長塚節

        長塚 節

白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
足乳根の母がつりたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども
惜しまるゝ花のこずゑもこの雨の晴れてののちや若葉なるらむ
荒庭に敷きたる板のかたはらに古鉢ならび赤き花咲く
人の家にさへづる雀ガラス戸のそとに來て鳴け病む人のために
ガラス戸の中にうち臥す君のために草萌え出づる春を喜ぶ
古雛をかざりひゝなの繪を掛けしその床の間に向ひてすわりぬ
庭の隅に蒔きたる桃の芽をふきて三とせになりて乏しく咲きぬ
鄙にあれば心やすけし人の家の垣の山椒の芽を摘みて來つ
竹やぶの山吹咲きて山椒の辛き木の芽の摘むべくなりぬ
かしこきやすめらみことにありながらありとふ妹が家も知らなく
み佛にさゝげまつりし蓮の葉も瓜も茄子も川に流しぬ
利根川の葦原を過ぎて鬚うすき人を思ひよせて戯れたる歌五首
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※長塚節は、茨城県の出身である。「足乳根の母が・・・・」の短歌は、細やかな愛情を表現した傑作である。若くして結核にかかり、その生を終わった長塚節の安息の一時であった。病気故に許嫁黒田てる子との悲しい訣別があり、「病院の一室にこもりける程は心に悩むことおほくいできて自らもまなこの窪めるを覚ゆるまでに成りたれば、いまは只よそに紛らさむことを求むる外にせん術もなく・・」と書いている。
 また、農民の貧しい生活を描いた「土」があり、その序文を夏目漱石が書いている。

      「  『土』に就て」      ――長塚節著『土』序――
                           夏目漱石

   「『土』を読むものは、屹度(きっと)自分も泥の中を引き摺(ず)られるような気がするだろう。余もそう云う感じがした。或者は何故長塚君はこんな読みづらいものを書いたのだと疑がうかも知れない。そんな人に対して余はただ一言、斯様(かよう)な生活をして居る人間が、我々と同時代に、しかも帝都を去る程遠からぬ田舎に住んで居るという悲惨な事実を、ひしと一度は胸の底に抱き締めて見たら、公等の是から先の人生観の上に、又公等の日常の行動の上に、何かの参考として利益を与えはしまいかと聞きたい。余はとくに歓楽に憧憬(しょうけい)する若い男や若い女が、読み苦しいのを我慢して、此『土』を読む勇気を鼓舞する事を希望するのである。余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云い募る時分になったら、余は是非此『土』を読ましたいと思って居る。娘は屹度厭だというに違ない。より多くの興味を感ずる恋愛小説と取り換えて呉(く)れというに違ない。けれども余は其時娘に向って、面白いから読めというのではない。苦しいから読めというのだと告げたいと思って居る。参考の為だから、世間を知る為だから、知って己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる為だから我慢して読めと忠告したいと思って居る。何も考えずに暖かく成長した若い女(男でも同じである)の起す菩提心(ぼだいしん)や宗教心は、皆此暗い影の奥から射して来るのだと余は固く信じて居るからである。」
郷土の先輩として、長く心に留めたい作家である。
       平成26年12月22日 記