜ごとに机に向かって歯をくいしばっているかもしれない。だがほとんど多くの若人にとって受験勉強は地獄の責め苦なのだ。時折襲ってくる絶望感、ふと心をよぎる自信喪失、あらゆるものを投げ出したくなるような心の動揺、焦燥・・・。
 しかし、いまここで入学試験制度についてとやかくいってもはじまらない。それは社会的現実として、でんとこの世に根をおろしてしまっているからもはやどうしようもないのだ。
 私たちが旧制高校を受けるまでの一年間もまさに灰色であった。と同時に闘いでもあった。五倍十倍という競争率を突破するためには志を同じくする相手の五人十人を倒さなくてはならなかった。同志は同時に敵でもあった。自分がもし受かれば、そのかげに一人の敵が一敗地にまみれて号泣するのである。泣くのはあくまでも敵であって、絶対に自分であってはならない---そんな至上命令のようなものを心の支えにして来る日も来る日も夜中の二時三時まで勉強した。思えば非情な話である。
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※人生の黄昏にたどり着いて、振り返れば懐かしい青春という時期があった。それを振り返る甘く切ない作品である。

           平成28年3月19日 記