夏目漱石
「夢十夜(第十夜)」
夏目漱石
女といっしょに草の上を歩いて行くと、急に絶壁の天辺(てっぺん)へ出た。その時女が庄太郎に、ここから飛び込んで御覧なさいと云った。底を覗いて見ると、切岸(きりぎし)は見えるが底は見えない。庄太郎はまたパナマの帽子を脱いで再三辞退した。すると女が、もし思い切って飛び込まなければ、豚に舐(な)められますが好うござんすかと聞いた。庄太郎は豚と雲右衛門が大嫌だった。けれども命には易(か)えられないと思って、やっぱり飛び込むのを見合せていた。ところへ豚が一匹鼻を鳴らして来た。庄太郎は仕方なしに、持っていた細い檳榔樹(びんろうじゅ)の洋杖(ステッキ)で、豚の鼻頭(はなづら)を打った。豚はぐうと云いながら、ころりと引っ繰り返って、絶壁の下へ落ちて行った。庄太郎はほっと一と息接(いきつ)いでいるとまた一匹の豚が大きな鼻を庄太郎に擦りつけに来た。庄太郎はやむをえずまた洋杖を振り上げた。豚はぐうと鳴いてまた真逆様に穴の底へ転げ込んだ。するとまた一匹あらわれた。この時庄太郎はふと気がついて、向うを見ると、遥の青草原の尽きる辺から幾万匹か数え切れぬ豚が、群をなして一直線に、この絶壁の上に立っている庄太郎を目懸(めが)けて鼻を鳴らしてくる。庄太郎は心(しん)から恐縮した。
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※学生時代、新宿区馬場下に2年間暮らしたことがある。近所を散策していると「夏目漱石生誕の地」という石碑があった。「ここがそうだったのか。」と妙に感動したことを覚えている。それから二十年くらいして、この「夢十夜」に出会った。その後、授業の中で紹介したり、話の端緒にしたりした。難解なものもあるが、自分なりに理解して読むのが面白い作品である。特に第三話と第六話を気に入っている。心の底から恐ろしい三話、能面を作る指針にしている六話、衝撃的であった。
平成28年5月22日 記
「夢十夜(第九夜)
夏目漱石
世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争が起りそうに見える。焼け出された裸馬(はだかうま)が、夜昼となく、屋敷の周囲を暴(あ)れ廻ると、それを夜昼となく足軽共(あしがるども)が犇(ひしめ)きながら追かけているような心持がする。それでいて家のうちは森(しん)として静かである。
家には若い母と三つになる子供がいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。床の上で草鞋(わらじ)を穿(は)いて、黒い頭巾を被って、勝手口から出て行った。その時母の持っていた雪洞(ぼんぼり)の灯が暗い闇に細長く射して、生垣(いけがき)の手前にある古い檜(ひのき)を照らした。
父はそれきり帰って来なかった。母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いている。子供は何とも云わなかった。しばらくしてから「あっち」と答えるようになった。母が「いつ御帰り」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑っていた。その時は母も笑った。そうして「今に御帰り」と云う言葉を何遍となく繰返して教えた。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。時々は「御父様はどこ」と聞かれて「今に」と答える事もあった。
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※荒正人は、「漱石は父親を嫌つてゐた、母親を愛してゐた、そして母親を奪ふものとしての父親を意識下の領域では殺してしまひたいといふ願望を抱いてゐた。その願望は、未来のものではなく、過去のものとして、すでに行はれた事実として夢のなかで体験され、盲目殺しの記憶といふ罪の意識を植えつけたのである。」と『漱石の暗い部分』の中で述べている。第九夜「父は、とくの昔に浪士のために殺されていたのである。」と、その事実を明らかにする。まさに荒正人の指摘したようになっている。ライオンの親雄は、成長した子の雄を群れから追い出す。人間にも、その血が流れているのかもしれない。父親と息子は、確執があるものである。
平成28年5月21日 記
「夢十夜(第八夜)
夏目漱石
床屋の敷居を跨(また)いだら、白い着物を着てかたまっていた三四人が、一度にいらっしゃいと云った。
真中に立って見廻すと、四角な部屋である。窓が二方に開いて、残る二方に鏡が懸っている。鏡の数を勘定(かんじょう)したら六つあった。
自分はその一つの前へ来て腰をおろした。すると御尻(おしり)がぶくりと云った。よほど坐り心地が好くできた椅子である。鏡には自分の顔が立派に映った。顔の後には窓が見えた。それから帳場格子(ちょうばごうし)が斜(はす)に見えた。格子の中には人がいなかった。窓の外を通る往来の人の腰から上がよく見えた。
庄太郎が女を連れて通る。庄太郎はいつの間にかパナマの帽子を買って被っている。女もいつの間に拵(こし)らえたものやら。ちょっと解らない。双方とも得意のようであった。よく女の顔を見ようと思ううちに通り過ぎてしまった。
豆腐屋が喇叭(らっぱ)を吹いて通った。喇叭を口へあてがっているんで、頬ぺたが蜂に螫(さ)されたように膨れていた。膨れたまんまで通り越したものだから、気がかりでたまらない。生涯蜂に螫されているように思う。
芸者が出た。まだ御化粧(おつくり)をしていない。島田の根が緩んで、何だか頭に締りがない。顔も寝ぼけている。色沢(いろつや)が気の毒なほど悪い。それで御辞儀をして、どうも何とかですと云ったが、相手はどうしても鏡の中へ出て来ない。
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※「江藤淳は、夢十夜に〔暗く、生々しく彩られた漱石の内部のカオスの世界〕を眺め、そのモチーフとして〔裏切られた期待〕を考えている。期待する側は作者の象徴する人物で、それを裏切るのは、その人間の意志の及ばぬ運命的な力である。この関係にはしばしば女が重要な因子として登場する。」と吉田精一は解説に書いている。確かに女性が登場する。そして、叶わぬことが起きる。
女性は、か弱そうで種々の出来事を乗り越え、したたかに生き抜いていくのではないだろうか。歴史の中でも、事件の陰に女性ありである。所詮、男性は手のひらの上か。そうすると、この世を動かしているのは女性ということになる。声高に女性の社会進出をなどと叫ぶのは、本質を理解していない人の戯言か。
平成28年5月20日 記
「夢十夜(第七夜)
夏目漱石
何でも大きな船に乗っている。
この船が毎日毎夜すこしの絶間(たえま)なく黒い煙を吐いて浪を切って進んで行く。凄じい音である。けれどもどこへ行くんだか分らない。ただ波の底から焼火箸(やけひばし)のような太陽が出る。それが高い帆柱の真上まで来てしばらく挂(かか)っているかと思うと、いつの間にか大きな船を追い越して、先へ行ってしまう。そうして、しまいには焼火箸のようにじゅっといってまた波の底に沈んで行く。そのたんびに蒼(あお)い波が遠くの向うで、蘇枋(すおう)の色に沸(わ)き返る。すると船は凄じい音を立ててその跡を追かけて行く。けれども決して追つかない。
ある時自分は、船の男を捕(つら)まえて聞いて見た。
「この船は西へ行くんですか」
船の男は怪訝(けげん)な顔をして、しばらく自分を見ていたが、やがて、
「なぜ」と問い返した。
「落ちて行く日を追かけるようだから」
船の男はからからと笑った。そうして向うの方へ行ってしまった。
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※ 漱石は、『夢十夜』について「この作品が理解されるには永い年月がかかるだろう」と予言したそうだ。短編故に様々な解釈ができる、それが理解する難しさを増幅させている。様々な苦悩を抱きつつ送る人生、それはまるで暗い海を船で航海するようなものである。「けれども決して追つかない。」とあるように果てしなく遠い。しかし、生きている意味を掴むまで、生き続けなければならない。何故なら、それが人生だからである。
平成28年5月18日 記
「夢十夜(第六夜)」
夏目漱石
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行ってみると、自分よりさきにもうおおぜい集まって、しきりに下馬評をやっていた。
(中略)
なんとなく古風である。鎌倉時代とも思われる。
ところが見ている者は、みんな自分と同じく明治の人間である。そのうちでも車夫が一番多い。辻待をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と言っている。
「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも言っている。
そうかと思うと、
「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」て言った男がある。
(中略)
運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿(のみ)と槌(つち)を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺をしきりに彫り抜いていく。
運慶は頭に小さい烏帽子(えぼし)のようなものを乗せて、素袍(すおう)だか何だかわからない大きな袖を背中で括(くく)っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我われとあるのみと云う態度だ。天晴(あっぱれ)だ」と云って賞(ほ)め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜(はす)に、上から槌を打ち下した。堅い木を一刻に削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾しはさんでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家うちへ帰った。
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※能面を作成している身からすると、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」とは、まさに目指す最高の境地となる。運慶は、木の中にある仁王をただ削りだしているだけ、つまり形が見えているのである。何事も最後の形が見えるのが、あるべき姿である。第三夜と第六夜は、何度読んでも興味が湧く。
平成28年5月18日 記
「夢十夜(第五夜)」
夏目漱石
こんな夢を見た。
なんでもよほど古いことで、神代に近い昔と思われるが、自分が軍(いくさ)をして運悪く敗北たために、生どりになって、敵の大将の前に引き据えられた。そのころの人はみんな背が高かった。そうして、みんな長い髯(ひげ)を生やしていた。革の帯を締めて、それへ棒のような剣を釣るしていた。弓は藤蔓の太いのをそのまま用いたように見えた。漆も塗ってなければ磨きも掛けていない。きわめて素樸なものであった。
敵の大将は、弓の真中を右の手で握って、その弓を草の上へ突いて、酒甕をふせたようなものの上に腰を掛けていた。その顔を見ると、鼻の上で、左右の眉が太くつながっている。そのころ髪剃というものはむろんなかった。
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※捕虜となった主人公は、生きることより死を選択する。それは、武士社会の規範とも言える考えを引きずっているためであろうか。人は、常に生と死の間(はざま)に生きている。
平成28年5月17日 記
「夢十夜(第四夜)」
夏目漱石
やがて爺さんは笛をぴたりと已めた。そうして、肩に掛けた箱の口を開けて、手拭いの首を、ちょいと撮(つま)んで、ぽっと放り込んだ。
「こうしておくと、箱の中で蛇になる。今に見せてやる。今に見せてやる」と言いながら、爺さんがまっすぐに歩きだした。柳の下を抜けて、細い路をまっすぐに下りていった。自分は蛇が見たいから、細い道をどこまでも追(つ)いていった。
爺さんは時々
「今になる」と言ったり、
「蛇になる」と言ったりして歩いてゆく。しまいには、
「今になる、蛇になる笛が鳴る、」と唄いながら、とうとう河の岸へ出た。橋も舟もないから、ここで休んで箱の中の蛇を見せるだろうと思っていると、爺さんはざぶざぶ河の中へはいりだした。
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※ 不可解な内容で、それぞれの受け止め方があるようである。多くの人が、まことしやかに持論を展開している。しかし、そのどれもが納得できない。不可解な人間や社会を表しているのかもしれない。おや、これもまことしやかな持論か。
平成28年5月16日 記
「夢十夜(第三夜)」
夏目漱石
こんな夢を見た。
六つになる子供を負ぶっている。たしかに自分の子である。ただ不思議なことにはいつのまにか目が潰れて、青坊主になっている。自分がお前の目はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。
左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。
「田圃へ掛かったね」と背中で言った。
「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺がなくじゃないか」と答えた。
すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。
自分はわが子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、このさきどうなるん分からない。どこか打遣(うっ)ゃるところはなかろうかと向こうを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考えだすとたんに、背中で、
「ふふん」と言う声がした。
「なにを笑うんだ」
子供は返事をしなかった。ただ
「お父さん、重いかい」と聞いた。
「重かあない」と答えると
「今に重くなるよ」と言った。
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※ 吉田精一は、解説で次のように書いている。「『夢十夜』は奇妙な語りにくい作品である。従来の解説や研究も敬遠して触れなかったのは、それだけの理由があった。最近伊藤整氏が『人間存在の原罪心不安』を主題にしたもの、と解釈して以後、幾人かの批評家によって新しい意義づけが見られる。たとえば荒正人氏は、この内の『第三夜』を、フロイト流に考えて『父親殺し』を骨子としているとした。漱石が父親に親しみを感じなかったことは事実であり、また幼いときに死んだ母親に対する思慕の情が強かったことも事実である。」と。
この作品は、十編の中でも特に恐ろしく同時に好きな作品である。ぞっとしてしまう。夏目漱石の心の闇を垣間見るような内容である。
平成28年5月15日 記
「夢十夜(第二夜)」
夏目漱石
お前は侍である。侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚が言った。そういつまでも悟れぬところをもってみると、お前は侍ではあるまいと言った。人間の屑じゃと言った。ははあ怒ったなと言って笑った。口惜しければ悟った証拠を持ってこいと言ってぷいと向こうをむいた。怪しからん。
隣の広間の床に据えてある置時計が次の刻を打つまでには、きっと悟ってみせる。悟ったうえで、今夜また入室する。そうして和尚の首と悟りと引き替えにしてやる。悟らなければ、和尚の命が取れない。どうしてもさとらなければならない。自分は侍である。
もし悟らなければ自刃する。侍が辱められて、生きているわけにはゆかない。奇麗に死んでしまう。
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※邪心を払うのは、とても難しいことだ。しかも「悟り」となると見当も付かない。しかし、侍とはなんと窮屈なものであろうか。何事あったら、名誉だ意地だと言って腹を切らなければならない。全てを捨てて、虚心坦懐に生きるにこしたことはない。
平成28年5月14日 記
「夢十夜(第一夜)」
夏目漱石
こんな夢を見た。
腕組みをして枕元に坐っていると、仰向けに寝た女が、静かな声でもう死にますと言う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真っ白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色はむろん赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますとはっきり言った。自分もたしかにこれは死ぬなと思った。そこでそうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いてみた。死にますとも、と言いながら、女はぱっちりと目を開けた。大きな潤いのある目で、長い睫(まつげ)に包まれたなかは、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿があざやかに浮かんでいる。
自分は透き徹るほど深く見えるこの黒目の色沢(つや)を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それでねんごろに枕の傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い目を眠たそうにみはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと言った。
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※夢の中では、奇妙な現象が起きる。そして、100年は束の間のように過ぎていく。夏目漱石の原風景だといわれている作品が、この「夢十夜」である。十の夢をみていく、そのすべてが短編で不思議な作品ばかりである。
平成28年5月13日
「三四郎」
夏目漱石
うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。
女とは京都からの相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州色であった。
三輪田(みわた)のお光さんと同じ色である。国を立つまぎわまでは、お光さんは、うるさい女であった。そばを離れるのが大いにありがたかった。けれども、こうしてみると、お光さんのようなのもけっして悪くはない。
ただ顔だちからいうと、この女のほうがよほど上等である。口に締まりがある。目がはっきりしている。額がお光さんのようにだだっ広くない。なんとなくいい心持ちにできあがっている。それで三四郎は五分に一度ぐらいは目を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の目がゆきあたることもあった。じいさんが女の隣へ腰をかけた時などは、もっとも注意して、できるだけ長いあいだ、女の様子を見ていた。その時女はにこりと笑って、さあおかけと言ってじいさんに席を譲っていた。それからしばらくして、三四郎は眠くなって寝てしまったのである。
その寝ているあいだに女とじいさんは懇意になって話を始めたものとみえる。目をあけた三四郎は黙って二人の話を聞いていた。女はこんなことを言う。――
子供の玩具はやっぱり広島より京都のほうが安くっていいものがある。京都でちょっと用があって降りたついでに、蛸薬師(たこやくし)のそばで玩具を買って来た。久しぶりで国へ帰って子供に会うのはうれしい。しかし夫の仕送りがとぎれて、しかたなしに親の里へ帰るのだから心配だ。夫は呉にいて長らく海軍の職工をしていたが戦争中は旅順(りょじゅん)の方に行っていた。戦争が済んでからいったん帰って来た。まもなくあっちのほうが金がもうかるといって、また大連(たいれん)へ出かせぎに行った。はじめのうちは音信もあり、月々のものもちゃんちゃんと送ってきたからよかったが、この半年ばかり前から手紙も金もまるで来なくなってしまった。
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※「日本のに潜む矛盾を正面から描き出そうとする方向に向かった。『三四郎』では純朴な青年の愛の形とともに、「迷羊(ストレイシープ)」に似た青春の危うさが描かれた。」と三好行雄は、書いている。
平成27年12月日10 記
「門」
夏目漱石
宗助(そうすけ)は先刻から縁側へ坐蒲団(ざぶとん)を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐(あぐら)をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放りり出すと共に、ごろりと横になった。秋日和(あきびより)と名のつくほどの上天気なので往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕(ひじまくら)をして軒から上を見上げると、奇麗(きれい)な空が一面に蒼(あお)く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩くり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩しくなったので、今度はぐぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫をしている。
「おい、好い天気だな」と話しかけた。細君は、
「ええ」と云ったなりであった。宗助も別に話がしたい訳でもなかったと見えて、それなり黙ってしまった。しばらくすると今度は細君の方から、
「ちっと散歩でもしていらっしゃい」と云った。しかしその時は宗助がただうんと云う
生返事(なまへんじ)を返しただけであった。
二三分して、細君は障子の硝子の所へ顔を寄せて、縁側に寝ている夫の姿を覗(のぞ)いて見た。夫はどう云う了見か両膝を曲げて海老のように窮屈になっている。そうして両手を組み合わして、その中へ黒い頭を突っ込んでいるから、肱(ひじ)に挟(はさ)まれて顔がちっとも見えない。
「あなたそんな所へ寝ると風邪引いてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京のような、東京でないような、現代の女学生に共通な一種の調子を持っている。
宗助は両肱の中で大きな眼をぱちぱちさせながら、
「寝やせん、大丈夫だ」と小声で答えた。
それからまた静かになった。外を通る護謨車(ゴムぐるま)のベルの音が二三度鳴った後から、遠くで鶏の時音をつくる声が聞えた。宗助は仕立おろしの紡績織の背中へ、自然と浸み込んで来る光線の暖味(あたたかみ)を、襯衣(シャツ)の下で貪(むさ)ぼるほど味いながら、表の音を聴くともなく聴いていたが、急に思い出したように、障子越しの細君を呼んで、
「御米(およね)、近来の近の字はどう書いたっけね」と尋ねた。細君は別に呆れた様子もなく、若い女に特有なけたたましい笑声も立てず、
「近江のおうの字じゃなくって」と答えた。
「その近江のおうの字が分らないんだ」
細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指を出して、その先で近の字を縁側へ書いて見せて、
「こうでしょう」と云ったぎり、物指の先を、字の留った所へ置いたなり、澄み渡った空を一しきり眺め入った。
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※主人公宗助は、友達から奪い御米を妻とした。その後ろめたい気持ちがひっそりと暮らすことを選択させていた。「三四郎」「それから」「門」が前期三部作といわれている。
平成27年12月8日 記
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