源 実朝

            源 実朝

大海(おおうみ)の磯もとどろに寄する波われてくだけて裂けて散るかも
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
山はさけ海はあせなむ世なりとも君に二心わがあらめやも
もののふの矢並つくろふ籠手(こて)の上に霰(あられ)たばしる那須の篠原
いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母をたづぬる
かくてのみありてはかなき世の中を憂しとやいはむあはれとやいはむ
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※ 鎌倉幕府を開いた源頼朝の四男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍につくが、1219年鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより源氏将軍は断絶した。
 北条氏に政治の実権を握られた心境は、いかばかりであったろう。その才能は歌に生かされた。正岡子規は、『歌よみに与ふる書』の中で下記のように評している。
 「實朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人と存候。」  
        平成30年1月2日  記