大伴家持
『長歌』
久方の天の戸開き高千穂の嶽(たけ)に天降(あも)りし皇祖(すめろき)の神の御代より梔弓(はじゆみ)を手握(たにぎ)り持たし真鹿子矢(まかごや)を手挟(たばさ)み添へて大久米(おほくめ)のますら健男(たけお)を先に立て靫(ゆき)取り負(おほ)せ山川を磐根(いはね)さくみて踏み通り國求(ま)ぎしつつちはやぶる神を言(こと)向け服従(まつろ)はぬ人をも和し掃き清め仕へ奉りて蜻蛉島(あきづしま)大和の國の橿原の(かしはら)の畝傍(うねび)の宮に宮柱(みやばしら)太(ふと)知り立てて天(あま)の下知らしめしける皇祖(すめろき)の天(あめ)の日継と継ぎてくる君の御代御代隠さはぬ赤き心を皇方(すめらへ)に極め尽して仕へくる祖(おや)の官(つかさ)言(こと)立てて授けたまへる子孫(うみのこ)のいや継ぎに見る人の語り継ぎてて聞く人の鑑(かがみ)にせむを惜(あたら)しき清きその名ぞ凡(おぼ)ろかに心思ひて虚言(むなごと)も祖(おや)名断つな大伴の氏(うじ)と名に負へる丈夫(ますらお)の伴
【口語訳】
天の戸を開き高千穂の岳に降りられた天孫の昔から、梔弓を手に持たれ、真鹿子矢を脇にはさみ、大久米のますらおたちを先頭に靫を背負って山川を越え、国を探し求め、荒れ狂う者たちを鎮圧し国を鎮めて橿原の畝傍に宮を建てて、天下をお治めになった天皇の代々の御代に、清い心で仕えてきた祖先から引き継いできた官職であるとのお言葉をいただいた大伴家の子孫が語り伝えて鏡にすべき立派な名前である。おろそかにして先祖の名を絶やしてはいけない。大伴の名をもつますらおたちよ。
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※ 大伴家持は『万葉集』第一の歌人、旅人の子である。大伴の名を貶めることなく朝廷に心をつくし、軽はずみな行動をするなと戒めている。家持は中納言まで出世した高級官僚である。それ故に、好むと好まざるに拘わらず政争の渦に巻き込まれていく。そのような体験から作られた長歌だと言われている。
令和元年5月23日 記