清少納言

   「枕草子」  (299段)
           清少納言

 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子(みこうし)まゐりて、炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、「少納言よ、香炉峰の雪いかならん。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。
 人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。なほこの宮の人にはさべきなめり。」と言ふ。

【口語訳】
 雪が高く積もった時に、いつもとは違って御格子をお下ろし炭櫃に火を起こし話などをして集まっていると、(中宮定子様が)「清少納言よ、香炉峰の雪はどうでしょうか。」とおっしゃるので、御格子を上げさせ、(清少納言が)御簾を高くあげると、お笑いになった。他の女房達も、「そういうことは知っており、歌などにも詠むが、(あなたのように行動で示すとは)思いもよりませんでした。やはり(あなたは)この宮に仕える人としてふさわしいようです。」と言う。
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 ※今年も何度か雪が降ったが、降ると必ず頭に浮かぶのは『枕草子』のこの段である。「少納言よ、香炉峰の雪いかならん」、定子と清少納言の様子が眼前に広がる。
 藤原道隆の子、定子(ていし)が一条天皇の中宮として入内したのは990年、清少納言が仕えたのが993年のことであった。清少納言は中宮定子の側にいて、1000年まで仕えることになる。その後、父、藤原道隆が亡くなると台頭してきた藤原道長によって中宮定子は虐げられ、敦康親王と媄子(びし)内親王は、平生昌(たいらのなりまさ)の家で出産するという事態すら出てくる。そういった中、中宮定子は25歳の若さで失意のうちにこの世を去っていく。ふと表の雪が見たいと思った中宮定子が謎をお出しになったのに対して、清少納言が見事に答えたという内容がこの文章である。天真爛漫な性格が良く表れている。そんな清少納言を苦々しい気持ちで見ていたのが、紫式部であった。
 藤原道長の子、彰子(しょうし)が一条天皇の中宮となり、1005年 仕えたのが紫式部である。「紫式部日記」により清少納言と紫式部の確執は明らかであるが、二人が同時期に宮廷で仕えたしたことはなかった。 藤原宣孝(紫式部の夫)が、質素な出で立ちで参拝しなければならない神社に、きらびやかな服装で行く。それを清少納言が「枕草子114段」で批判する。聞いた紫式部は激怒する。「紫式部日記」の中で、清少納言を悪し様に書いたのは、それによる。

《参考》
     香炉峰下 新たに山居を卜し草堂初めて成り 偶東壁に題す」 
                    白居易

日高く睡り足るも猶(なお)起くるに慵(ものう)し
小閣に衾を重ねて寒さを怕(おそ)れず
遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聽き
香炉峰の雪は簾を撥(かかげ)て看(み)る
匡廬(きょうろ)は便(すなわ)ち是れ名を逃のがるるの地
司馬は仍(な)お老を送るの官たり
心泰(やす)く身寧(やす)きは是れ帰する処
故郷 何ぞ独り長安にのみ在らんや
      ※ 中宮定子の質問に答えられたのは、清少納言にこの漢詩の
    素養があったからである。
       平成30年2月23日 記



          枕草子(223段)
                        清少納言
         
 五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて草生ひ茂りたるを、ながながとたたざまに行けば、下はえならざりける水の、ふかくはあらねど人などのあゆむにはしりあがりたる、いとをかし。
 左右(ひだりみぎ)にある垣にある、ものの枝などの、車の屋形(やかた)などにさし入るを、いそぎてとらへて折らむとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いとくちをしけれ。
 蓬(よもぎ)の車に押しひしがれたりけるが、輪の廻りたる近ううちかかりたるもをかし。

【口語訳】
 五月のころに、山里に出かけるのはとても楽しい。草葉も田の水もたいそう青々として一面に見渡されるが、表面はさりげなく生い茂っているそこを、牛車でぞろぞろとまっすぐに行くと、草の下には何ともいえずきれいな水が深くはないがたまっていて、従者などが歩くとしぶきが飛び散るのが愉快だ。
 道の左右の生垣に植えられた何かの木の枝などが、車の屋形などに入るのを、急いで折り取ろうとしたら、さっと通り過ぎて手元から外れてしまったのが、実に残念だった。
 よもぎの、車輪に敷かれて押しつぶされたのが、車輪が回るのにつれて、近くに匂ったのも趣が深い。
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 ※初夏の山里の遠乗りの面白さを描いた段である。青々とした色彩美、水しぶきの冷涼・透明な感触、蓬の香りなどが鋭い感性で捉えられていて、清少納言の自然に対する繊細な感覚が感じられる。
 平安時代の貴族の女性は、寝殿造りの奥深く、太陽の入らない部屋で暮らしていた。お風呂にも入らず、髪も洗わず、トイレも下女の持ってくるおまるに用を足し、年中じっと一つの部屋の中で暮らしていたのである。だから、肺結核や皮膚病にかかる女性も多く短命であった。外出する時も道中ずっと牛車の中、太陽の光を浴びることはほとんどなかったが、とても楽しいことだったはずだ。そんな心の高揚まで感じられる作品である。
         平成30年2月1日 記



          枕草子(191段)
                  清少納言

  野分(のわき)のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀(たてじとみ)、透垣(すいがい)などの乱れたるに、前栽(せんざい)ども、いと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩(はぎ)、女郎花(おみなえし)などの上に、よころばひ伏せる、いと思はずなり。格子のつぼなどに、木の葉を殊更にしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。
 いと濃き衣(きぬ)のうはぐもりたるに、黄朽葉(きくちば)の織物、薄物(うすもの)などの小袿(こうちぎ)着て、まことしう清げなる人の、夜は風の騒ぎに寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、母屋(もや)よりすこしゐざり出でたる、髪は風に吹きまよはされて、少しうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。

【口語訳】
 台風(野分)の翌日は、とても趣深くて面白いものである。立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)などが強風で乱れていて、庭の植え込みが、とても心苦しい状態になっている。大きな木々も倒れ、枝なども吹き折られているのが、萩や女郎花(おみなえし)などの上に、横になって倒れているのは、とても残念なものである。格子の目などに、木の葉をわざわざ詰めたように、細かく吹き入れているのは、荒々しい風の仕業とは思えないほどである。
 とても濃い紅の衣の、ツヤが抜けたものに、黄朽葉の織物の薄物などの小袿(こうちぎ)を着て、本当に綺麗な人が、夜は風の騒音で眠れなかったので、朝遅くまで寝坊してしまって、母屋から少しいざり出ている姿は、髪は風に吹き乱されて少し膨らんで髪が立って肩にかかっている様子は、本当に素晴らしいものだ。
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※台風の翌朝の様子を写し出した段である。木や壁が倒れたり落ち葉が散乱したりと、通常は辟易するものであるが、清少納言は違う。自然の摂理を受け入れ、そこに美を見出す独特の感性をもっている。吹く風を受けて佇む女性の姿が、実に美しい。
          平成30年1月31日 記



          枕草子(106段)
                  清少納言

 二月(きさらぎ)つごもりごろに、風いたう吹きて空いみじう黒きに、雲少しうち散りたるほど、黒戸に主殿司(とのもりづかさ)来て、「かうてあぶらふ」と言へば、寄りたるに、「これ、公任(きんとう)の宰相殿の」とてあるを見れば、懐紙(ふところがみ)に、
   少し春あるここちこそすれ
 とあるは、げにけふのけしきにいとよう合ひたるも、これが本(もと)はいかでかつくべからむ、と思ひわづらひぬ。「たれたれか」と問へば、「それそれ」と言ふ。皆いと恥づかしき中に、宰相の御いらへを、いかで事なしびに言ひいでむ、と心一つに苦しきを、御前に御覧ぜさせむとすれど、上のおはしまして大殿(おほとの)ごもりたり。主殿司は、「とくとく」と言ふ。げにおそうさへあらむは、いと取り所なければ、さはれとて、
   空寒(さゆ)み花にまがへて散る雪に
 と、わななくわななく書きて取らせて、いかに思ふらむとわびし。これがことを聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじと覚ゆるを、「俊賢(としたか)の宰相など、『なほ内侍(ないし)に奏してなさむ』となむ定めたまひし」とばかりぞ、左兵衛(さひょうえ)の督(かみ)の中将におはせし、語りたまひし。

【口語訳】
 陰暦二月の末ごろ、風がたいへん吹いて空がとても黒く、そのうえ雪が少しちらちらと降っている時に、黒戸に主殿司が来て、「ごめんください」と言うので、近寄ると「これは、公任の宰相殿からです」と差し出すのを見ると、懐紙に
「わずかばかり春らしい気分がすることよ」
と書いてあり、いかにも今日の空模様に合っているので、この歌の上の句はどう付けたらよいかと思い悩んだ。
 「宰相殿のお席にはどなた方がいらっしゃるの」と尋ねると、「だれそれです」と言う。どなたも皆こちらがたいそう気後れするような立派な方なので、宰相へのお返事をどうしていい加減なものにはできないと、自分だけでは苦しいので中宮様にお目を通していただこうとするが、中宮様は主上がいらっしゃりお休みになっておいでである。主殿司は「早く早く」と言う。たしかに返事まで遅くては、いかにも取り柄がないので、どうにもなれと思い、
「空が寒いので、花のような趣で散る雪に」
と、震え震えして書いて渡したが、どう思われるかと情けなくなる。このお返事の批評を聞きたいと思うが、もしけなされているなら聞きたくないと思っていると、「俊賢の宰相などが感心して、『やはり主上に奏上してあなたを内侍にしたい』と批評しておられた」とだけ、左兵衛の督の中将だった方が話してくださった。
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 ※清少納言らしさが出ている段である。藤原公任の使いが来て、「少し春あるここちこそすれ」という下の句を提示すると、清少納言が間髪(かんはつ)を入れずに「空寒み花にまがへて散る雪に」という上の句を付けた話である。さらに、そのことを天皇にお話しなければと話題になったと自分で書いてしまうのである。天真爛漫な性格であったことがよく分かる。しかし、そのような清少納言を苦々しく感じていたのが、紫式部であった。『紫式部日記』の中で、悪し様に述べている。
 ただし、清少納言と紫式部は、同じ時、宮廷で仕えたことはなかった。すれ違っているのである。藤原道隆の子、定子(ていし)に仕えたのが清少納言、藤原道長の子、彰子(しょうし)に仕えたのが紫式部である。二人が十分に意識していたことは、想像に難くない。

《参考》
       紫式部日記
 清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名(まな)書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみはべれば、艶(えん)になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。
【口語訳】
 清少納言といえば、得意そうな顔をして我慢のならない人。あれほど偉そうに漢字をおおっぴらに書いてはいるが、よく見れば、まだまだ不十分な点がたくさんある。このように、他人より一段と秀でようと思い、そうしたがっている人は、いつか必ず見劣りし、将来は悪くなるばかりだから、風流を気取るくせがついた人は、ひどくもの寂しく何でもない時でもしきりに感動しているようにふるまい、興味あることも見過ごさないようにしているうちに、自然によくない浮ついた態度にもなるのである。そんな浮ついた人は将来、よいことはないはずだ。
          平成30年1月30日 記



          枕草子(1段)
             清少納言
         
 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。
 秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。

【口語訳】
 春は明け方がよい。日が昇るにつれてだんだんと白くなる、その山の辺りの空が少し明るくなって、紫がかっている雲が長くたなびいている様子がすばらしい。
 夏は夜がよい。月が出ている夜はもちろんのこと、(月が出ていない)闇夜で蛍が多く飛び交っている様子もよい。また、蛍の一つや二つが、かすかに光って飛んでいるのもおもしろい。雨が降るのも趣がある。
 秋は夕暮れがよい。夕日が差し込んで、山の端がとても近くなっているときに、烏が寝床へ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と飛び急いでいる様子さえしみじみとした趣がある。まして、雁などが隊列を組んで飛んでいるのが、(遠くに)大変小さく見えるのは、とても趣がある。日が落ちてから聞こえてくる、風の音や虫の鳴く音などは、言うまでもなくすばらしい。
 冬は早朝がよい。雪が降っている朝は言うまでもなく、霜が降りて辺り一面が白くなっているときも、またそうでなくてもとても寒いときに、火などを急いでおこして炭びつまで持っていく様子も、たいそう冬にふさわしい。昼になって暖かくなると、火桶に入った炭火が白く灰っぽくなっているのは感心しない。
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 ※まさに「枕草子」の王道の段である。誰しもが、一度は通過しなければならない作品となっている。本は、経験で読むと言われるが、その差が如実に現れる段であろう。
 春は陽光うららかな景色と誰しもが想像するが、作者はそうではない。光と闇の交錯する微光の一瞬を捉えている。光そのものに対する素朴な感動や賛美ではなく、複雑で陰影に富む「あけぼの」こそ最も美的なものとして取り上げている。夏も闇ではなく、月があり蛍が飛ぶ。通常、秋に出てくる月には言及していない。「雪が降っている朝は言うまでもな」とあるが、昨日はまさにこのような様相を呈していた。しかし、作者の目はそれだけを見詰めているのではない。作者の美意識は、複雑で繊細である。
 日本の文化は、陰影が最も大切だといわれている。確かに、明るい太陽の下で見る能面に深みはない。ほのかな灯りに映し出される能面の姿は、多くのことを物語る。陰影が醸し出す美のかたちである。
 そのように、古来より日本人は微かな光やかそけき音を見、聞き分け喜びとしてきたのである。
          平成30年1月24日 記



          枕草子(151段)
               清少納言
 
 うつくしきもの。瓜にかぎたるちごの顔。すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひくる道に、いと小さきちりのありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる。いとうつくし。頭は尼そぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきてものなど見たるも、うつくし。大きにはあらぬ殿上童(てんじょうわらは)の、装束きたてられてありくもうつくし。をかしげなるちごの、あからさまにいだきて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。

【口語訳】
 かわいらしいもの。瓜にかいてある幼い子どもの顔。すずめの子が、(人が)ねずみの鳴きまねをすると飛び跳ねてやって来る(様子)。2、3歳ぐらいの子どもが、急いではってくる途中に、ほんの小さなほこりがあったのを目ざとく見つけて、とても愛らしい指でつまんで、大人などに見せた(様子)。髪型を尼のように肩の高さで切りそろえた髪型である子どもが、目に髪がかぶさっているのをかきのけることもしないで、首をかしげて何かを見ているのなども、かわいらしい。大きくはない殿上童が、美しく着飾らせられて歩くのもかわいらしい。かわいらしい様子の子どもが、ほんのちょっと抱いて遊ばせかわいがっているうちに、しがみついて寝たのは、とてもかわいらしい。
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 ※「うつくしきもの」とは、「かわいらしいもの」のこと。鋭い切り口で人々の営みを観察していた清少納言は、幼いものを限りない愛情をもって見詰めていた。清少納言の審美眼に驚かされる。
         平成29年11月8日 記



          枕草子(186段)
               清少納言
 
 ふと心劣りとかするものは、男も女も、言葉の文字いやしう使ひたるこそ、よろづのことよりまさりてわろけれ。ただ文字一つに、あやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思ふ人、ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。

【口語訳】
 不意に幻滅することだが、男性も女性も、言葉遣いを下品に操っているのは、何事にもましてよくない。ただ文字一つで、不思議なことに、上品にも下品にもなるのは、どういうわけだろうか。そうはいうものの、こう思う人(清少納言自身)が、特に優れているというわけでもない。(とすると)何が正しくて何が良くないと判断するのか。しかし、人の考えは知らないが、(私は)ただそのように思う。
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 ※心して言葉は使いたいものだ。そこに人間性が現れる。
         平成29年10月28日 記



          枕草子(25段)
               清少納言

  除目(じもく)に官(つかさ)得ぬ人の家。今年はかならずと聞きて、はやうありし者どもの外々(ほかほか)なりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集り来て、出で入(い)る車の轅(ながえ)もひまなく見え、物詣でする供に、我も我もと参り仕うまつり、物食ひ酒飲み、ののしりあへるに、果つる暁まで門叩く音もせず、「怪しう」など、耳立てて聞けば、前駆(さき)追ふ声々などして上達部(かんだちめ)など皆出で給ひぬ。
 もの聞きに、宵より寒がりわななき居りける下衆男(げすおとこ)、いと物憂げに歩み来るを、をる者どもは、え問ひにだに問はず、外より来たる者などぞ、「殿は何にかならせ給ひたる」など問ふに、答へ(いらえ)には、「何の前司(ぜんじ)にこそは」などぞ、必ず答ふる。まことに頼みける者は、いと歎かしと思へり。
 翌朝(つとめて)になりて、隙なくをりつる者ども、一人二人すべり出でて去(い)ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎ歩きたるも、いとほしう、すさまじげなり。

【口語訳】
 除目(人事)で官職を得られなかった家。今年こそは必ず任官できると聞いていて、以前その家に仕えていて今はよそへ仕えている者や田舎に住まう者たちが皆集まってきて、出入りする車の轅も途切れなく見え、(本人が祈願のために)参詣するお供に、我も我もと付いていき、物を食べて酒を飲んで騒いでいたが、除目が終わる明け方まで門を叩く音がせず、「おかしい」と思って耳をそばだてて聞くと、先払いする声など幾つも聞こえて、上達部などもみんな宮中から退出してしまわれた。
 任官の知らせを聞くために、宵のうちから寒さに震えながら御所に行っていた下男が、とても大儀そうに歩いて帰ってくるので、そこにいた連中は質問することもできない。よそからやって来ていた者などが、「御主人は何の役職に就かれたのですか」などと聞くと、それに答えて、「以前は、どこどこの国司でした」などと決まり文句を言う。(任官を心頼みにしていた人は)すごく嘆かわしく思っている。
 翌朝になると、あれだけ沢山詰めかけていた者たちが、一人、二人と去っていく。古くから主人に仕えている人で、離れることもできない人は、来年、国司の交替の国々を指折り数えて、意気消沈して歩き回っているのも、気の毒で興ざめがする。
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 ※「すさまじきもの(興ざめなもの)」として、清少納言は幾つかのことを挙げている。その一つが、この「除目」に関してのことである。「除目」とは、官吏任免の儀式のことであり、春秋二回あった。人々の立つ位置や心の有り様が見えておもしろい。
 ところで、このような光景は現在も多く見られる。先般、内閣改造があったが、今年こそは大臣就任と心待ちにして夢叶わなかった人も多くいたはずだ。また、選挙などの折り、落選した候補者の事務所はまさにこの作品とそっくりだ。引き潮のように人が引いていくのをよく目にする。そう考えると、人の心は千年前とあまり変わっていないことが理解できる。
         平成29年8月5日 記



          枕草子(8段)
                        清少納言
 
 大進生昌(だいじんなりまさ)が家に、宮の出でさせ給ふに、東の門は四足になして、それより御輿(みこし)は入らせ給ふ。北の門より、女房の車どもも、まだ陣屋(ぢんや)のゐねば入りなむ、と思ひて、頭つきわろき人も、いたうもつくろはず、寄せて降るべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛(びらうげ)の車などは門(かど)小さければ、さはりてえ入らねば、例の筵道(えんだう)敷きて降るるに、いとにくく腹立たしけれども、いかがはせむ。殿上人(てんじゃうびと)、地下(じげ)なるも、陣に立ちそひて見るも、いとねたし。

【口語訳】
 大進平生昌の家に、中宮定子(ちゅうぐうていし)様がご出産のお里下がりで、お出ましになられというので東の門を四足門に造り替えて、そこから中宮定子様の御輿はお入りになる。私たち女房の車も、詰め所の番人もいないから、(車のままで)北の門から入っしまおうと思って、髪が乱れている人もたいして整えないまま、車を建物に横付けして降りることができるものと油断していたら、檳榔毛の車などは、門の方が小さくてつかえて入ることができない。いつもどおり筵を敷いて降りることになったので、本当に憎らしく腹が立つけれど、どうにもならない。殿上人や地下人が、詰め所の傍に立ってこっちを見てるのも、ひどく癪(しゃく)に障る。
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 ※999年8月9日の出来事を書いたものである。中宮定子24歳、清少納言34歳であった。4年前、藤原道隆(定子の父)の死去以来、藤原道長の勢力に押され、一家は、兄藤原伊周(ふじわらのこれちか)、弟藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が左遷されるなど悲運の境遇となっていく。出産は、普通、父親や兄弟の邸に下るのが常ではあったが、中宮定子には、もはやそのような後ろ盾になる人がいなかった。そのため、中宮付きの三等官であった生昌の家に行かざるおえなかった。その顛末(てんまつ)を滑稽に書いた段である。滑稽故に背後に悲しみを背負っていることが分かる。ちなみに、この時生まれたのが、一条天皇の第一皇子・敦康親王である。中宮定子は、1000年の暮れ、第二皇女・媄子(びし)内親王を出産した直後に、この生昌の家で崩御することになる。失意の中での死であった。
 ところで、関白藤原道隆(中関白家)が死去すると、関白の地位は弟藤原道兼(栗田関白家)へと移ったが、わずか7日間で急死することになる。そこで、転がり込むように実権は、弟藤原道長(御堂関白家)へと移っていく。このように具合良く人が死んでいくものかと疑問をもつ。何かどす黒い陰謀のようなものを感じてしまうのは、私一人であろうか。
        平成28年3月13日 記 



       「枕草子」 (226段)
                  清少納言

 賀茂へ参る道に、田植えうとて、女の、新しき折敷(おしき)のやうなるものを笠に着て、いと多う立ちて、歌をうたふ。折れ伏すように、また何事するとも見えで後ろざまに行く、いかなるにかあらむ、をかしと見るほどに、ほととぎすをいとなめう歌ふ、聞くにぞ心憂き。「ほととぎす、おれ、かやつよ。おれ鳴きてこそ、われは田植うれ。」とうたふを聞くも、いかなる人か、「いたくな鳴きそ」とはいひけむ。仲忠(なかただ)が童生ひ言ひおとす人と、ほととぎす、うぐひすに劣ると言ふ人こそ、いとつらうにくけれ。

【口語訳】
 賀茂神社にお参りする途中で、田植えをするのだといって、女たちが、新しいお盆のようなものを笠にかぶって、たいそうおおぜい立って歌を歌っている。折れ伏すようなかっこうで、また何事をするともわからない様子で、後しざりをして行くには、《いったい》どういうわけであろうか、面白いと思って見ているうちに、ほととぎすをたいそうばかにしたように歌う、それを聞くとすっかりいやになる。「ほととぎす、おのれ、あいつ。お前が鳴くので、わしは田植えをしなければならぬ。」と歌うのを聞くにつけても、いったいどんな人が《ほととぎすの声を惜しんで》「いたくな鳴きそ(そんなに鳴くな)。」と言ったのであろう。仲忠の幼少時代を《卑しい生活だったと》悪くいう人と、ほととぎすはうぐいすに劣るという人とは、じつにひどくて憎らしい。
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※「仲忠」とは、「宇津保物語」の主人公。仲忠は木の空洞で育ったため、その身分の卑しさを悪く言う人がいた。清少納言は、仲忠びいきであった。
 宮廷人の清少納言にとって、田植えも違う世界のものに見えたのであろう。貴族社会と民衆社会とには乖離がある。
         平成28年3月7日 記



       「枕草子」 (42段)
                  清少納言
    
 薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。かりのこ。削り氷(けずりひ)のあまづら入れて、新しき鋺(かなまり)に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじう美しきちごの、いちごなど食ひたる。

【口語訳】
 薄紫色の衵(あこめ)に白がさねの汗衫(かざみ)。カルガモの卵。削った氷に甘いあまづらを入れて、新しい金のお椀に入れたもの。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかっている景色。とても可愛らしい幼い子どもが、苺などを食べている姿。
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※平安時代であるから、現代と環境も世情もまったく違う。それなのに、清少納言の感性には驚かされ、畏敬にも似たものを感ずるのは私だけであろうか。
         平成28年3月6日 記



       「枕草子」 (28段)
                  清少納言

 急ぐ事ある折に来て、長言する客人。あなづりやすき人ならば、「後に」とてもやりつべけれど、心恥づかしき人、いとにくくむつかし。硯に髪の入りて磨られたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。
 にはかにわづらふ人のあるに、験者もとむるに、例ある所になくて、他に尋ね歩く程、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、よろこびながら加持せさするに、この頃、物の怪にあづかりて困じにけるにや、ゐるままにすなはち眠り声なる、いとにくし。

【口語訳】
 急用がある時に来て長話する客。どうでもいい人ならば「また後で」と言って追い返すことが出来るけど、そうかといってやっぱり自分より立派な人の場合は、とても嫌でおもしろくない。硯に髪が入って、すられてしまったの。また、墨の中に石が混ざっていて、ぎしぎしと音をたてるのもにくらしい。
 急に病気になった人がいるので、修験者を探し求めると、いつもいる所にはいず、使いの者が尋ねている間はとても待ち遠しく、長い時間に感じられる。やっとの事で待ち迎えて、加持祈祷をさせると、最近、物の怪にかかわっていて、とても疲れているのか、座ると眠そうな読経の声になるのは本当にくらしい。
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※人の家を訪問する時は、相手の都合も確かめる必要がある。意外に無頓着になってしまうことがある。
         平成28年2月19日 記



          枕草子(122段
               清少納言

 はしたなきものこと人を呼ぶに、われぞとてさし出でたる。物などとらするをりはいとど。おのづから人の上などうちいひそしりたるに、をさなき子どもの聞きとりて、その人のあるにいひ出でたる。
 あはれなることなど、人のいひ出で、うち泣きなどするに、げにいとあはれなりなど聞きながら、涙のつと出で来ぬ、いとはしたなし。泣き顔つくり、けしき異になせど、いとかひなし。めでたきことを見聞くには、まづただ出で来にぞ出でくる。

【口語訳】
 きまりの悪いもの。他の人を呼んだのに、自分かと思って出しゃばった時。何かをくれるときは、いっそうきまりが悪い。何となく人の噂話などして悪く言ったことを、幼い子どもが聞き覚えていて、その人の前でしゃべってしまった時。
 悲しいことなどを人が話し出して、ふと泣いたりするのに、まことにたいそう可哀相だと思って聞いていながらも、涙がすぐに出てこないのは、ひどくきまりが悪い。泣き顔をつくり、悲しそうな顔つきをしてみても、全くかいがない。それとは反対にすばらしいことを見たり聞いたりして、真っ先に涙がやたらに出てくるのも困ったものだ。
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 ※清少納言が「枕草子」を書き上げたのは、1000年頃である。そうすると、今から1000以上前の時代になる。しかし、そこに描かれていることは、今の時代の心の有り様と何ら変わるものではない。時代の風雪に耐えて読み継がれてきなものは、確かなものだ。
         平成28年2月17日 記



      「枕草子」 (114段)
             清少納言

  右衞門佐(うえもんのすけ)宣孝(のぶたか)といひたる人は、
「あぢきなきことなり。ただきよき衣を着て詣でむに、なでふことかあらむ。かならずよも、『あやしうて詣でよ』と、御嶽さらにのたまはじ」
とて、三月晦(つもごり)、紫のいと濃き指貫、白き襖(あを)、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が主殿助(とのものすけ)には、 青色の襖、紅の衣(きぬ)、すりもどろかしたる水干(すいかん)といふ袴を着せて、うちつづき詣でたりけるを、帰る人もいま詣づるも、珍しうあやしきことに、
「すべて昔よりこの山に、かかる姿の人見えざりつ」
と、あさましがりを、四月朔(ついたち)に帰りて、六月十日のほどに、筑前守の辞せしに、なりたりしこそ、
「げに言ひけるにたがはずも」と聞こえしか。
これは、あはれなることにはあらねど、御嶽のついでなり。
【口語訳】
 右衞門佐宣孝と呼んでいた人は、
「面白くないことだ。世間並みに浄い衣を着て参詣したって大した御利益はあるまい。
まさか必ず『粗末な身なりで参詣せよ』と権現様も決しておっしゃるまい」
と3月の末日に濃い紫の指貫・白い狩衣・山吹のとても派手な衣などを着て、(宣孝の子どもで)主殿助でいる隆光には、青色の狩衣・紅の衣・手の込んだ摺り模様の水干を着せて、供揃えも長々と参詣したらしいのを、吉野から京に帰る人も、これから参詣する人も珍妙奇態なことだとして
「一体全体、昔からこのお山で、こんな身なりの人は見かけたことがない」
とあきれかえったのだが、4月1日に下山して、6月10日頃に、筑前守が辞職した後釜に任ぜられたからたまらない
 「なるほど、言っていたことが、当たるとはね」 と評判になった。
 これは、(本段の題である)しみじみと感動させられることではないが、金峰山詣でのついでだ。
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※ 藤原宣孝は、紫式部と結婚し一女をもうける。宣孝が非常識に華美な服装で御嶽詣でを敢行した逸話を、宣孝没後に清少納言は紹介する。未亡人となった紫式部は、清少納言を仇敵視するようになる。筆禍の因となった段である。

《参考》
 
    「紫式部日記」
                紫式部
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。
 【口語訳】
 清少納言といえば、得意そうな顔をして我慢のならない人。あれほど偉そうに漢字をおおっぴらに書いてはいるが、よく見れば、まだまだ不十分な点がたくさんある。
          平成28年2月14日 記



          枕草子(30段)
                    清少納言

 過ぎにしかた恋しきもの、枯れたる葵。ひひな遊びの調度。二藍(ふたあゐ)・えび染などのさいでの、おしへされて草子の中などにありける見つけたる。また、をりからあはれなりし人の文、雨など降り、つれづれなる日、さがしいでたる。こぞのかはほり。
【口語訳】
 過ぎ去ってしまった時のことが恋しく思われるもの。枯れ残っている(賀茂祭の時の)葵。人形遊びの道具。二藍やえび染などの布の裁ち切れが、ぴったりと押しつけられて本の中などにあったのを見つけたの。また受け取った時しみじみと感じが深かった手紙を、雨などが降って心さびしく退屈な日に、捜し出したの。昨年の(使った)夏扇。
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 ※誰しもが過去を背負いつつ、人生を送ることになる。思い出す起点は、様々である。不思議なのは、その香りまで思い出すものがあることだ。清少納言は、独特の感覚でそれらを挙げている。
 清少納言は、清原元輔の娘である。清少納言の「清」は、清原氏の意である。当時女房の宮廷での呼び名は、父・兄・夫など身近な人の官名に基づいて付けられることが多かった。清少納言の「少納言」は、誰かが「少納言」であったために付けられたことになる。
        平成28年2月10日 記




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