与謝蕪村

             檜笠辞(ひのきがさのじ)
                      与謝蕪村

 さくら見せうそひの木笠と、よしのの旅にいそがれし風流はしたはず。家にのみありてうき世のわざにくるしみ、そのことはとやせまし、この事はかくやあらんなど、かねておもひはかりしことどもえはたさず、つひには煙霞花鳥に辜負(こふ)するためしは、多く世のありさまなれど、今更我のみおろかなるやうにて、人に相見んおもてもあらぬここちす。
 花ちりて身の下やみやひの木笠 夜半

 【口語訳】
 「さくら見せうそひの木笠」と『笈の小文』の旅で詠った松尾芭蕉のように旅中漂白の詩情は、自分のなせるものではない。家にあって世情の瑣末なことに心を砕いて、そのことはどうしようか、このことはこのようにありたいなどと、かねて思ったこともできず、煙霞花鳥にも背いてしまう例は世間には幾らでもあるが、自分だけが愚かなようで人に会えない気持ちになる。
「花ちりて身の下やみやひの木笠 夜半」
(檜笠をかぶって旅に出ようとしても、花は散って木の下闇になっているし、わが身も闇で、愚かなように思われ、人に顔を合わせるのも厭われることだ)
 ------------------------------------------------------------------------
 芭蕉は「高く心を悟りて俗にかへるべし」と教へたが、蕪村は、「俗を用ゐて俗を離る」であった。生涯、芭蕉を慕った蕪村は、その生き方を踏襲しようとはしなかった。俗の中にあって俗を離れることの難しさを感じた蕪村は、真の風雅がそこにあると感じていたのであろう。しかし、句の中には、世俗と風雅の二律背反が見えてくる。
               平成27年1月7日 記