万葉集
防人の歌
韓衣(からころも)裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母(おも)なしにして
父母が頭(かしら)かき撫で幸くあれていひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる
防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思ひもせず
わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず
我(あ)が面(もて)の忘れもしだは筑波嶺を振り放(さ)け見つつ妹は偲はね
闇の夜の行く先知らず行く我をいつ来まさむと問ひし児(こ)らはも
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※防人とは、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から、九州沿岸の防衛のため設置された辺境防備の兵のことである。もとは岬守(みさきまもり)と呼ばれたが、これに唐の制度である「防人」の漢字を当てた。
防人は厳しい任務であり、遠い東国から九州までを自力で移動せねばならず、さらにその任務期間中の兵は食糧も武器も各自で調達した。また、税の免除も行われなかったため、兵士の士気は低かったという。そのような状況で作られたのが防人の歌である。両親を子を妻を思う気持ちの出でいる素朴な歌が多い。兵役が解かれ故郷に帰参する際に命を落とすものも多く、まさに防人に行くときは今生(こんじょう)の別れであった。
年号「令和」が制定され、何かとその出典の『万葉集』が注目されている。この機会に古代のロマンと歴史の変遷に刮目(かつもく)してみるのも面白いだろう。
令和元年5月20日 記