石川 啄木
やはらかに柳青める北上の岸辺(きしべ)目に見ゆ泣けと如くに
石をもて追わるる如くふるさとを いでし悲しみ消ゆる時なし
友がみな我より偉く見ゆる日よ花を買い来て妻と親しむ
頬に伝ふ涙のごわず一握の砂をしめしし人を忘れず
戯れに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
潮かをる北の浜辺の砂山のかのハマナスよ今年も咲けるや
かにかくに渋民村は恋しかり思ひ出の山思ひ出の川
ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな
そのかみの神童の名の悲しさよふるさとに来て泣くはそのこと
神無月岩手の山の初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ
こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふ
しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな
さいはての駅に下りたち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき
かなしきは小樽の町よ歌ふことなき人々の声の荒さよ
函館の青柳町こそ悲しけれ友の恋歌矢車の花
しらなみの寄せて騒げる函館の大森浜に思ひしことども
命なき砂の悲しさよさらさらと握れば指のあひだより落つ
神のごと遠く姿をあらわせる阿寒の山の雪のあけぼの
北の海白き波よる荒磯のくれなゐうれし浜茄子(はまなす)の花
アカシアの並木にポプラに秋の風吹くが悲しと日記に残れり
馬鈴薯(ばれいしょ)のうす紫の花に降る雨を思へり都の雨に
寂寞(せきばく)を敵とし友とし雪の中に長き一生を送る人もあり
今日もまた胸に痛みあり死ぬならばふるさとに行きて死なむと思ふ
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心
己が名をほのかに呼びて涙せし十四の春にかへる術なし
あめつちにわが悲しみと月光とあまねき秋の夜となれにけり
我が心今日もひそかに泣かむとす友みな己が道をあゆめり
山の子の山を思ふがごとくにもかなしき時は君を思へり
いくたびも死なむとしては死なざりし我が来しかたのをかしく悲し
堅く握るだけの力もなくなりしやせし我が手のいとほしさかな
かなしきは飽くなき利己の一念を持てあましたる男にありけり
世わたりの拙きことをひそかにも誇りとしたる我にやあらむ
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日
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※若くして逝ってしまう啄木の才能が、遺憾なく発揮されている。三行に書くのが、独特の表現方法である。彼にとって短歌は「悲しき玩具」、しかし、その輝きは永劫(えいごう)である。明治45年4月13日(1912年)死亡、26歳の若さであった。1年後妻節子も同じく肺結核で亡くなっていく。享年28、悲しい定めの人生であった。
平成28年6月28日 記