伊東静雄

     夏の終  
          伊東静雄

  月の出にはまだ間があるらしかつた
  海上には幾重にもくらい雲があつた
  そして雲のないところどころはしろく光つてみえた

  そこでは風と波とがはげしく揉み合つてゐた
  それは風が無性に波をおひ立ててゐるとも
  また波が身体を風にぶつつけてゐるともおもへた

  掛茶屋のお内儀は疲れてゐるらしかつた
  その顔はま向きにくらい海をながめ入つてゐたが
  それは呆(ぼん)やり牀几(しやうぎ)にすわつてゐるのだつた

  同じやうに永い間わたしも呆やりすわつてゐた
  わたしは疲れてゐるわけではなかつた
  海に向つてしかし心はさうあるよりほかはなかつた

  そんなことは皆どうでもよいのだつた
  ただある壮大なものが徐(しづ)かに傾いてゐるのであつた
  そしてときどき吹きつける砂が脚に痛かつた
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※大海原に向かうとぼんやりしたくなる。大きな懐に抱かれたような気分になる。寄せては返す波のざわめきも心地よい。
         平成28年4月17日 記 



    夏の終り
           伊東静雄

  夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
  気のとほくなるほど澄みに澄んだ
  かぐはしい大気の空をながれてゆく
  太陽の燃えかがやく野の景観に
  それがおほきく落とす静かな翳(かげ)は
  ……さよなら……さようなら……
  ……さよなら……さようなら……
  いちいちさう頷く眼差のように
  一筋光る街道をよこぎり
  あざやかな暗緑の水田(みずた)の面(おもて)を移り
  ちひさく動く行人をおひ越して
  しづかにしづかに村落の屋根屋根や
  樹上にかげり
  ……さよなら……さようなら……
  ……さよなら……さようなら……
  ずつとこの会釈をつづけながら
  やがて優しくわが視野から遠ざかる
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※昭和21年の作品、戦争に負け、それまでの価値観が壊れていったはずだ。「……さよなら……さようなら……」の繰り返しは、それらへの訣別であったろう。どこまでも澄んだ青空を流れる白い雲は、視覚的に美しい。高校時代、教科書に載っていた。
         平成28年4月11日 記 



   曠野の歌
       伊東静雄

  わが死せむ美しき日のために
  連嶺(れんれい)の夢想よ! 汝(な)が白雪を
  消さずあれ
  息ぐるしい稀薄のこれの曠野に
  ひと知れぬ泉をすぎ
  非時(ときじく)の木の実熟(う)るる
  隠れたる場しよを過ぎ
  われの播種(ま)く花のしるし
  近づく日わが屍骸(なきがら)を曳かむ馬を
  この道標(しめ)はいざなひ還さむ
  あゝかくてわが永久とはの帰郷を
  高貴なる汝(な)が白き光見送り
  木の実照り 泉はわらひ……
  わが痛き夢よこの時ぞ遂に
  休らはむもの!
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※伊東静雄は、その生涯を詩に徹し苛烈に生きた。詩には、一貫して詩人の切なる祈りがあり、生活者の真実がある。
         平成28年3月30日 記