徳川光圀(水戸黄門)

          徳川光圀(水戸黄門

朽ち残る老木(おいぎ)の梅もこの宿に春に再び会ふぞうれしき
あをによし奈良の都はあれにしをまたや栄えむ万(よろず)ことの葉
位(くらい)山のぼるもくるし老の身は麓(ふもと)の里ぞ住みよかりける
咲きにほふ花の都はさもあらばあれわが西山(せいざん)の春のあけぼの
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※水戸と言えば、最も著名なのが、徳川斉昭と並んで光圀(黄門さま)だ。写真は徳川光圀の生誕の地である。光圀は徳川家康の11子徳川頼房の第3子であったが、ゆえあって4歳まで、家老の三木之次の子として育てられた。現在の水戸三高グランドの下あたりになる。後年、光圀はこの地を訪れて「朽ち残る老木の梅もこの宿に春に再び会ふぞうれしき」と詠み、昔を懐かしんだ。また、「西山」とあるのは、常陸太田市にある「西山荘」のことを指している。隠居後は、ここで庶民と触れ合いながら質素な生活をしていた。
  ところで、黄門とは中国皇帝に近侍して勅命を伝える職務であった「黄門侍郎」の略で、 転じて日本の中納言の唐名を「黄門侍郎」または「黄門」と言うようになった。だから、水戸藩の藩主は代々中納言で「黄門」になる。しかし、徳川光圀だけ著名になり、「黄門」というと彼だけを指すようになった。
    平成30年3月16日 記