「流れる星は生きている」
藤原てい
昭和二十年八月九日の夜十時半頃、はげしく私の官舎の入口をたたく音が聞こえた。子どもたちは寝ていた。私たちは昨夜遅かったから今夜は早く寝ようかといっているところであった。
「藤原さん、藤原さん、観象台の者です」
若い人の声であった。夫と二人でドアーを開けると木銃を持った二人の男が立っていた。
「あ、藤原さんですか、すぐ役所へ来て下さい」
・・・・・・・・・・・・・。
とてもこの家を離れて遠くには行けそうに思えなかった。正広が6歳、正彦が3歳、そして咲子は生まれてまだやっと1ケ月になったばかりである。リュックサックやトランクの中に品物を出したり入れたりしているうちに、私は急に淋しくなって涙ぐんで来た。
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夫が帰って来た。蒼白な顔を極度に緊張させて私の前に立った夫は別人のようにいった。
「一時半までに新京駅へ集合するのだ」
「えッ、新京駅ですって!」
「新京から逃げるのだ」
「どうして?」
夫はそれに対して言葉短に説明した。関東軍の家族がすでに移動を始めている。政府の家族もこれについで同じ行動を取るように上部からの命令である。新京が戦禍の巷になった場合を考慮して急いで立ち急ぐのだとのことだった。
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※ 幼い子ども三人を連れて、新京から釜山を経て、日本に帰るまでの壮絶な記録である。戦争に翻弄された家族の歴史でもある。これを読むと、いかに戦争が愚かな行為かよく分かる。藤原ていは、新田次郎の妻、藤原正彦の母でもある。藤原正彦は、お茶の水女子大学教授を務めた数学者で、『国家の品格』の作者だ。本日の新聞に、藤原ていが亡くなったと載っていた。一つの時代が終わっていくが、戦争の悲惨さや愚かさは語り継いでいかなければならない。
平成28年11月19日