有間皇子
家にあれば 笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
磐代の浜松が枝を引き結び真幸(まさき)くあらばまた還り見む
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※父の孝徳天皇が、中大兄皇子(後の天智天皇)と対立して孤立し、失意のうちに難波で没したあと、有間皇子は、有力な皇位後継者として注目され、皇太子である中大兄皇子に疎まれることになる。やがて、天智天皇と蘇我赤兄の奸計にあう。天智天皇が「なぜ謀反を企てたのか」と問うと,有間皇子は「天と赤兄と知る。私は全く知らない。」とだけ答え2日後に処刑された。19歳であった。歴史は、権謀術数を多く物語る。
「家にあれば・・・」は、捕らわれて紀の国に護送されるとき詠んだとされる。生か死かの不安な気持ちの中で,椎の葉に飯をのせて神に供えているのである。
「磐代の・・・」は、命があれば、また見に来ようとするものである。しかし、それは叶わぬことであった。
平成27年3月12日 記