小林一茶

      小林一茶

雪とけて村いっぱいの子どもかな
名月をとってくれろと泣く子かな
寝せつけし子の洗濯や夏の月
はつ袷(あわせ)憎まれ盛りに早くなれ
這え笑え二つになるぞけさからは
名月や膳に這ひよる子があらば
蚤の跡かぞへながらに添乳(そへぢ)かな
もう一度せめて目を開け雑煮膳
陽炎や目につきまとふわらい顔
われと来て遊べや親のない雀
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
露の世は露の世ながらさりながら
やせ蛙まけるな一茶これにあり
秋風やむしりたがりし赤い花
めでたさも中位なりおらが春
うまさうな雪がふうはりふうはりと
次の間の灯で膳につく寒さかな
ともかくもあなたまかせの年の暮
雪散るやおどけもいへぬ信濃空
涼風の曲がりくねつて来たりけり
大蛍ゆらりゆらりと通りけり
大の字に寝て涼しさよ寂しさよ
やれ打つな蝿が手をすり足をする
これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺
汁の実の足しに咲きけり菊の花
こころから信濃の雪に降られけり
大根引き大根で道を教へけり
信濃では月と仏とおらがそば
そっと鳴け隣は武士ぞ時鳥
さぼてんにどうだと下がる糸瓜哉
椋鳥
(むくどりと人に呼ばるる寒さかな
餅搗(もちつき)が隣りへ来たといふ子かな
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※小林一茶は、1763年現在の長野県に生まれる。3歳で生母と死に別れ、8歳で継母を迎える。継母とは折り合いが悪く15歳で江戸に出て行く。
 父の死後、遺産相続をめぐって継母と12年間争う。50歳で故郷に帰り結婚し子をもうけるが、その子どもたちは次々に亡くなっていく。5人の子どもに恵まれたが、そのうち4人の子どもたちは、2歳まで生きられなかった。そのため子どもを詠んだ句がとても多くある。
「はつ袷(あわせ)憎まれ盛りに早くなれ」
     誕生を祝って詠むが、長男千太郎 27日で死亡。
「もう一度せめて目を開け雑煮膳」 「陽炎や目につきまとふわらい顔」
     次男石太郎 96日で死亡。
「露の世は露の世ながらさりながら」
      長女さと1年2ヶ月で死亡。
「這え笑え二つになるぞけさからは」
     次女やたは5番目の子、この子だけは46歳まで生きる。
 このような境遇にあったれはばこそ、自分と同じように弱いものに同情して一茶は俳句を詠んでいった。

            平成30年11月16日 記