高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)

     高橋虫麻呂

検税使大伴卿、筑波山に登る時の歌一首 并せて短歌

[長歌]
衣手 常陸の国の 二(ふた)並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに汗かきなげ 木の根取り 嘯(うそぶ)き登り 峯(を)の上を 君に見すれば 男神(をのかみ)も 許したまひ 女神(めのかみ)も 霊(ち)はひたまひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の緒解きて 家の如(ごと) 解けてぞ遊ぶ 打ち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ   (万葉集 1753)

[反歌]
今日の日にいかで及しかめや筑波嶺に昔の人の来けむその日も(万葉集 1754)

【口語訳】
[長歌]
 常陸の国の、二峰が並ぶ筑波の山を見たいと思ってあなたが来られたというので、暑いさなか、汗をかきやり木の根をつかみ、ふうふう言いながら登って山頂をあなたにお見せすると、山の男神もお許しになり女神も加護してくださって、いつもは始終雲が居座り雨が降る筑波山を、この時ばかりはくっきりと照らして、卿が特に見たがっていらっしゃつた国の絶景をつぶさにお示しになったので、嬉しいことだと衣の紐を解いて家にいるかのようにくつろいで遊び暮らす。春に見る時よりも夏草が茂っているけれども、今日の日の楽しいことよ。
[反歌]
 今日の日の楽しさにどうして及ぼうか。筑波嶺に昔の人が遊びに来たというその日も。
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※検税使大伴卿とは、大伴旅人だという。旅人は、「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」という短歌を作っている。旅人は、665年生まれだから1300年以上も前に筑波山に登り、あの光景を体感したのかと思うと古代へのロマンを駆り立てられる。
              平成27年3月13日 記



     高橋虫麻呂

筑波嶺に登りて嬥歌会(かがひ)をする日に作る歌一首 并せて短歌
[長歌]
 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて  娘子(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集ひ かがふ嬥歌(かがひ)に 人妻に 我(わ) も交はらむ 我が妻に 人も言問(ことと)へ この山を うしはく神の 昔より い さめぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな(万葉集 1759)

[反歌]
 男神をのかみに雲立ちのぼり時雨ふり濡れ通るとも我われ帰らめや
                           (万葉集 1760)

【口語訳】
[長歌]
 鷲が住む筑波山の、裳羽服津の津のほとりに、誘い合って、若い男女が集まり、歌い踊るこの嬥歌で、人妻たちの中に俺も混じり込もう。俺の妻に、人も言い寄るがよい。この山を支配する神が、昔からお許し下さっている行事であるぞ。今日だけは、見苦しいとは見るな、咎め立てするな。
[反歌]
 男神の峰に雲が立ちのぼり、時雨が降り、着物が濡れ通っても、俺は途中で帰ったりするものか。

「嬥歌会」(かがひ)
 カガヒは歌垣(うたがき)の東国方言。カガフの名詞形。男女が集い歌舞する自由恋愛の行事。「嬥歌」と表記したのは、中国少数民族の歌舞と類似したことによる。常陸国風土記の香島郡に見える童子女の松原伝承に「嬥歌会」とあり、その注として「俗云宇多我岐、又云加我ヒ[田+比]也」と見え、土地の者はウタガキともカガヒともいうとある。また高橋虫麻呂が筑波山の嬥歌の会を詠んだ歌に「嬥歌は東俗の語に賀我比という」(9-1759)と見える。筑波山の歌垣は常陸国風土記によると、筑波山は男女二神の山で、男の山は急峻で登らず、女神の山の泉の流れる辺に、諸国の男女が春と秋の季節に飲食物を持参して登り遊楽するのだという。この時に歌われた歌はあまりにも多くて記録できないといい、土地の諺に「筑波峰の会に、娉(つまどい)の財(たから)を得ることがないと、児女としない」というのだとある。この記録から筑波山のカガイは、①神の山で行われること、②泉の湧く水辺であること、③春秋二季に行われること、④範囲は箱根より東の諸国であること、⑤飲食物を持参していること、⑥男女の遊楽であること、⑦歌が多く歌われたこと、⑧贈り物を得ないと児女とされないこと、という情報が得られる。また、前掲虫麻呂の歌には人妻への恋が見られ、これは山の神が禁止しない行事なのだと詠んでいる。歌垣は古代の日本列島に広く存在したものと思われ、風土記や万葉集に山や水辺あるいは市で行われた歌垣の記録を見る。持統天皇の時代に中国から踏歌が伝わり宮廷の行事として行われるが、『続日本紀』734(天平6)年2月には歌垣と呼ばれて、貴族の男女が列をなし歌ったとあり、同じく770(宝亀元)年3月にも歌垣とあり、男女が並んで歌舞したという。民間の歌垣の行事は「一年の中に適当な日を定めて、市場や高台など一定の場所に集まり、飲食・歌舞に興じ、性的解放を行った」(『時代別国語大辞典』)とある。歌垣で性的解放を行ったとするのは、虫麻呂の歌や民間習俗から得たものと思われるが、誤解を生みやすい。また、歌垣が農耕の予祝と関係することも一般に説かれているが、これも民間習俗から得たものと思われ、歌垣の発生史を説明するものではない。
          「万葉神事語辞典」より        
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※嬥歌は、歌を挑みあうだけでなく、遊楽や妻問い(つまどい、求婚)の目的もあり、遊興的な一面があったとする。常陸守藤原宇合に仕えていた虫麻呂であたったからこそ、歌に詠んだようなことも見聞きしたかもしれない。性に対して開放的な面もあった時代であったのだろう。 
              平成27年3月11日 記



     高橋虫麻呂
        
筑波山に登る歌一首 并せて短歌(万葉集より 1757)

[長歌]
 草枕 旅の憂(うれへ)を 慰もる こともあれやと 筑波嶺(つくは)ねに 登りて見れば 尾花散る 師付(しつく)の田井に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治(にひはり)の 鳥羽の淡海(あふみも) 秋風に 白浪立ちぬ 筑波嶺の 吉(よ)けくを見れば 長き日(け)に 思ひ積み来こし 憂はやみぬ

[反歌]
 筑波嶺の裾廻(すそみ)の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉(もみち)手折らな

【口語訳】
[長歌]
 旅の憂いを、まぎらわすこともあるかと、筑波の峰に登ってみると、薄の穂が散る師付の田んぼには、雁がやって来て寒そうに鳴いている。新治郡の鳥羽の淡水湖も見えて、秋風が吹き白波が立っている。こうして筑波山からの素晴らしい景色を見ていると、何日も積もり積もっていた、憂いは消えてしまった。
[反歌]
 筑波山の山裾の田んぼで秋の刈入れをしている娘、あの娘のもとに贈る黄葉の枝を折ろう。
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※万葉集の時代から歌に詠まれた筑波山は、まさに関東の名山であり、常陸の国に住む我々にとっては心の支えでもある。常に身近にあり慰撫してくれる存在だ。

高橋虫麻呂 
 奈良時代の万葉歌人。719年(養老3年)頃、藤原宇合(うまかい)が常陸守であった頃に宇合の下僚となり、以後は宇合の庇護を受けたという。(ウィキペディアより)
              平成27年3月10日 記