平忠度(たいらのただのり)

       平忠度

 さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
 行き暮れて木(こ)の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし
 たのめつゝ こぬ夜つもりの うらみても まつより外の なぐさめぞなき
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※藤原俊成に師事した平忠度は、平清盛の弟で歌人としても優れていた。平家一門と都落ちした後、従者と都へ戻り俊成の屋敷に赴き歌の巻物を託した。俊成は朝敵となった忠度の名を憚り、『千載和歌集』に「詠み人知らず」として、「さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」の一首を掲載している。
 この歴史的事実は、能「忠度」(夢幻能 修羅物)となって演じられている。僧が仮寝をすると夢に忠度の亡霊(後シテ)が現れ、『千載和歌集』に入れられた歌が朝敵として詠み人知らずとされたことを嘆き、作者名をつけてくれるようにと俊成の子定家への伝言を依頼する。忠度は、都落ちの途中引き返し俊成に入集を頼んだこと、西海道に落ちたのち須磨の浦まで戻り一ノ谷に寄ったこと、一ノ谷の合戦で岡部六弥太(おかべのろくやた)と組み合い討ち死にしたことなどを語った。僧に重ねて回向を頼むと忠度は消えるという内容になっている。
        平成28年4月8日 記