永井 隆

          永井 隆

新しき朝の光のさしそむる荒野(こうや)に響け長崎の鐘
燔祭(はんさい)の炎の中に歌いつつ白百合おとめ燃えにけるかも
  燔祭・・・古代ユダヤ教における最も古く、かつ重要とされた儀式。
       いけにえの動物を祭壇上で焼き、神にささげた。
傷つける友をさがして火の中へとび入りしまま帰らざりけり
いのちありてここに吾ありて御礼を申す今日のよき日に
青草の茂みがなかにおもうかなはかりしられぬ神のみむねを
原子雲の下に生きたる子供らが平和をとさけぶ声をこそ聞け
亡き母のために祈りし子を夢路に母と合わせたもうらし
幼子は母の口ぐせそのままをこけし抱きしめ言い聞かせおり
いけにえをやきたる焔しずまりて荒野に呼ばはる人の声あり
         
         
平成26年11月3日撮影
-----------------------------------------------------------------------------
※永井隆は、昭和20年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下された時、長崎医大の診察室にて被爆し重傷を負ったが、自らの傷も省みず救護活動に当たった。妻は、その時爆死している。晩年は、2畳ほどの「如己堂(にょこどう)」で病と闘いながら診察と執筆に専念した。サトウハチロウーと古関裕而の「長崎の鐘」は、それらのことを歌にしたものである。「 召されて妻は 天国へ 別れてひとり 旅立ちぬ かたみに残る ロザリオの 鎖に白き わが涙」と歌詞にある。一昨年の7月27日(土)、水田道場でこの地を訪れた際、如己堂の前を通過した。改めてその小ささに驚いた。永井隆の覚悟を見た感じがして、心が痛んだ。
 8月6日は広島、8月9日は長崎に原子爆弾が投下された日であり、鎮魂の日が続く。国連で採択された核兵器禁止条約に世界でただ一つの被爆国の日本が参加しなかったが、多くの国々が不審に思ったことだろう。それでもたくさんの被爆者が、核廃絶を訴えていた。国として核兵器廃絶を叫ぶのが、日本の進む道ではないのか。広島、長崎の悲惨さを噛みしめて核兵器廃絶に尽力してほしい。
            令和3年8月9日 記