与謝蕪村
牡丹散つてうちかさなりぬニ三片
五月雨や大河を前に家二軒
ゆく春やおもたき琵琶の抱きごころ
春の海ひねもすのたりのたりかな
春雨にぬれつつ屋根の手毬かな
春風や堤長うして家遠し
春の夜や宵おけぼのの其中に
公達に狐化けたり宵の春
遅き日のつもりて遠きむかしかな
菜の花や月は東に日は西に
不二ひとつうづみ残して若葉かな
絶頂の城たのもしき若葉かな
夏河をこすうれしさよ手に草履
愁ひつつ丘に登れば花茨
湯泉の底にわが足見ゆるけさの秋
鳥羽殿へ五六騎いぞく野分かな
斧入れて香におどろくや冬木立
楠の根を静かにぬらす時雨かな
我も死して碑に辺(ほとり)せむ枯尾花
冬鶯むかし王維が垣根哉
うぐひすや何ごそつかす藪の霜
門を出れば我も行人(ゆくひと)秋のくれ
壁隣(かべどなり)ものごとつかす夜さむ哉
冬こだち月に隣をわすれたり
冬ごもり壁をこころの山に倚(よる)
しぐるるや我も古人の夜に似たる
茨野(いばらの)や夜はうつくしき虫の声
路絶(みちたえ)て香(か)にせまり咲(さく)茨かな
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※芭蕉以後堕落していた俳諧(俳句と命名するのは正岡子規)の復興に尽力する。客観的な作風で、みずみずしい感覚的な美を描いた。今年の夏は、40℃を越すなど各地で猛暑が続く。日本人は簾や風鈴などでも涼を求めたが、その域を超えるような暑さである。「夏河をこすうれしさよ手に草履」、一服の清涼剤になっている。
京都芭蕉庵のある金福寺の碑を前に詠んだ句が、「我も死して碑に辺(ほとり)せむ枯尾花」である。死後は金福寺に葬るように遺言するほど芭蕉を慕ったが、生き方に習おうとはしなかった。
平成30年7月31日 記