齋藤茂吉
みちのおくの母の命を一目見ん一目見んとぞただに急げる
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかわず天に聞ゆる
死に近き母が額を撫りつつ涙ながれて居たりけるかな
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳(ち)足らひし母よ
のど赤き 玄鳥ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は 死にたまふなり
星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
最上川 逆白波のたつまでにふぶくゆふべと なりにけるかも
あかあかと一本の道とほりたり たまきはるわが命なりけり
いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるもを
夕されば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも
わが友は信濃の国にみまかりてひたすら寂しこの逝春を
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※ 「みちのおくの母の命を一目見ん一目見んとぞただに急げる」
「母危篤」の電報をもらい、急ぎ上野から列車に乗り帰郷する斎藤茂吉。命つきるまでの時間の大切さ、母親への感謝と思慕、茂吉の心の有り様が手に取るように分かる。6首は、母親の死に関するものである。
「いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるもを」
誰しもが辿る途(みち)である。今を精一杯生きているだろうか、忸怩(じくじ)たるものがある。高校剣道部の同期が既に2名亡くなり、限りある命を生きていることを突きつけられている。
「あかあかと一本の道とほりたり たまきはるわが命なりけり」
一本の道を歩み突き詰めることの大切さが分かる。「去年(こぞ)今年貫く棒のごときもの」(高浜虚子)という俳句もある。
令和2年2月3日 記