外甥(がいせい)政直(まさなお)に示す
西郷 隆盛
一貫、唯唯(いい)の諾
従来、鉄石(てっせき)の肝
貧居(ひんきょ)、傑士(けっし)を生み
勲業(くんぎょう)多難に顕(あら)わる
雪に耐えて梅花麗(うるわ)しく
霜を経て楓葉(ふうよう)丹(あか)し
如(も)し、能(よ)く、天意を識(し)らば、
豈(あに)敢(あえ)て、自から安きを謀(はか)らむや
【口語訳】
一度「よろしい、引き受けよう」と心に誓った事は、どこまでも唯ひたむきにそれを貫き通さなければならない。これまで保ってきた鉄や石の如き胆力は、いつまでもそれを変えてはならない。
豪傑の士というものは貧しい生活をしてきた人の中から現れ、高く評価される事業というものは、多くの艱難を経て成し遂げられるのだ。初春の雪の冷たさを耐え忍んだ梅の花が麗しく咲いて芳香を放つように、晩秋の深い霜をしのいで楓の葉が真っ赤に染まるように(人間というものは、辛いことや
苦しいことを耐え忍んでこそ大成するのだ)。(天は人々に本分を授けている。)もしこれらの天意が理解できたのなら、どうして我が身の「安楽を謀る」ような生き方が出来るだろうか(決してしてはならないのだ)。
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※西郷隆盛が、1872年(明治5年)に甥の市来政直(いちきなおまさ)のアメリカ留学に際してに送ったものだ。歴史に名を残す大丈夫(だいじょうふ)は、さすがに考え方が違う。「雪に耐えて梅花麗しく」の一節は、広島の黒田博樹投手の座右の銘だという。ヤンキースの高額の慰留を蹴って広島に復帰、今年広島カープを優勝に導く原動力となった。それを最後に球界を引退するという。ここにも男の生き様を示し、名を残す人がいる。
平成28年11月2日 記
偶 成
西郷 隆盛
幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、
丈夫玉碎すとも甎全(せんぜん)を恥づ。
一家の遺事人知るや否や、
兒孫(じそん)の爲に美田(びでん)を買はず。
【口語訳】
何度か辛いことを経験して志はさらに強固になる。男子ならば、死んだとしても志を曲げて、瓦のように値打ちのないものにならない。私の家の遺訓を誰が知っているだろうか。子孫のために財産は残さない。
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※「兒孫(じそん)の爲に美田(びでん)を買はず。」幕末から明治維新を駆け抜けた大丈夫の重い言葉だ。肝に銘じたい。その人物ゆえに、今でも鹿児島では絶対的な人気だという。明治政府の重鎮から下野し、西南戦争の中心人物となり自刃する。鹿児島を訪れて見た城壁に残る弾痕が、今もその惨状を伝えている。
平成27年4月14日 記