中原中也
骨
中原中也
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑(おか)しい。
ホラホラ、これが僕の骨
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやって来て、
見ているのかしら?
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立って、
見ているのは、 僕?
恰度(ちょうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつている。
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※中也は、8歳で弟を亡くし、18歳の時恋人長谷川康子に去られ(小林秀雄の元へ)、29歳の時愛息文也を亡くした。彼の人生は、かけがえのないものを失う連続であった。その人生の投影が、この作品には色濃く現れている。自分の骨を客観的に見ている中也の心情は察して余りある。彼自身も30歳の若さで、その人生を閉じることになる。
平成30年6月28日 記
帰 郷
中原中也
柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
縁の下では蜘蛛の巣が
心細さうに揺れてゐる
山では枯木も息を吐(つ)く
あゝ今日は好い天気だ
路傍(ろばた)の草影が
あどけない愁(かな)しみをする
これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
心置なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
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※故郷は、懐かしく大切なものだ。だから、作品の主題になる。しかし、その思いは様々である。
「秋十年(ととせ)却って江戸を指す故郷」 松尾芭蕉
「桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな」 水原秋桜子
「水打つて暮れゐる街に帰省かな」 高野素十
「かにかくに渋民村は恋しかり思ひ出の山思ひ出の川 」 石川啄木
「帰郷」 萩原朔太郎
平成28年4月28日 記
また来ん春……
中原中也
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない
おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず眺めてた
ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが…
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※我が子、文也を2歳で亡くした時、中也は悲しみのあまり遺体を棺桶に入れず抱いていた。その悲しみは、いかばかりであったろうか。それが親の心というものだろう。ところが、昨今は、ウサギのゲージやプラスチックの容器に入れて我が子を殺すなど、およそ人間としての行為とは思われないようなことが起きている。親になりきれない子どものような親が増えている。一体、日本はどうなっているのだろうか。
平成28年4月13日 記
汚れつちまつた悲しみに
中原中也
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘(かわごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる・・・・・
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※すべての生活が破綻して、文学のみが残された。それが、中也の短い30年の生涯であった。誇り高く傷つきやすい精神、もがきながら心の歌を奏でている。
平成28年4月7日 記
月夜の浜辺
中原中也
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向つてそれは抛れず
浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
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※中原中也は、愛息文也を2歳で亡くした。その悲しみの中で作られたのが、この詩である。何の変哲もない一つのボタンも、愛息のように思われたのだろう。中也の悲しみが、胸に迫る。
平成28年4月1日 記
一つのメルヘン
中原中也
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで
さればこそ、さらさらと
かすかな音をたててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄ながれてもゐなかった川床に、水は
さらさらと流れてゐるのでありました・・・・・・
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※中原中也は、30歳で亡くなる。まさに天才の夭逝であった。我が子、文也が幼くして亡くなったときは、悲しみのあまり遺体を棺桶に入れず抱いていたという。その悲しみが癒えぬまま、中也はその生涯を閉じていく。
平成27年3月18日 記
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