新川和江

    
           新川和江

  はじめての子を持ったとき
  女のくちびるから
  ひとりでに洩(も)れだす歌は
  この世でいちばん優しい歌だ
  それは 遠くで
  荒れて逆立っている 海のたてがみをも
  おだやかに宥(なだ)めてしまう
  星々を うなずかせ
  旅びとを 振りかえらせ
  風にも忘れられた さびしい谷間の
  痩(や)せたリンゴの木の枝にも
  あかい灯(ひ)をともす
  おお そうでなくて
  なんで子どもが育つだろう
  この いたいけな
  無防備なものが
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※子どもを虐待して殺してしまう親がいる。考えられないことだ。守られ慈しまれて育つのが子どもではないか。誰しもが、この詩のような心で子どもを育てたいものだ。
         平成28年3月23日 記
 


    名付けられた葉
              新川 和江

  ポプラの木には ポプラの葉
  何千何万芽をふいて
  緑の小さな手をひろげ
  いっしんにひらひらさせても
  ひとつひとつの手のひらに
  載せられる名はみな同じ

  わたしも
  いちまいの葉にすぎないけれど
  あつい血の樹液をもつ
  人間の歴史の幹から分かれた小枝に
  不安げにしがみついた
  おさない葉っぱにすぎないけれど
  わたしは呼ばれる
  わたしだけの名で 朝に夕に

  だからわたし 考えなければならない
  誰のまねでもない
  葉脈の走らせ方を 刻みの入れ方を
  せいいっぱい緑をかがやかせて
  うつくしく散る法を
  名づけられた葉なのだから 考えなければならない
  どんなに風がつよくとも
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※女性という「名付けられた葉」ではなく、一個の人間として生きていこうとする強い決意を感ずる。女性に対して温かな眼差しを向けた人である。
          平成27年9月10日 記
 


      日 録 
                新川和江

  わたくしは天から日を盗んだ
  月を盗んだ 大気を盗んだ
  雨を盗んで干割れた口唇を癒した
  風を盗み
  帆に孕ませて潮路をいそいだこともあった

  海からは塩を 魚を 海草を
  そうしてかがやく向う岸を盗んだ

  地からは五つの穀物を盗んだ
  青菜と 砂糖黍と 土中にふとる藷を盗んだ
  けものの皮と 膏肉と 骨を盗んだ
  棉を盗んだ 山繭を盗んだ パピルスを盗んだ
  鉱石を盗み 原油を盗み
  飽くことなく日々地下水を盗んだ

  しかるに ああ
  小抽出しに鍵をかけ
  陋屋の戸にさらに鍵をかけ
  念入りに確かめなどして出かけてゆくわたくしの この卑しさ
  横断歩道を渡るにも
  何を奪われるのを怖れてか
  右を見左を見 おどおど渡るわたくしの このいじましさ

  開闢いらい開けっぱなし とらせ放題の
  天の下に住んで
  地の上に在って
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※比喩を主とする表現で新鮮さを感じさせる詩が多い。我々は、確かに飽くなき欲望の追求をしている。足を止め、「足を知る」ことも大切である。
          平成27年3月11日 記
 


   わたしを束ねないで
               新川和江

  わたしを束ねないで
  あらせいとうの花のように
  白い葱のように
  束ねないでください わたしは稲穂
  秋 大地が胸を焦がす
  見渡すかぎりの金色の稲穂

  わたしを止めないで
  標本箱の昆虫のように
  高原からきた絵葉書のように
  止めないでください わたしは羽撃き
  こやみなく空のひろさをかいさぐっている
  目には見えないつばさの音

  わたしを注がないで
  日常性に薄められた牛乳のように
  ぬるい酒のように
  注がないでください わたしは海
  夜 とほうもなく満ちてくる
  苦い潮 ふちのない水

  わたしを名付けないで
  娘という名 妻という名
  重々しい母という名でしつらえた座に
  坐りきりにさせないでください わたしは風
  りんごの木と
  泉のありかを知っている風

  わたしを区切らないで
  ,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
  そしておしまいに「さようなら」があったりする
  手紙のようには
  こまめにけりをつけないでください
  わたしは終りのない文章
  川と同じに
  はてしなく流れていく 拡がっていく
  一行の詩
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※自由へのあこがれや個性を大切をにしようとする願いがある。女性を既成の概念で拘束するなという作者の強い思いを感ずる。作者、新川和江は茨城県結城市出身、同郷であることにより親しみを感じる。
           平成27年3月10日 記
    
 


     ふゆのさくら
                 新川和江

  おとことおんなが
  われなべにとじぶたしきにむすばれて
  つぎのひからはやぬかみそくさく
  なっていくのはいやなのです
  あなたがしゅろうのかねであるなら
  わたくしはそのひびきでありたい
  あなたがうたのひとふしであるなら
  わたくしはそのついくでありたい
  あなたがいっこのれもんであるなら
  わたくしはかがみのなかのれもん
  そのようにあなたとしずかにむかいあいたい
  たましいのせかいでは
  わたくしもあなたもえいえんのわらべで
  そうしたおままごともゆるされてあるでしょう
  しめったふとんのにおいのする
  まぶたのようにおもたくひさしのたれさがる
  ひとつやねのしたにすめないからといって
  なにをかなしむひつようがありましょう
  ごらんなさいだいりびなのように
  わたくしたちがならんですわったござのうえ
  そこだけあかるくくれなずんで
  たえまなくさくらのはなびらがちりかかる
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※全文を平仮名で書いて柔らかい感じを出しながらも、女性の心の解放を述べている。作者の固い決意と心の強さを感じる。
          平成27年3月9日 記

晴耕雨読