李白

    早(つと)に白帝城を発(はっ)す
                唐  李白

 朝(あした)に辞す白帝彩雲(はくていさいうん)の間
 千里の江陵(こうりょう)一日にして還る
 両岸の猿声(えんえい)啼いて住(や)まざるに
 軽舟已(すで)に過ぐ万重の山
          
【口語訳】
 朝早く朝焼けの空に雲が美しくたなびく中、白帝城を出発し、千里先の江陵まで一日で帰っていく。両岸から聞こえる寂しげな猿の声がなりやまぬうちに、私の小さな舟はもう幾万にも重なった山の間を通り過ぎてゆく。
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※中国の猿は、もの悲しい動物として詩や文章に出てくる。秋の夕暮れに猿の声を聞くと、悲しくて腸が断ち切れるという詩句もある。「断腸の思い」という故事成語も猿に由来する。この詩のポイントは転句にある。

               平成29年12月26日 記



   友人を送る
             唐 李白

 青山(せいざん) 北郭(ほっかく)に横たわり
 白水(はくすい) 東城を遶(めぐ)る
 此の地 一たび別れを為(な)し
 孤蓬(こほう) 万里に征(ゆ)く
 浮雲(ふうん) 遊子(ゆうし)の意
 落日 故人の情(じょう)
 手を揮(ふる)って茲(ここ)より去れば
 蕭蕭(しょうしょう)として 班馬(はんば)鳴く
           
【口語訳】 
 青々とした山が町の北側に横たわっている。白く光る水が、町の東側をぐるっと回って流れている。この地で一旦別れを告げれば、孤独なヨモギ(孤独な旅の象徴としての表現)が、万里の向こうにまで旅をしてゆく。ぽっかりと浮かぶ雲。その雲の心こそは、旅に出る君の心そのものなのだ。沈みゆく夕陽は、それは君を見送る私の気持ちだ。手を振ってここから去ってゆくと、馬も寂しげに鳴く。
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※「故人」とは、親友のことである。友との別れの悲しみは、現代とは比較にならないほど大きかったろう。新幹線、飛行機、自動車、携帯電話などにより狭くなった今日、別れも昔のように重い意味をもたなくなってしまった。
 松尾芭蕉は、杉山杉風との別離に「杉風へ申し候。ひさびさ厚志、死後まで忘れ難く存じ候。不慮なる所にて相果て、御いとまごひ致さざる段、互に存念、是非なきことに存じ候。いよいよ俳諧御つとめ候て、老後の御楽しみになさるべく候。」の言葉を残している。まさに今生の別れだった。
        平成29年4月8日 記



 静夜詩
             唐 李白

 牀前(しょうぜん)月光を看る
 疑うらくは是地上の霜かと
 頭(こうべ)を挙げて山月を望み
 頭を低(た)れて故郷を思う
           
【口語訳】
 寝台の前に月光が差している。まるで地上の霜かと見まがうほどだ。頭を上げて山ぎわにかかる月を見ていると、自然と故郷のことが懐かしく思い出され、頭が垂れてきてしまう。
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※ 故郷は、常に心にまとわりつく。多くの文学者が、それについて述べ、作品のテーマにしている。
  「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」   (室生犀星)
  「かにかくに渋民村は恋しかり思ひ出の山思ひ出の川」 (石川啄木)
  「秋十年(ととせ)却(かえ)って江戸を指故郷」 (松尾芭蕉)
  「桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな 」      (水原 秋桜子)
  「ふるさとや寄るもさはるも茨
(ばら)の花」   (小林一茶)
  「蛍とぶ門が嬉しき帰省かな」           (尾崎放哉) 
  「馬鈴薯の花もうれしき帰省かな」        (日野草城) 
           平成27年4月23日 記



 黄鶴楼(こうかくろう)にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る   
             唐  李 白

  故人西のかた黄鶴楼を辞し
  煙花(えんか)三月揚州に下る
  弧帆の遠影碧空(へきくう)に尽き
  惟(た)だ見る長江の天際(てんさい)に流るるを

           
【口語訳】
 わが友、孟浩然は、この西の黄鶴楼に別れを告げて、春、花がすみの三月に揚州へと舟で下っていく。ぽつんと一つ浮かぶ帆掛け船。その白い帆の遠い姿が青空に消えると、後に見えるのは、長江の流れが天の果てへと流れていくばかりである。
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※友を見送る離別の情と春の明るい景色。情と景が交錯する送別最高の傑作である。正岡子規の句に「行く我にとどまる汝(なれ)に秋二つ」という句がある。
           平成27年4月22日 記



 廬山(ろざん)の瀑布を望む
            李 白

 日は香爐(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず
 遙かに看(み)る瀑布の前川(ぜんせん)に挂(か)かるを
 飛流直下(ひりゅうちょっか)三千尺
 疑うらくは是(これ)銀河の九天(きゅうてん)より落つるかと

【口語訳】
 日の光が香炉峰を照らすと、香炉で香をたいているように紫のもやがたち登る。はるか遠くに滝がどーっと流れていて、前の川にかかっている。飛ぶように激しい水は、まっすぐ三千尺も下へと流れ落ちていて、あたかも天の川が天空から落ちかかるかのようだ。
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※ この光景は、昨年8月のノルウェー旅行に見たものと同じだった。その時に作った俳句が、「フィヨルドへ白一面の瀑布かな」であった。
          平成27年1月29日 記