宮 柊二
亡き父のありし昔の声のごと魚野川鳴るその音恋ひし
冬の夜の吹雪の音におびえたるわれを小床に抱きしめし母
空ひびき土ひびきして雪吹ぶくさびしき国ぞわが生まれぐに
夜もすがら空より聞こえ魚野川瀬ごと瀬ごとの水激(たぎ)ち鳴る
あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合い竹群(たけむら)はあり
あぢさゐの花いろ深む葬(はふり)の日なみだ流れて君をばおもふ
澡瓶(つぼ)提げてたたすほとけの胸肌の二つ隆起よわれは消ぬべう
人生は十のうちなる九つが嘆きと言ひつ老いし陸游(りくゆう)
大雪山の老いたる狐毛の白く変りてひとり径(みち)を行くとふ
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※「澡瓶(つぼ)提げてたたすほとけの胸肌の二つ隆起よわれは消ぬべう」は、法隆寺の百済観音を詠んだ歌である。最初読んだときはドキリとし、「この罰当たりもの」と感じたが、その感情は「われは消ぬべう」で払拭できた。「われは消ぬべう」の「べう」は、当然の助動詞「べし」の連用形「べく」のウ音便。「大雪山の老いたる狐毛の白く変りてひとり径(みち)を行くとふ」を、山本謙吉は「絢爛たる詩業の果てに、氏はみずからを純白の雪山を歩く白い孤独のけだものと思いつめたか」と評している。宮柊二の顔は温かい。生活者のしみじみとした優しさが、それをつくっている。
平成28年5月11日 記