その他

              惠土先生の自伝
               
 昨年、惠土孝吉先生の生涯を著わした『夢剣士 自伝』が上梓されました。惠土先生の剣道感、人生観などを膨大な資料とインタビューを基に書き上げたものです。作者は私の高校剣道部の2つ後輩の矢吹俊吉くんです。彼は東京大学剣道部で惠土先生の薫陶を受け、いつか先生の本質に迫りたいとの気持ちを持ち続け今回の発刊に至ったと語っていました。矢吹くんは大学卒業後講談社に入社し、『月刊現代』の編集長、文芸部長、講談社サイエンティフィク社長を歴任し現在講談社の野間道場の管理運営に当っています。
 豊村先生や水田先生との対談記事も掲載されています。剣道家にとっては垂涎(すいぜん)の的の書だと思われます。是非一読してくださればと思います。
 
              令和6年1月26日 記    



           茨城県剣道連盟広報誌
               
 茨城県剣道連盟の広報誌(令和6年1月発刊)の表紙に、私の作成した能面「翁」が採用されました。人間国宝観世流能楽師、故橋岡久馬氏のご子息で、観世流能楽師、橋岡伸明氏より半年お借りして写したものです。能面の作成は写しの世界です。それ故、模倣の芸術と言われます。とは言っても我があるため同じように出来ないのが現実です。また、完全に我をなくしても駄目だとも言われています。
              令和6年1月24日 記    



           水田先生の稽古後の指導
               
 稽古終了後、先生は、その日の課題や今後の稽古の在り方等について一人一人丁寧にご指導くださいます。多くの稽古の内容を逐一記憶して適切に指摘されることには、いつも驚かされます。
 私は一昨日の基本稽古の時、先生から「ためがない」と指摘されました。確かに打ち気にはやり大切なものを忘れていました。以前、プロ野球選手の落合博満のバッティングを見て、この人の打ち方には「ため」がある、だから実績を残しているんだと感心しましたが、気付いたら学び参考にしなければなりません。「居着き」ではなく、「ため」の重要さを考えさせられた稽古でした。
              令和3年5月21日 記    



        剣道の伸び代について
            山崎 淳一

 ふと、自分にとって剣道における伸び代とはどのようなものかと考えることがある。もはや自分には剣道の伸び代はないのではないかと思っていたが、水田先生の指導を受けて自分の剣道の変化を感じ、どうやらそれは誤りであったと気付くようになった。
 高野佐三郎が「 剣道は広大無窮にして、上達するに従いますます妙味を覚え、その深遠なるを感ず。これを終身究むるもおそらくは究極するところ無からん。古人も術に終期なし、死をもってこれが終わりとなすといえり。ゆえに漫然練習を為すとも、一定の程度以上に進むことは難し。常に思念工夫し実施の練習と相俟ちて薀奥(うんおう)にいたらことを心懸けざるべからず」と書いているように、「これでいい」とする境地はないことを考えれば当たり前のことだが、その考えに至らない自分がいた。
 「古人も術に終期なし、死をもってこれが終わりとなす」、果てしなく続く修行の途だ。求め続ければ、その伸び代はどこまでも繋がっていくことを信じ、日々精進しなければならない。
              令和2年1月23日 記    



         「能と剣道」
            山崎 淳一
 室町幕府三代将軍足利義満の庇護を受けて「能」を完成させたのが、観阿弥・世阿弥である。その後、時の権力者である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などにも愛好され、江戸時代になると幕府が「能」を武家の式楽と定めることになる。
 その後時代の変遷を経て、現在では各地で薪能が行われるようになり、「能」をご覧になった方も多いことだろう。「能」と言えば能面を多くの演者が使用するものと考えがちだが、基本的にシテ(主役)だけに限られる。我々が剣道で使う面は「めん」と呼ぶが、「能」の世界では面のことを「おもて」と言う。能面は「能」と不即不離の関係にあり、「面は有形だが、その本質は無形である」との形而上の哲学を有している。剣道の面を付けると視界が狭められるが、能面はその比ではない。外界を確認できる穿った目の穴は10ミリ前後、下は見えず鼻の穴を通して見えるわずかな明かりだけが縁(よすが)となり、4本の柱(シテ柱、目付柱、ワキ柱、笛柱)が舞台での自分の位置を知る道標となっている。
 「能」は、たった一度の「申し合わせ」で演じられる当日だけの公演である。まさに一期一会、だからこそ齟齬は許されない。そこには伝統文化を継承する芸の厳しさがある。自分を厳しく律し積み上げた多くの修練が窺える。その厳しさを求める姿勢は、剣道に打ち込む我々の参考になるのではないかと考えている。確固たる自信と精神力で相手を凌駕し、心を打つ確かな技を繰り出すことが出来るようになるためには、不断の修練が不可避となる。それは、まさに能楽師の姿勢と重なるところがある。能舞台では、摺り足による舞、上虚下実の体勢での移動(頭は床に対して平行移動)、シテとワキ(脇役)との駆け引きと間合い、演者と地謡の発声時における腹式呼吸、囃子方との阿吽の呼吸など剣道にもつながる真剣勝負が繰り広げられる。完成形はなく常に高い価値を求め修行すること、高度な精神性が要求されること、伝統に裏付けられた様式美があること、長い修行期間を経ることなど剣道と共通する多くの事柄がある。
 世阿弥は『花鏡』で、「舞に、目前心後といふことあり。目を前に見て、心を後ろに置けとなり。(中略)見所より見る所の風姿は、わが離見なり。しかれば、わが眼の見るところは、我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見るところは、すなはち見所同心の見なり。その時は、わが姿を見得するなり。」と述べ、後ろ姿を見なければ芸の質は認識できないとし、「離見の見」の重要性を説いている。客観的に己の芸を見詰め高めようとする姿勢は、「能」に限らず剣道修行上も重要な課題である。自分だけの修行では陥穽に陥り易い、剣の本道を歩く指導者の必要性を感ずるのは私だけではないだろう。また、世阿弥は「初心忘るべからず 時々の初心忘るべからず 老後の初心忘るべからず」と語り、段階ごとに経験する芸の未熟さを認識し克服するように戒めている。私は、それを剣道においては、常に基本に立ち返れということだと考えている。年齢とともに劣っていく気力、体力を基本に戻ることによって克服していく。年代に応じた初心があることの大切さがここにある。「道(どう)」を突き詰めるとは、どのような分野でも余分なものを削ぎ取っていく作業である。基本に戻るとは、まさに、その過程の一つだ。求道者における至極は常に一致するところである。
 「能」を観たり関係する書物を読んだりすると、剣道を違った視点から見直してみることの大切さに気付かされる。 

              
     「長霊癋見(ちょうれいべしみ)」  山崎 作
     
         能「土蜘蛛」 能楽師 観世流 小島英明
        (重要無形文化財総合指定保持者)
         能面「顰(しかみ)」使用 山崎作
            令和元年6月21日 記 
 



                ディエゴさんから手紙
          
            
 9月に訪れたイタリア(ベニスの水田道場)のディエゴさんから、家族の写真を同封した手紙が届きました。しかも、それは日本語で書かれてありました。これだけの文章を書くためには、どれほどの努力が必要なのだろうかと考えてしまいます。漢字、ひらがな、カタカナと我々によっては普通のことも、外国人からみたらそれぞれが一つの外国語にほかなりません。ディエゴさんの剣道にかける姿勢と日本に寄せる思いは、この手紙からも窺いしれます。
 ベニスを去るに当たって、道場の人たちが感謝のパーティーを開催してくださいました。その折、ディエゴさんが水田先生に感謝の言葉を涙ながらに述べていたことが脳裏に浮かびます。日本人以上に日本人らしい姿に感動しました。
         平成31年1月8日 記 
 



                教え子来たる
        
            
  下稲吉中学校の教え子のGさんが、子どもたちを連れて我が家に来ました。現在は山形県に居を構えていて、帰省してきた機会を利用しての来宅です。子どもたちの剣道や中学時代の部活動などについて話をしました。とても楽しい一時でした。
         平成30年12月31日 記 
 



          松本さんの6段合格について
            
  全日本剣道道場連盟主催の剣道指導者研修会に参加した松本さんの6段合格が、もたらされました。3日目の立会でも、素晴らしい出頭の面を打っていました。当然の帰結だと思います。おめでとうございました。
         平成30年11月26日 記 
 



          剣道指導者研修会の参加について
            
  全日本剣道道場連盟主催の剣道指導者研修会(平成30年11月22日~24日)が東京都日野市で行われ、水田道場から4名が参加しました。水田先生は講師として参加され、飯田先生、松本さん(メルボルン在住)、山崎が受講生として参加しました。
 審査に向けた立会、講話、日本剣道形、木刀による剣道基本技稽古法、指導法と有意義な講習が続きました。岩立先生、青木先生、水田先生、東先生、豊村先生、栗田先生など、そうそうたる先生方の指導は一つ一つが心に響くものでした。全国各地から参加された受講生の皆さんにとっても、充実した3日間になったはずです。
         平成30年11月24日 記 
 



          村嶋恒徳先生の著書「活人剣」発刊について
            
  昨日、土浦で村嶋恒徳先生の著書「活人剣」の出版を祝う会が行われ、多くの方々が集まりました。剣道に対する折々の考え方を書き綴ったもので、生き方の指針もちりばめられています。先生のお人柄が感じられる珠玉の一冊です。是非、御一読ください。
         平成30年11月11日 記 
 



           讀賣新聞から(戦場カメラマン 渡部陽一さん)
              
 戦場カメラマンの渡部さんは、小学校時代剣道に打ち込んでいました。今日の讀賣新聞に「剣道で学んだ自分を律する力や相手を尊敬する心は今も生きています。外国では日本の常識を捨て、何度でもその国の宗教を勉強し直し、現地の文化を敬うようにしています。何かに夢中になるというのは、強くなれるということ。子どもたちには夢中なれるものを見つけ、それにどっぷりつかってほしいと思います。」と述べています。剣道で学んだことが、今でも活動の根底にあることを嬉しく思いました。よく相手があって剣道ができることに感謝しなさいと言われます。「相手を尊敬する心は今も生きています」と書いている渡部さんには、立派な指導者がいたことが類推できます。剣道は人づくり、そんなことが垣間見えた記事でした。
         平成30年9月13日 記 
 



          「シンガー・ソングライター オニツカサリー」について
              
 今日の讀賣新聞茨城版に、かなり大きなスペースを使って「ふるさとへの思い 歌に」というタイトルで、「シンガー・ソングライター オニツカサリー」を紹介していました。実は彼女は霞ヶ浦北中学校の卒業生で、私が剣道部の顧問をしていた時に所属していました。芸名は本名の「鬼束小百合」から付けたのでしょう。人生の紆余曲折を経て、故郷への思いを歌に託しているようです。
         平成30年6月17日 記 
 



           全日本剣道連盟合同稽古会 
              
 全日本剣道連盟の合同稽古会が、平成30年2月5日(月)、日本武道館で多くの先生方が参加され、盛況に行われました。太田忠徳先生、豊村東盛先生等に稽古をいただきました。豊村先生には、茨城県剣道道場連盟研修会でも稽古をいただきましたので、3日間連続になりました。水田道場に稽古に来られる県警の高野先生にもお会いしました。
         平成30年2月7日 記