簡単能楽講座
お調べ
開演間近に揚幕の奥から、笛・太鼓・小鼓・大鼓の音が聞こえてきます。これが「お調べ」です。短時間で終わってしまうこの音は、囃子方(はやしかた)の舞台に出る前の楽器の最終調整の響きであると同時に、観客席に開演を知らせる合図でもあります。この音が響いたら、席に着き静かに待たなければなりません。その後、幽玄の世界が繰り広げられます。
令和元年8月18日 記
能における拍手
能を観る場合の拍手は、次のように行います。シテ方、ワキ方、狂言方などの登場時点や演技中には、拍手は行いません。演目が終了し、シテ、ワキと退場すると引き続き囃子方(笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方)が退場します。囃子方が橋掛りにさしかかったころに、地謡(じうたい)方が切戸口(きりどぐち)から退場します。舞台は無人の空間にもどります。この時が、拍手をする機会です。
令和元年8月16日 記
能面をつける時間と場所
能面をつける場所は、揚幕の奥の「鏡の間」です。ここには姿見の鏡が置かれていて、シテは開演約30分前に入ります。装束の確認をした後、能面を押しいだき、その中に没入し一体となりつけます。その瞬間、シテの個性は雲散霧消してしまいます。なお、能面はシテ自らつけるのではなく、後見人などが行います。
令和元年8月12日 記
能の謡本(うたいぼん)
能には、各演目ごとに謡本(うたいぼん)があります。謡本には、シテやワキの文言、地謡(じうたい)が謡(うた)う地の文、謡い方などが記載されてあります。各流派によって若干の違いはありますが、ほとんど変わりはありません。
国立能楽堂、観世能楽堂、矢来能楽堂などの売店や当日販売するお店には、この本があり、購入できます。大量に販売できるものではありませんので、一冊2500円ぐらいします。なお、国立能楽堂では座席の背に液晶の画面があり、文言が流れますので分かり易くなっています。鑑賞する場合は掌上に一冊ないと難渋しますので、あらかじめ用意するか購入することをお勧めします。
令和元年8月5日 記
能楽鑑賞の観客席
能楽を鑑賞する観客席は、三つに分かれます。
1 正面
能舞台を正面にします。基本的に能楽師や狂言師は、正面席に向かって演
じます。
2 脇正面
地謡座を正面にした席です。もちろん、能楽師や狂言師の側面ばかりを見
ているだけではありません。
3 中正面
正面と脇正面の間の観客席のことです。目付柱が多少邪魔になりますが、
決して違和感はありません。
本日行われる国立能楽堂の能「小鍛治」の場合、金額は、正面が2000円、脇正面が1500円、中正面が1000円になります。もちろん、各流派が行う定期能の場合などでは、金額に違いが出てきます。
令和元年7月26日 記
特徴的な能の演目
1 三婦人
「大原御幸(おおはらごこう)」「定家」「楊貴妃」
鬘物(かづらもの)の中でも、品位の要求される重い能です。
2 三老女
「姨捨(おばすて)」「関寺小町(せきでらこまち)」「檜垣(ひがき)」
演ずる上で難しいとされる老女物三番で、最奥の秘曲とされています。
3 三老人
「西行桜)」「木賊(とくさ)」「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」
三老女に対応する曲です。
4 三鬼女
「安達原(黒塚ともいう)」「葵上(あおいのうえ)」「道成寺(どうじょうじ)」
この鬼女物三曲の後シテだけが、角のある般若の面を付けます。
5 三勝修羅(さんかちしゅら)
「田村」「屋島(やしま)」「箙(えびら)」
戦勝を扱ったもので、特に武士に好まれました。残りの修羅物は敗戦の苦
しみを描いています。
6 三修羅
「頼政(よりまさ)」「実盛(さねもり)」「朝長(ともなが)」
修羅物の中でも、重く扱われているものです。
令和元年7月3日 記
能を演ずる形式
能を演じられる形式で分けると、「夢幻能」と「現在能」の二種類になります。
1 夢幻能
この能は、前場(まえば)と後場(あとば)に分かれています。前場では、ある者の化身が登場して身の上を語り、一旦退場(中入りという)します。後場では、その正体を現し、生前のことを語ったり舞ったりします。夢幻能は、ほとんどこのかたちをとります。シテは、前場と後場を通して務め、中入りはアイが詳細を語ります。
2 現在能
夢幻能のように過去に時間が戻るのではなく、現実の時間の流れのとおりに進行します。現在能のほうが、夢幻能より数が少なくなっています。
令和元年6月28日 記
能楽を演ずる人たち
能を演ずる人たちは、7つの専門分野に別れています。
1 シテ方
観世流・金春流(こんぱるりゅう)・金剛流(こんごうりゅう)・宝生流(ほうしょうりゅう)・喜多流(きたりゅう)が担っています。
(1) シテ
主役のこと、必ず面(おもて)を付けて舞台に登場します。ただし、直面(ひためん)で演ずる場合もわずかにあります。面を付けるのは、基本的にシテだけです。
※直面・・・人間の顔のこと。顔も面と考えています。
(2) シテツレ
主役の同伴者です。
(3) 子方(こかた)
いわゆる子役です。
(4) 地謡(じうたい)
謡(うたい)の地(じ)の部分を謡う一団で、8人から構成されています。
(5) 後見(こうけん)
進行を補助する役で、装束の乱れを直したり作り物を出し入れたりします。
2 ワキ方
高安流・福王流・宝生流の3流派があります。
(1) ワキ
シテの相手を務める役、いわゆる脇役です。
(2) ワキツレ
ワキの同伴者です。
3 狂言方
大蔵流・和泉流の2派があり、能の場合は狂言方は助演の役で登場します。能とは別に狂言を演ずる場合は、本狂言と言います。
(1) アイ
能の中で、狂言方の演ずる役の総称です。間狂言(あいきょうげん)という言葉を略したものです。
4 笛方
5 小鼓方
6 大鼓方
7 太鼓方
実際に能楽堂や薪能に足を運んで、触れてみてください。東京には国立能楽堂(千駄ヶ谷)、観世能楽堂(銀座)、矢来能楽堂(神楽坂)、宝生能楽堂(水道橋)などがあります。
令和元年6月24日 記
能舞台
能舞台は、上記の写真のようになっています。
① 舞台
三間四方で縦に板が張られて、基本的にここで演じられます。四本の柱で囲まれています。笛柱(右上)、ワキ柱(右下)、シテ柱(左上)、目付柱(左下)とぞれぞれ名前が付いてます。能楽師は、これをよすがに舞台で舞います。
② 後座(あとざ)
囃子方(はやしかた)や後見が座ります。囃子方は、太鼓、大鼓、小鼓、笛を担当します。曲によって太鼓がない場合もあります。この並び方は、雛飾りの三段目(五人囃子)と同じです。後見は、様々な雑用をして演技がスムーズに進行するように気配り目配せをしています。一度、シテ(演技者)が、文言を忘れてしまったとき、この後見が謡い出すという場面に出会いました。見た感じ、ただ座っているように見えますが、それは違います。
③ 橋掛り
舞台への出入りに使用しますが、ここでの演技も多くありますので、舞台の一部であると考えられています。この前に、松が三本設置されてあり、橋掛りでの演技の目安にしています。
④ 地謡座(じうたいざ)
謡の地の部分を担当しています。8人座ります。
⑤ 鏡板(かがみいた)
正面奥の大羽目板で、大きな老松の絵が描かれています。松のモデルは、春日大社の「影向の松(ようごうのまつ)」とされています。「疫病」が流行したとき、春日の大明神がこの松に降りて、「疫病」の退散を祈念したことで、爾来(じらい)参内する者は、その下で一芸を披露しなければならなくなりました。
能舞台の松に向かって能を披露すれば、観客に背を向けて演ずることになります。それを避けるため、「老松」は「鏡」に写ったものとしました。それにより、「鏡板」 と言うようになりました。
⑥ 切戸口(きりどぐち)
地謡方や後見が出入りする所です。演技で切られた者などが退くので、「臆病口」ともいわれます。
⑦ 揚幕(あげまく)
演者が出入りする所に掛かっている幕。
【狂言大藏流 奈良篠基会ホームページより】
橋掛りと鏡の間の境にある五色(緑・黄・赤・白・紫)の幕を揚幕という。役者が舞台への出入りをする際に上げ下げをする幕である。幕の下、両端隅に結えつけた2本の竹の棒にて、2名の「はたらき」がすくい上げるようにして幕の開け閉めをする。すくい上げる様にするので揚幕という名が付いたとのことです。
昔は公演をする際、舞台を中心に周囲を幕で囲み、観客はその中に入り、芸能を楽しみました。楽屋は幕の外ですから、役者が舞台に上がるにはこの幕を潜らねば、舞台へ上がる事が出来ないので、幕の一部を切ったことから別名を「切り幕」とも言うようです。
五色は五行説からきているそうですが、その配列は舞台によって必ずしも同じではありません。
令和元年6月15日 記
能の分類
能の催しは、五番立(ごばんだて)が正式です。五番立とは、一日に曲目五つ(分類されたすべて)を行うことで、現在ではほとんど行われていません。
五つの分類を説明すると、下記のようになります
1 初番目物(脇能物)
神が祝福を垂れるという内容の能で、気高く健やかな生気に満ち、天下太平、国家安寧が寿(ことほ)がれます。初番目というのは、最初という意味ですが、「翁」という特別な能を演ずる時は、それが優先しますので、「翁」の脇という意味で、脇能物(わきのうもの)ともいわれます。
曲目 「高砂」「老松」「竹生島(ちくぶじま)」
2 二番目物(修羅物)
生前の戦の罪によって、死後、修羅道(しゅらどう)に堕ちた武人たちの苦しみを描いています。「平家物語」や「源平盛衰記」に題材をとったものが、ほとんどです。
曲目 「田村」「敦盛(あつもり)「忠度(ただのり)
「箙(えびら)」 「屋島」
3 三番目物(鬘物 かづらもの)
鬘を使う役、女性を主人公とする能です。歌舞中心の優美な場面を展開します。
曲目 「二人静」「半蔀(はじとみ)」「姨捨(おばすて)」
「杜若(かきつばた) 「羽衣」「松風」
4 四番目物(雑能物)
どの分野にも入らない能を集めた「その他」の意味で雑能といいます。離別した愛人や我が子を求めてさまよう狂乱物や現世への断ちがたい妄執を表す執心物など、文学的主題の濃厚なものが多くあります
曲目 「桜川」「隅田川」「邯鄲」「自然居士(じねんこじ)」
「景清(かげきよ)」「放下僧(ほうかぞう)「道成寺」
5 五番目物(切能)
一日の最後に上演される能をいいます。鬼や天狗、精霊などの登場するテンポの速い能です。
曲目 「鵜飼」「船弁慶」「土蜘蛛」「紅葉狩」「猩々」
「石橋(しゃっきょう)」
令和元年6月14日 記
能の流派
鎌倉時代後期から室町時代初期に、物真似を主軸とした大和猿楽の四座(外山座〔とびざ〕・現在の宝生流、結城座・現在の観世流、坂戸座・現在の金剛流、円満井座〔えんまいざ〕・現在の金春流)が、出ました。さらに、徳川幕府二代将軍秀忠の時代に、北七太夫長能(きたしちだゆうながよし)が格段の演者としてもてはやされ、喜多流が公認されました。
現在、宝生(ほうしょう)流、観世流、金剛(こんごう)流、金春(こんぱる)流、喜多流の五流派が、能のシテ方を務めています。その中で最も大きな流派が、観世流です。一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
令和元年6月13日 記
能楽(のうがく)の歴史
奈良時代の初期に唐から伝来した「散楽(さんがく)」は、軽業や曲芸、乱舞や滑稽な物真似など、狂言の源流的な芸を内容とするものでした。その後、平安時代中期以降は、軽口・物真似を中心とした寸劇的傾向を強めていきます。その「散楽」に由来することによって「猿楽(さるがく)」と呼ばれるようになります。一方、鎌倉時代後期に農村で腰鼓(ようこ)・笛などで田植えを囃したてる楽芸に「散楽」の軽業・曲芸を取り込んだ「田楽(でんがく)」が盛んになっていきます。
室町時代の初期、観阿弥・世阿弥が三代将軍足利義満の庇護の下、様々な要素を取り入れて、「猿楽」をさらに発展させていきます。その後、時の権力者、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に愛好され、その地位が確実なものとなりました。さらに、江戸時代には武家の式楽(しきがく)となり、隙のない緊張感をもった重々しい演じ方が定着しました。
幕末、明治維新の混乱で厳しい時代を迎えましたが、欧米の視察から帰国した岩倉具視(いわくらともみ)の尽力により能を保存・復興することになり、明治14年芝能楽堂が設立されました。江戸時代まで、能と狂言を総称して「猿楽」と呼んでいましたが、明治時代以降は「能楽」と呼ぶようになりました。
※式楽
儀式用に用いられる芸能。江戸時代、徳川幕府が能を武家の式楽として
規定したのが有名で,式楽といえば能をさすことが多い。
令和元年6月12日 記
新作能「沖宮(おきのみや)」
平成28年10月、新作能「沖宮」が演じられた。これは、作家石牟礼道子(いしむれみちこ)の作である。彼女は水俣病を通じて現代文明と向き合い、人間社会の矛盾と理不尽さに対峙し、声なき声に耳を傾けてきた。晩年、パーキンソン病に罹患しながらも、「沖宮」を書き上げた。本人の希望により、干ばつに苦しむ村のために雨の神である龍神への人柱とされた「あや」が着る緋の衣装を、染織家の志村ふくみに依頼した。「あや」は、亡き天草四郎の乳兄妹であった。彼がまとった天青(てんせい)の衣も、また志村ふくみの作によるものである。二人は30年来の友人であり、よき理解者でもあった。二人の思いがこもった作品を是非鑑賞したいものである。
平成31年1月24日 記
海外からのお客様
8月2日、オーストラリアのパース在住のサムくんが、我が家に来ました。日本の伝統や文化に興味があるということでしたので、能面の作り方や取り扱い方等について説明しました。また、鑿で木を打つ体験もしてもらいました。3時間半の楽しい時を共有するとともに、私にとっても英会話の学習の場となりました。
8月1日には、水田道場の稽古も見学しました。稽古の雰囲気に圧倒されて、1時間以上正座をしていました。とても興味深かったと話していました。
一過性の観光ではなく、何か違った日本を感じられた旅になれば幸いです。
「パース」について
オーストラリアの西オーストラリア州の州都。人口は200万人(都市圏人口)を超え、同州では最大、オーストラリアでは第4の都市である。また、オセアニア有数の世界都市でもある。「世界一美しく住みやすい街」と称賛されている。
平成30年8月4日 記
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