「僕の防空壕」
野坂昭如
それでも、少年に、お父さんが死んでしまったという実感はなく、ときに「坊ちゃん、寂しいでしょうねえ、お父さまが戦死なさって。」白いエプロンかけたおばさんが言いましたが、「寂しくなんかないよ、靖国神社で会えるもん。」と答え、その靖国神社へは何度も出かけましたが、お父さんとどういう関係なのかよく分からない。近くの天神さま、八幡さま、お稲荷さんより、ずっとりっぱではありましたが。ただこう言えば、大人が感心することを、少年は心得ていたのです。
お父さんが死んで、三月ほどすると、急に町内が騒がしくなり、それはサイパン島が陥落して、いよいよ空襲が現実のこととなり、それまでおざなりだった防空訓練に、急に熱が入れられ、衣類布団の疎開が始まり、更にお父さんが造ったような防空壕が、急ピッチで各家庭に普及し始めたのです。
車やクーラーと違って、こうなれば、いざとなったときの、最後のよりどころですから、皆必死に工夫をし、掩蓋壕(えんがいごう)は、厚さ一メートルの土を盛らなければならないと言われると、きちんと守り、訓練の都度、子供や老人はそこへ入らなきゃなりませんから、座布団を持ち込み、土留めに心を配ります。
そして、初め、薄暗い壕に、一人で入らなければならない少年は、嫌でしかたがありませんでしたが、そのうち慣れると、この壕を掘っていたお父さんの姿が、身近に浮かんで、あのシャッシャッと、スコップと土の擦れる音まで、聞こえるように思います。
薄暗がりの中に、座り込んだ少年の耳に、表の、お母さんたちのバケツリレーの物音、手押しポンプのギシギシいう音、甲高い組長さんの号令が伝わってきますが、しかし、スコップの削り跡が、まだ残っている壕の壁を見るうち、お父さんの肩の筋肉を思い出し、土と混じり合っていた汗のにおいが、はっきり感じ取れるのです。
「お父さん。」と、少年は呼びかけてみました。すると「敵襲!」と、兵隊の叫ぶ声が聞こえ、ダダダダダ、うなりをあげる機関銃の響きが生まれました。
雨あられと飛び交う敵弾の中で、お父さんは塹壕(ざんごう)から身を乗り出し、負けじと撃ち返しています、「お父さん、がんばって。」少年は思わず叫び、お父さんは、にっこり笑って、「心配しなくてもいい、強いんだから。」少年に頼もしく言います。
少年は、いつしか自分も、ぴったり防空壕の壁に身を寄せ、床下の暗やみに目を凝らし、もし、敵が近づいてきたら、すぐ教えようと息を潜めます。
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※戦争で死んでしまった父親に会えるのは防空壕だけ、少年はその中でしか夢を見られなかった。しかし、その防空壕が、戦争終結と同時につまらないものとして壊されてしまう。戦争は、人が人を殺す人類最高の悪だ。罪もない多くの人々を死に追いやる理由などどこにもない。日本もかつて辿ってきた道を歩もうとしているのではないだろうか。気付いた時は、どうにもならない状態になってしまっているなどということはあってはならない。実にきな臭い。
平成27年7月16日 記