論語   

            論語

 子曰く、学びて時に之を習ふ。亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずやと。

【口語訳】
 孔子はおっしゃいました。習ったことを機会があるごとに復習し身につけていくことは、なんと喜ばしいことではないか。友人が遠方からわざわざ私のために訪ねてきてくれることは、なんと嬉しいことではないか。他人が自分を認めてくれないからといって不平不満を言うことはない。なんと徳のある人ではないか。

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※人生の中で、「人知らずして慍みず」の境地に達するには、よほど修練を積まなければなるまい。誰にとっても難しいことかもしれない。
 「亦説ばしからずや」の「や」は反語で、「~でないだろうか、いや~である」となる。話し手が自分の述べたいことを特に強調したい時、このかたちをとる。「亦楽しからずや」「亦君子ならずや」も同じである。
         平成31年3月23日 記



          論語

  會子(そうし)曰く、士は以て弘毅(こうき)ならざる可(べ)からず。任重くして道遠し。仁を以て己が任と為(な)す。亦(また)重からずや。死して後に已(や)む。亦遠からずや。

 【口語訳】
 會子が言う。大丈夫(立派な人物)として世に立つ士たる者は、度量がひろく意志が強固でなければならない。なぜなら、大丈夫の一生は、重い荷物を背負って遠い道をいくようなものであるからである。士は、仁の実現をもって自分の任となしている。その任は重い。また、死ぬまで、その任務の遂行をしなければならない。その歩む道のなんと遠いことか。

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※仁道を貫き通すことは難しい。死をもって、その任は解ける。それだけ重いもので、誰しもができるものではないが、目指すべきものである。『論語』のなかでも好きな一節である。
          平成31年3月19日 記



          論語

 子曰く、君子は泰(ゆた)かにして驕(おご)らず。小人(しょうじん)は驕りて泰かならず。

 【口語訳】
 孔子が言う。君子は、泰然としておおらかな態度を持する。しかも、驕り高ぶることがない。これに反して、小人は、わずかなことにも驕り誇りるが、心の修養がないためゆったりとしたところが見られない。

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※君子と小人とでは、なんと行動に差違があることか。小人は心の豊かさに乏しい。「小人閑居して不善をなす」『大学』という言葉もある。けだし、名言である。
          平成31年3月17日 記



          論語

  子の疾(やまい)病(おもき)なり。子路、門人をして臣たらしむ。病間(かん)なるときに日(のたま)わく、久しいかな、由の詐(いつわり)を行うや。臣無くして臣有りと為す。吾誰をか欺かん。天を欺かんか。且(か)つ予(われ)其の臣の手に死なん与(よ)りは、無寧(むしろ)二三子(にさんし)の手に死なんか。且つ予縦(たと)い大葬を得ずとも、予(われ)道路に死なんや。

 【口語訳】
 孔子の病が重くなり危篤状態に陥った。子路は孔子の葬儀を立派なものにしようと思って、門人達を家臣に仕立てて役を割り振った。危篤状態から脱して小康を得た孔子がこれに気付いて云った、「由よ、お前は久しい間いつわりを行ってきたのだな。私には家臣などいないのに、門人たちを家臣のように見せ掛けて、一体誰を騙そうというのか?天でも騙そうというのか?私は大夫として家臣に看取られて死ぬよりは、寧ろお前たちの手に抱かれて死にたいものだ。たとえ立派な葬儀はできなくとも、まさか道路で野垂れ死にすることもあるまいよ」と。

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※『梅里先生碑陰ならびに銘』の「嗚呼骨肉は天命終る所の處(ところ)に委せ、水には則ち魚鼈(ぎょべつ)に施し山には則ち禽獣(きんじゅう)に飽かしめん。何(なん)ぞ劉伶(りゅうれい)の鍤(すき)を用ひんや」のほうが共感がもてる。道路に野垂れ死にしたっていいではないか。
          平成30年1月12日 記



          論語

 子曰く、譬(たと)へば山を爲(つく)るが如し。未だ一簣(いっき)を爲(な)さずして、止むは吾が止むなり。譬へば地を平らかにするが如し。一簣を覆(くつがえ)すと雖(いえど)も、進むは吾が往くなり。

 【口語訳】
 孔子が言う。人が学を修め徳を積んでいく姿は、土を盛り上げて山を作るようなものである。あと一簣で山が出来るというところで仕事を中止すれば、責任は自分にある。また、凸凹の道を平らかにするようなものでもある。一簣の土でも盛れば、仕事が進んだことになる。この場合も、自分の意志で進んだことになる。

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※『書経』に「山を爲ること九仞(きゅうじん)、功を一簣に欠く。」とある。諺にも「九仞の功を一簣に欠く。」とある。意味は、事が成就するするときになって、ちょっとした油断で失敗すること。簣は、土を運ぶ「もっこ」のこと。事の成否は、すべて己のなせる技である。
          平成30年1月7日 記



            論語

  己立たんと欲して人を立て、己達(たっ)せんと欲して人を達す。
【口語訳】
 自分の名誉を大切に思うなら、まず他人の名誉を重んずる。自分が自由でありたければ、まず他人の自由を重んずる。

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※この気持ちがなければ、人との良好な関係は構築できまい。己、己では駄目なのである。これは、すべての根源である。
         平成28年8月18日 記



            論語

  直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんぺき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり。

【口語訳】
 有益な友とは、素直で正直である人、誠実な人、見聞が広い人であり、有害な友とは、人に媚びへつらう人、人あたりは良いが誠実でない人、口先ばかりの人を言う。

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※これより「益者三友、損者三友」という言葉が生まれた。付き合う人は、よくよく選択したいものである。しっかりとした生活をしないと、「損者」になる可能性も出てくる。
         平成28年8月7日 記




            論語

 子曰く、歳(とし)寒くして、然(しか)る後に松柏(しょうはく)の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る。

 【口語訳】
 孔子が言う。寒い時期になって初めて、松や柏が他の草木の枯れ凋むなかに、依然として緑色のままで残っていることが分かる。

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※ことがあって、初めて平素積み重ねた修養の本領が現れるということをいっている。「盤根錯節(ばんこんさくせつ)に遭はずんば、何を以て利器を別かたんや。」と同じ意味になる。「処置の困難な問題にぶつかった時にこそ、その人物の価値が分かる。盤根錯節は、樹木の根や枝幹がねじれてごつごつしている様子、利器はよく切れる刃物のこと。」ということである。
 耳に痛い言葉だ。何度も自分に言い聞かせている。
           平成28年3月3日 記



          論語

 子曰く、之を知る者は、之を好む者に如(し)かず。之を好む者は、楽しむ者に如かず。

 【口語訳】
 孔子が言う。知っているだけの者は、愛好する者には及ばない。愛好する者は、真に楽しむ者には及ばない。

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※ことに臨んで、邪念が交錯してなかなかうまくいかない。この境地に、いつ成れるのであろうか。
           平成27年7月2日 記



          論語

 子曰く、君子は諸(これ)を己に求む。小人(しょうじん)は諸を人に求む。

 【口語訳】
 孔子が言う。君子は何事も自分に求め、自分を責めるが、小人はこれに反して、何事も人に求め、人を責める。

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※不都合なことがあると、責任を転嫁するのは世の常か。反省をしなければならないことが多い。
          平成27年7月1日 記




          論語

  子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩る。

 【口語訳】
 孔子は言う。君子は、万事を処するに正しい道筋にかなっているかどうかで判断し、小人は利益になるかどうかで判断する。

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※世界中の揉め事も、正しい規範で判断すれば自ずから結論は出るはずなのに、自国の利益や自己中心的な考え方を基本として行動するから解決に至らない。世界中がきな臭い、政治を注視しないと大変なことになりそうな気がしている。
 君子は徳を備えた立派な人物、小人は姑息なつまらない人。君子が政治を司らなければならない。
           平成27年5月24日 記



          論語

 子曰く、吾十有五にして學に志し、三十にして立ち、四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみしたが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず。 

 【口語訳】
 孔子は言う。自分は、十五歳頃から聖人の学に志した。三十歳頃、思想も確立し見識もたった。四十歳頃、事理に明らかになり、心に迷いをもつことがなくなった。五十歳頃、天が自分に賦与した使命を自覚した。六十歳頃、何事を聞いても素直に聞き取ることができるようになった。七十歳頃、自分の心のままに行動しても道徳の規範を越えることがなくなった。  

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※この文章から、十五を志学、三十を而立、四十を不惑、五十を知名、六十を耳順、七十を従心というようになった。改めて己の人生を振り返りたいものである。
           平成27年5月11日 記
 



          論語

 子曰く、由(ゆう)、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)へんか。之を知るを之を知ると爲(な) し知らざるを知らずと爲せ。是れ知るなり。
 
 【口語訳】
 孔子は、子路に物事を知るということを教える。知っていることと知らないことを、はっきり区別することであると。それが本当に知っていることである。
 
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※孔子の門人、子路は、殊に勇をもって称された人である。ややもすると自分の知っていないこともまでも、分かっているように考えがちな人物であった。そこで、その性癖を窘(たしな)めるために言った言葉である。我々も知っていないことを知っているふりして失敗することが、日常の中にある。肝に銘じだい。
            平成27年5月10日 記


          論語

  貧しくて怨(うら)むこと無きは難(かた)く,富みて驕(おご)ること無きは易し
 
 【口語訳】
 裕福で傲慢(ごうまん)にならないのは,それほど難しいことではないが,貧しくて怨むことをしないのは難しい。

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※貧しければ卑屈になりがちである。貧しさに負けず、己を保つのも修行につながる。
          平成27年5月7日 記



        論語

  人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患う。

 【口語訳】
 他人が自分のことを正当に評価しないと不平を言うのは筋違いである。自分こそ他人の真価を理解できないと気にすべきである。

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※自分の不甲斐なさを他人のせいにするのが、凡人の常である。人をあれこれと言う前に自分自身を振り返りたい。
           平成27年5月1日 記



        論語


  下問を恥じず。

 【口語訳】
   目下の者に教わることを恥としない。

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※このことは、とても大切なことである。年齢が下の者に教わることは恥ずかしいと考えがちであるが、その人が、力量があったり知識があったりした場合は 拘泥する必要はない。しかし、これが難しいのも人の世の常である。難しいことであるから、このように戒めとして残っているのであろう。
         平成27年4月30日 記



          論語

 子曰く、其の身正しければ、令せずとも行はれ、其の身正しからざれば、令すと雖も従はず。

 【口語訳】
 孔子がおっしゃる。為政者自らが正しければ特に命令をくださなくとも行われるが、正しくなければいかに命令をくだしたところで民は服従しない。

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※常に上に立つものは、身を律して行動すべきものである。それが上に立つ者の責務である。
          平成27年2月8日 記



          論語

 子曰く、君子に九思(きゅうし)有り。視には明を思ひ、聴には聡を思ひ、色には温を思ひ、貌(ぼう)には恭を思ひ、言には忠を思ひ、事には敬を思ひ、疑には問を思ひ、忿(ふん)には難を思ひ、得を見ては義を思ふ。

 【口語訳】
 孔子がお話になる。教養人には心を尽くす九つのことがある。見る時は明瞭に、聴く時にはうわべだけではなく、顔色は柔和に、態度は謙遜して、言葉は真心を込めて、仕事には慎み深く、疑問には問うて残すことなく、腹を立てる時は他に難儀が及ばないように、利得があるときは正・不正を見極める、というように。
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※自分が真の教養人であるかどうか、この観点から見直したらどうであろうか。ちなみに私は、何点も叶っていない。
           平成27年2月8日 記


          論語

  子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人(しょうじん)は是に反す。

 【口語訳】
 孔子がおっしゃる。君子は、長所を伸ばし欠点を補いかばう。小人はまるっきり正反対のことを行う。

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※君子と小人は、『論語』の中でよく使われる言葉であり、対極にある。人を指導するのは、実に難しい。時として、やりすぎて恨みをかうこともある。中庸が大切かもしれない。
          平成27年2月6日 記



          論語

  季路、鬼神(きしん)に事(つか)へんことを問ふ。子曰く、未だ人に事ふること能(あた)はず、焉(いづく)んぞ能(よ)く鬼に事へんと。敢て死を問ふと。未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。

 【口語訳】
 子路が、鬼神につかえる道(祭祀を営む場合の心得)を質問した。これに対して孔子は、生きている人間にまだ十分つかえることの出来ない者が、どうして鬼神につかえようかと答えた。次に、死についてお尋ねしますと質問すると、孔子は、まだ生きている人間のことが十分に分かっていないのに、どうして死について知りえようかと戒めた。

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※「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」という文が、心に残った。精一杯生きることが、我々の使命だろう。
 子路は、孔子門下でも武勇を好み、性格はいささか軽率なところがあり、それ故、孔子に戒められる場面も多くあった。上記の文章も、その一例である。しかし、率直な性格は孔子に愛され、「我とともにするは、それ由(子路のこと)なるか」と言っている。
           平成27年2月5日 記




          論語

 子曰く、君子の道なる者三。我能(よ)くすること無し。仁者は憂へず、知者は惑はず、勇者は懼(おそ)れず。 

 【口語訳】
 孔子は、君子として行う重大な事柄が三つあり、自分としてはどれも不十分だという。仁者の徳を積んで、内にやましいことがない憂いなき態度である。知者の事理に通じて物事の分別に迷わぬ態度である。勇者の義に勇んで事に当たって懼れぬ態度である。
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※仁・知・勇の三徳を備えることの難しさよ。私は対極を歩んでいるいる気がする。
          平成27年2月3日 記


          論語

 子曰く、賢を見ては齊(ひと)しからんことを思ひ、不賢を見ては内に自ら省みる。

【口語訳】
 孔子がおっしゃる、自分より立派な行いをする人を見たなら、この人のようにありたいと念願し、思わしくない行いをする人を見たら、自分にもこのようなことがないかと反省するのがよい。
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※自己中心的に物事を考えるのが人間だから、他人の行動で自戒することは難しい。自分の心の内なる律が、どれほどのものかによってこのことは決まってくるだろう。
           平成27年1月30日 記


          論語

 子曰く、位無きを患(うれ)へずして、立つ所以を患ふ。己を知る莫(な)きを患へずして、知らる可(べ)きを為さんことを求む。

 【口語訳】
 孔子は言う、人は自分に地位のないことを気にする必要はない。どうしたら、その地位に足る実力を養うことができるかという点に心配りをするべきである。また、世の中の人が、自分の価値を知らないことを心に掛ける必要はない。いかにしたならば、人から知られるだけの資質を得られるかという点に心を用いるべきである。
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※自分の資質を磨かないうちに、名誉や地位を欲しがるのが世の常である。手に入れるために、悪辣な手段をつかう輩(やから)もいるとも聞く。地位や名誉は、周りが押し上げるものである。それに値する人間であれば、周りが放置してはいないということだ。
力の無い人間が、その地位につくと虚勢を張り、部下を恫喝したり威張り散らしたりする。
          平成27年1月27日 記


          論語

   子曰く、君子は周して比せず。小人(しょうじん)は比して周せず。

 【口語訳】
 孔子は言う、君子は誰彼の区別なく広く公平に交わって、偏狭な交わりをしない。これに対して、小人は広く公平な交わりをせず偏狭な交わりをする。。
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※自分をしっかり高めないと「小人」になってしまう。
          平成27年1月26日 記