八木重吉

  
      八木重吉

  花はなぜうつくしいか
  ひとすじの気持ちで咲いているからだ 
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※美しく咲こうとか見てもらおうとか、というような作為的なものがないから感動するのだろう。人と人との関係も同じだ。やってやるという姿勢では、それが相手から透けて見えてしまう。
        平成28年4月18日 記



    ねがひ
        八木重吉

人と人とのあひだを
美しくみよう
わたしと人とのあひだを
うつくしくみよう
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※軋轢(あつれき)も齟齬(そご)も払拭し、美しい間柄になろう。寄り添って生きるのが人なのだから。八木重吉の詩は、ほとんど短く10行以内である。
        平成28年3月29日 記



    果物
         八木重吉

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい  
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※果物は自ら熟していくが、意識することはない。無心の円熟である。剣道もかくありたい、無心の中で相手を捉えることはできないか。
         平成27年3月1日 記



    うつくしいもの
         八木重吉

わたしみずからのなかでもいい
わたしの外の せかいでもいい
どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが敵であっても かまわない
及びがたくてもよい
ただ 在るということが 分かりさえすれば
ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ     
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※29歳で肺結核のため亡くなってしまうが、残した詩は2000を越える。「この世には、思想家としてはどうしようもなくマイナーな存在でありながら、それゆえにかえって不思議な光芒を放つ詩人がいる。また、逆に思想家としては疑いもなく第一級の存在でありながら、なぜか書くものに少しも光が感じられない詩人がいる。」と書いた批評家がいるが、まさに八木重吉は、その前者に当たるだろう。そのどちらを好むかは、個人の心による。
        平成27年2月28日 記