飯田蛇笏
芋の露連山影を正しうす
をりとりてはらりとおもきすすきかな
なきがらや秋風かよふ鼻の穴
たましひのしづかにうつる菊見かな
もつ花におつるなみだや墓まゐり
信心の母にしたがふ盆会(ぼんえ)かな
死病得て爪うつくしき火桶かな
くれなゐのこころの闇の冬日かな
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
誰彼もあらず一天自尊の秋
いんぎんにことづてたのむ淑気かな
かりそめに燈籠おくや草の中
ふるさとの雪に我ある大爐(たいろ)かな
ゆく雲にしばらくひそむ帰燕かな
わらんべの溺るるばかり初湯かな
冬川に出て何を見る人の妻
冷やかに人住める地の起伏あり
切株において全き熟柿かな
古き世の火の色うごく野焼かな
秋立つや川瀬にまじる風のおと
鰯雲大いなる瀬をさかのぼる
よもすがら秋風聞くや裏の山
はるさむく医家の炉による奥の旅
大つぶの寒卵おく襤褸(らんる)の上
夏真昼死は半眼に人をみる
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※飯田蛇笏は、故郷山梨に籠もり富士山を友として格調の高い句を作り続けた。「芋の露・・・」「をりとりて・・・」「くろがねの・・・」などは絵画的で、その情景を脳裏に浮かべるのに容易である。
「なきがらや・・・」「信心の・・・ 」「もつ花に・・・」などお盆になるといつも思い出す。第二次世界大戦で長男と三男を失い、次男も病死という悲しみを背負いつつ俳句を作り続け、独特の世界を構築した。
芥川龍之介は、「死病得て・・・」に感銘を受けて以後蛇笏に傾倒、自身でも「労咳の頬美しや冬帽子」のような俳句を作った。「たましひの・・・」の句は、その芥川の死に寄せて詠んだ追悼句である。
いつ読んでも心が騒ぐのが蛇笏の句である。
令和4年8月15日 記