世阿弥

      『風姿花伝
                 世阿弥

  
 一、秘する花を知ること。
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」となり。この分け目を知ること肝要の花なり。
 そもそも一切の事、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるがゆゑなり。

【口語訳】
  一 秘めておくことが大切であると知ること。
 「秘めておくからこそ花になる。あからさまにしてしまったら、花ではない。」という。その分岐点を知ることが大切である。
 そもそも、能楽だけではなく、一切の営み種々の芸能においても、家業のそれぞれに秘事というようなことはあるだろう。そのように秘めておくことに大きな働きがある。
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※世阿弥は、「才能は必ずしも遺伝しない。」とする。芸を継がせるのは、芸だけではなく、才覚・人格・知性もすぐれていなければ駄目であるという。そして、芸を継いだものが家であって、血縁が家ではないとする。まさに不世出の天才の弁である。だからこそ、室町時代から現代まで受け継がれているのだろう。
        平成27年1月14日  記



        『風姿花伝』
                   世阿弥
  

 この別紙の口伝、当芸において家の大事、一代一人の相伝なり。たとへ一子たりといふとも、無器量の者には伝ふべからず。
「家、家にあらず、次ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人とす」
といへり。これ、万徳了脱の妙花を窮むるところなるべし
 
【口語訳】
  この別紙の口伝は、わが能の芸において秘事であって、一代に一人と限定して相伝すべきものである。たとえわが一子といえども、才能や人格の至らぬものには伝えてはいけない。
 「家は家ではない。後を継いだものを以て家となすべきものである。人は人ではない。道理を知るものを以て人となすべきものである。」
という言葉が伝えられてある。この書は、よろずの徳を成就して芸のもっとも深奥なる花を窮めるための教えである。
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※「才能や人格の至らぬものには伝えてはいけない。」とする世阿弥の考えが、700年という時代を超えて、能楽が現在に引き継がれてきた所以であろう。

 「家は家ではない。後を継いだものを以て家となすべきものである。」という考えを踏襲しない故に、駄目になっていった会社や商店がどれほどあったことか。
  世阿弥の子、元雅(もとまさ)は若くして亡くなった。若年ながら世阿弥が、「子ながらも類なき達人」「祖父にも越えたる堪能」と絶賛していた。その子を亡くした世阿弥の心境は、いかばかりであったろうか。
            平成27年1月4日  記



        『花鏡(かきょう)』
                     世阿弥

  また舞に、目前心後といふことあり。目を前に見て、心を後ろに置けとなり。見所より見る所の風姿は、我が離見なり。しかればわが眼の見るところは、我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見るところは、すなはち見所同心の見なり。その時は、我が姿を見得するなり。後ろ姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまえず。さるほどに離見の見にて見所同見となりて、不及目(ふぎょうもく)の身所まで見智して、五体相応の幽姿をなすべし。これすなわち、「心を後ろに置く」にてあらずや。

【口語訳】
 舞には、「目前心後」という言葉がある。目を前に心を後ろにおけということである。
見所(能を見る客席)から見る姿こそ私の「離見」である。よって自分の目で見ているものは、「我見」である。それは、「 離見の見」ではない。「 離見の見」という見方は、すなわち、見所と同じ心で見ることである。その時は、自分の姿をしっかりとらえている。舞う後ろ姿を確認しなければ、芸の低さを認識できない。だからこそ「 離見の見」
すなわち見所の見という客観的な目で、目の届かないところまで見てこそ、体全体が幽玄の世界をあらわすのである。これはすなわち「心を後ろに置く」ということである。
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※ 何事をするにも自分を客観的に見ること、すなわち「離見の見」は重要である。それが少しずつではあるが、上達の基であろう。
         平成27年1月1日 記



         『花鏡(かきょう)』
                     世阿弥

  
 「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。
  是非とも初心忘るべからず
  時々の初心忘るべからず 
  老後の初心忘るべからず
この三、よくよく口伝すべし。」

  【口語訳】
 観世流にすべてに通ずる一句がある。それは、「初心忘るべからず」 である。この句に三つの口伝がある。
   是非によらず、修行を始めたころの初心の芸を忘るべからず。
   修行の各段階ごとに、各々の時期の初心の芸を忘るべからず。
   老後に及んだ後も、老境に入った時の初心の芸を忘るべからず。
 この三つは、しっかり口伝すべきことである。
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※ なんと奥の深い言葉ではないか。初心とは「段階ごとに経験する芸の未熟さ」の ことである。初心を忘れたら初心に戻る。ともすれば、長い修行の過程で、初心や基本がないがしろになってしまう可能性がある。どの段階にも初心があるということをしっかり肝に銘じたい。道(どう)においては、すべてが途(みち)半ばである。この考えなくては、精神的にも技術的にも成長は望めない。
 花鏡は能芸論書で、1424年までに段階的に成立した。『風姿花伝』以後、約二十年間の著述を集成したものである。
          平成26年12月24日 記 




      『風姿花伝』
                  世阿弥

  
 一、秘する花を知ること。
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」となり。この分け目を知ること肝要の花なり。
 そもそも一切の事、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるがゆゑなり。

【口語訳】
  一 秘めておくことが大切であると知ること。
 「秘めておくからこそ花になる。あからさまにしてしまったら、花ではない。」という。その分岐点を知ることが大切である。
 そもそも、能楽だけではなく、一切の営み種々の芸能においても、家業のそれぞれに秘事というようなことはあるだろう。そのように秘めておくことに大きな働きがある。
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※世阿弥は、「才能は必ずしも遺伝しない。」とする。芸を継がせるのは、芸だけではなく、才覚・人格・知性もすぐれていなければ駄目であるという。そして、芸を継いだものが家であって、血縁が家ではないとする。まさに不世出の天才の弁である。だからこそ、室町時代から現代まで受け継がれているのだろう。
        平成27年1月14日  記