「蒙求(もうぎゅう)」 孫晨藁席(そんしんこうせき)
李瀚(りかん)
孫晨字(あざな)は元公。家貧にして席(むしろ)を織って業と為す。詩書に明らかなり。京兆の功曹(こうそう)と為る。冬月被(ふすま)無し、藁(わら)一束有り。暮に臥し朝に収む。
【口語訳】
孫晨、字は元公。家が貧しかったのでむしろを織って家業としていた。学問がよくでき、特に『詩経』と『書経』に通じていた。それで、京兆の人事部長となることができた。まだ貧しかったときには、冬でも夜着がなく、一束の藁があるだけだった。それを夜出してその中でやすみ、朝になると片付けるという始末であった。
《参考》
蒙求は、746年、唐の李瀚が編纂した故事集です。偉業を成した人のエピソードとその教訓などが、短編物語として600近くおさめられています。初心者向けの教科書として広まりました。
日本には平安時代初期に伝わったと考えられています。当時、漢文や歴史・故事・教訓を学ぶための入門テキストとして大いに読まれ、貴族だけでなく僧侶・武士階級の初学者たちにとっても必読の書とされました。あまりにさかんに読まれていたため、学問所では庭の雀たちまでもが「蒙求をさえずる」などといわれるほどです。
現代の我々にもなじみのあるエピソードが多数おさめられています。例えば、「孟母三遷」、"蛍の光窓の雪"で知られる「孫康映雪 車胤聚蛍」、夏目漱石の名前の由来となった「孫楚漱石」などは、どれもこの蒙求に掲載されているものです。
蒙求は時代を越えて多くの日本人に読まれ、『枕草子』『源氏物語』から江戸時代の小説に至るまで、ありとあらゆる文学作品に大きな影響を与えました。
〔 京都大学電子図書館 京都大学所蔵資料でたどる文学史より〕
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※孫晨が、貧しさに耐えていかに出世したかということではない。人間の価値観のもち方である。人間の欲にはきりがない、それを抑制し足を知ることこそ心の安寧につながるのを書いている。金に欲に溺れていく現代社会に、警鐘を鳴らしている。
平成26年12月2日 記