徳川 斉昭   

  弘道館に梅花を賞す
            徳川斉昭

   弘道館中千樹の梅
   清香馥郁(ふくいく)
   好文あに威武無しと謂(い)わんや
   雪裡(せつり)春を占む天下の魁(さきがけ)

【口語訳】
 水戸弘道館の中には、およそ千株もの梅の木がある。その梅は、いま満開で清らかな香りがぷんぷんと辺りに漂っている。昔、晋の武帝が学問を好むと梅の花が開き、学問を中断すると咲かなくなった故事から、梅を好文木と称するようになったというが、その一面、武の威力が梅にないと言えようか。あの厳しい寒中に雪をものかわと自ずから咲き出でて天下の春の魁けをなすのは、まさにこの花である。
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※ 水戸藩9代藩主。藩政では、下士層から広く人材を登用することに努めた。戸田忠太夫、藤田東湖、安島帯刀、会沢正志斎、武田耕雲斎等など斉昭擁立に加わった比較的軽輩の武士を用い藩政改革を実施した。 大老、井伊直弼と対立し蟄居を申し渡される(安政の大獄)。それが基となり、桜田門外の変が起きる。
 藩校・弘道館の設立や偕楽園の開園など多くの改革を行った人物である。ちなみに15代将軍徳川慶喜は、斉昭の子である。
           平成29年10月8日 記