廣瀬淡窓(ひろせたんそう)

    桂林荘雑詠(けいりんそうざつえい)諸生に示す
                       廣瀬 淡窓

道(い)ふを休めよ 他郷(たきょう)苦辛多しと
同袍(どうほう)友有り 自(おのずか)ら相親しむ
柴扉(さいひ)暁に出づれば 霜雪(しもゆき)の如し
君は川流を汲め 我は薪(たきぎ)を拾はん

【口語訳】
 他郷での勉学には、苦しいこと、つらいことが多いと言うのはやめなさい。そこには一つのどてらをともに着るような、苦労を分かち合う仲間がいて自然と仲良くなるのだから。塾舎の柴の折戸を開けて外に出てみると、霜は雪のように白く降りている。さあ、君は川に行って水を汲むのだ。私は、山で薪を拾ってこよう。
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※咸宜園(かんぎえん)は、江戸時代後期に生まれた儒学者・廣瀬淡窓が豊後・日田に開いた日本最大規模の私塾(学校)である。「咸く宜し」(ことごとくよろし)とは、すべてのことがよろしいという意味で、淡窓は門下生一人一人の意思や個性を尊重する教育理念を塾名に込めたということである。
 「柴扉暁に出づれば霜雪の如し」の転句が、学問の厳しさを示唆している。
              平成27年3月14日 記