大村 はま 

       「教室をいきいきと」
                  大村はま     

 子どもが発言したとたんに先生が「ほかに」と言ってしまうことがある。発言した子は否定もされていないから,そのまま座る。心の中に答えた喜びがもてない。「そういう考え方も本当にできますね」「なるほど,そういう目の付け方もありますねなど受け応えをすべきである。いろいろな質問をするということは,考えさせることが目当てであって,ただ答を確かめるだけにはしたくない。

 人をバカにする,下に見るということのほんとうにない教室,そういう教室にしなければ,たとえば話し合いなどということは成立しません。誰かが誰かをバカにしているという教室では,どんなふうに教えても,どんなふうに指導しても,できません。

 わかる力と表す力とは別のものなのです。人によりましては,あまりわかっていないことでも,何となく言える人もいます。言っているうちにだんだんわかってきて,どんどん言える人もいます。そういう方がある反面,いろいろわかっているのです,がことばにすることの拙い人もいます。
 そういうことを考えないのは,人を育てる教師としてはたいへん残念なことです。わかっているなら言えるに決まっている,なんてことはありません。少なくともそう言って責められては困ると思います。
「やればできるんだ,やらないからできないんだ。」これもよく言われることのようですが,やってもできないことがある悲しみ,忘れたくありません。真心をこめてやれば何でもやれるというものではない。人生の先輩である教師は,やれない悲しみを胸に持って,そして,子どもを励ましたいものです。やってもできないことが相当あると言うことを考えて,不始末というか不成績を温かな目で見たいのです。
 
 自分の思うようにならないとか,いくら教えても成果が上がらないとか,そういうことに教師は驚かないようにしたいと思います。一生懸命やれば必ず成果が上がるわけではないからです。思うようにならないのは当たり前のことなのに,どうしてかそれが我慢ならないようになって,あれだけ教えたのにこんなだ…そういう失望のしかたが,教師の場合,少し大きいように思います。教えたことは全員が必ず同時に,いっせいに,心から受け取ってできるようになる,それが当り前と教師は思っているところがあります。それで,できないとびっくりしたり腹が立ったり悲観したり,いろいろなことが起こるわけです。用意,ドン!で厳密に同じ瞬間に出発させても,そしてみんな力いっぱい走っても,ゴールインはまちまちでしょう。そのように,同じ時,同じ話を聞かせても,同時に同程度にわかったりできたりしなくても当り前で,驚くほうがおかしいのではないでしょうか
--------------------------------------------------------------------------------
※ 大村はまは、教師の鏡であり原点だ。子どもを見詰める目は温かい。どの教師もかくありたいものだ。英会話を始めてできの悪い生徒の自分は「sorry」を繰り返してしまう、それに対して先生が「no problem」といってくれるとほっとする。やはり私は誉められて伸びるタイプだ。
           平成30年2月27日 記