徒然草
徒然草 (第150段)
吉田兼好
能をつかんとする人「よくせざらんほどは,なまじひに,人に知られじ。うちうちよく習ひ得て,さし出でたらんこそ,いと心にくからめ」と常にいふめれど,かくいふ人,一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより,上手の中にまじりて,毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず,つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、天性その骨(こつ)なけれども,道になづまず,みだりにせずして,年を送れば,堪能(かんのう)の嗜まざるよりは,つひに上手の位にいたり,徳たけ,人に許されて,双(ならび)なき名を得る事なり。
天下(あめつち)のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒(ほうらつ)せざれば、世の博士(はかせ)にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
【口語訳】
一芸を身につけようとする人が,「まだよくできない間は,人に知られずこっそりよく習い覚えて人前に出るのは,まことに奥ゆかしい。」と常に言うようだが,そのような人は,一芸も習い覚えることができない。まだ,とても未熟な時分から上手な人の中に混じって,悪く言われ笑われてもきまり悪がらず,平気で押し通して励む人は,生まれつき天分はなくても,嫌気がさして停滞することがない。また,自己流で勝手なことをしないので,年を経ると器用な人で精励しない人より,ついには上手といわれる位置に上り,人を感服させる能力がつき,人からも認められ並ぶ者のない名声を得ることができる。
天下の芸能の名人でも、最初は無能と言われたり、とても酷い欠点もあった。しかし、その本人が、その道の教えを守って、これを尊重し勝手な振る舞いをしなかったので、その道の名人となり万人の師にもなれたのである。これは、どの道においても変わらないことである。
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※師に付き自分勝手にやらないことが、道を志す人の本道である。人前で批判、指導されることを恐れてはならない。大いに恥をかくことが上達の秘訣である。しかし、これが難しい。「天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず」私は、この「くだり」を暗唱し、心の戒めにしている。剣道も葡萄・柿作りも能面作りも、常にこれでよいというものがない。吉田兼好の一文一文が実に重い。それにしても、この文章の無駄のない切れ味はどうだろうか。日本文学史上、『奥の細道』とともに双璧である。
ところで、本文に「能」とあるが、これは現在の「能楽(能と狂言を総称する言葉)」のことではなく、芸道全般を指している。観阿弥、世阿弥が世に出で「能(当時は申楽とか申楽の能と呼ばれていた)」を大成するのが室町幕府三代将軍足利義満の時代であるから、西暦1400年前後のことになる。『徒然草』は1330年頃(鎌倉時代末期)に書き上げられたと言われているので、「能」の大成までには至っていない。
令和5年11月6日 記
徒然草 (第137段)
吉田兼好
花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ哀れに情(なさけ)ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所おほけれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはる事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふならひはさる事なれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは、いふめる。
【口語訳】
桜の花は、何も盛りだけを、月は、何も曇りなく照りわたっているのだけを見るものではない。雨に向かって月を恋しく思い、簾をおろして春の行方を知らないのも、やはりしみじみと趣深いものだ。今にも咲きそうな桜の梢や、花が散って花びらがしおれている庭にこそ、見るべき所がある。和歌の詞書にも、「花見に参りましたが、すでに散り終わっていましたので」とも、「差し支え事があって花見に参りませんで」とも書いてあるのは、「花を見て」と言っていることに劣ることだろうか、いや、そんなことはない。花が散り、月が西へ傾くのを慕う習慣はもっともなことであるのに、特にものの情緒を解さない人にかぎって「この枝もあの枝も散ってしまった。今はもう見る価値はない」などと言うようだ。
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※ 先日、満月を車から見て、『徒然草』の「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。」という書き出しを思い出した。桜の満開時にも脳裏に浮かぶ一節である。花は盛り、月は満月だけが見どころではない、とする吉田兼好の考え方に惹かれる。見方や考え方を変えてみると、また違った一面が見えてくる。物事を多面的に見、さらに全体を俯瞰(ふかん)することは大切なことである。
令和3年7月27日 記
徒然草 (第11段)
吉田兼好
神無月の頃、栗栖野(くるすの)といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに、はるかなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたるいほりあり。木の葉にうづもるるかけひのしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚(あかだな)に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめてこの木なからましかばと覚えしか。
【口語訳】
10月のころ、来栖野という所を通って、ある山里に人を訪ねて入ったことがあった。長く続いた苔むす細道を踏み分けていくと心細げに住なしている庵があった。木の葉に埋もれている懸樋かけひいから落ちる水の滴り以外は、まったく音をたてるものがない。閼伽棚に菊や紅葉などを折り取って無造作においてあるのは、やはり住む人があるからなのであろう。こんな所にも住むことができるものなんだと感慨深く見ているうちに、むこうの庭に大きな蜜柑の木で、枝もたわむほどに実っているのが、その周囲が厳重に囲われてあった。その情景は、いささか興ざめであった。この木がなかったら、どんなによかったろうにと思われたことであった。
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※葡萄がハクビシンに食べられ、電気柵を設けた行為は、吉田兼好にしてみれば許されないものだろう。しかし、農業を生業(なりわい)としていたら、そうも言ってはいられない。それが平凡な人間の行為である。人間の深層心理を剔抉(てっけつ)することに長けている作者の真骨頂とも言える段である。
剔抉・・・えぐり出すこと
令和2年9月2日 記
徒然草 (第78段)
吉田兼好
今樣の事どもの珍しきを、いひ広め、もてなすこそ、又うけられね。世にこと古(ふ)りたるまで知らぬ人は、心にくし。今更の人などのある時、こゝもとに言ひつけたる言種(ことぐさ)、物の名など心得たるどち、片端言ひかはし、目見あはせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心得ず思はする事、世なれず、よからぬ人の、必ずある事なり。
【口語訳】
最近流行り始めたばかりの珍しいことを有り難がって吹聴してまわる人がいるが、これは感心しない。世間で言い古したものなってしまうまで、知らないでいるのが奥ゆかしい。新たな参加者がいるのに、仲間内だけで常に言い慣れている言葉や物の名前などを一部分言い合って、目配せしたり笑ったりして、意味を知らない人に不審に思わせることは、世間になれない無教養の人が、よくやることである。
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※ 仲間同士が隠語を使用して、その絆を確認することはよく耳にする。特に高校生に多いらしい。言葉は生き物であるとしても、憎々しい時がある。鎌倉時代の出来事が、現代でも行われている。いやそれ以前からかもしれない。なんと人間とは変わらないものなのだろうか。徒党を組んだり群れたりするのは、愚かな人間のすることだ。
令和2年3月16日 記
徒然草 (第81段)
吉田兼好
屏風・障子などの繪も文字も、かたくななる筆樣(ふでやう)して書きたるが、見にくきよりも、宿の主人(あるじ)の拙く覺ゆるなり。大かた持てる調度にても、心おとりせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず、損ぜざらむためとて、品なく見にくきさまに爲(し)なし、珍しからんとて、用なき事どもし添(そ)へ、煩はしく好みなせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたく
ことごとしからず、費(ついえ)もなくて、物がらのよきがよきなり。
【口語訳】
屏風や障子などに書いてある絵や文字も、下手な筆づかいで書いてあるものは、みっともないというよりも、それが置かれている家の主人に品格が、劣っていると感じられるものだ。だいたい、所持する道具類によって、その持ち主に幻滅させられることは、よくありそうなことである。とは言っても、必ずしも立派なものを持つべきだというわけではない。壊れないようにといって、下品でみっともないように作ったり、人目を引くようにと不必要な装飾めいたものを加え、ごたごたした趣向を凝らしたりするものを、私は言っているのである。古風で、あまり大げさではなく、費用もそれほどかからず、品の良いのが最高である。
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※ 確かに、高価な調度品をこれでもかと置いている家を見ると辟易する。よい物や手に馴染んだ物が品よく置いてあるのは、実に共感を覚える。日本人の美的感覚は、空間をいかに上手に生かすかにかかっていると思う。それは、日本刀の鍔の装飾にも言えることである。
鍔の表 鍔の裏
これは私の所蔵している鉄鍔で、虫や植物が金、銀、赤銅の象嵌(ぞうがん)で巧みに表現されている。表は人から見えるので賑やかに、それに反して裏は余白を多く取り地味になっている。
令和2年3月6日 記
徒然草 (第20段)
吉田兼好
某(なにがし)とかやいひし世すて人の、「この世のほだしもたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」と言ひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。
【口語訳】
何とやらいった世捨て人が、「この現世に、何一つ心を引かれるものとてもたぬ自分ではあるが、ただ四季折々の月だけが、身にしみて惜しまれる。」と言ったこと、なるほどまったくそうだろうと、私には頷けることだ。
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※所縁を放下し、あらゆる束縛から解放されたはずの隠遁者が、惜別の情禁じがたいものがあるという。月との別れである。それを耳にした吉田兼好も、深く肯定する。出来るだけ言葉を省いた玲瓏珠玉(れいろうしゅぎょく)の表現で、兼好の真骨頂というべきものである。
令和2年3月5日 記
徒然草 (第25段)
吉田兼好
飛鳥川の淵瀬(ふちせ)常ならぬ世にしあれば、時うつり、事去り、楽しび・悲しび行きかひて、花やかなりし辺(あたり)も、人すまぬ野らとなり、変らぬ住家(すみか)は人あらたまりぬ。桃李(とうり)物いはねば、誰と共にか昔を語らん。まして見ぬ古(いにしえ)のやんごとなかりけむ跡のみぞいとはかなき。
京極殿・法成寺(ほうじょう)など見るこそ、志留まり事変じにける様は哀れなれ。御堂殿(みどうどの)の作り磨かせ給ひて、莊園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見(うしろみ)、世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせ果てむとはおぼしてんや。大門(だいもん)・金堂など近くまでありしかど、正和のころ、南門は焼けぬ。金堂はその後たふれ伏したるままにて、取りたつるわざもなし。無量寿院(むりょうじゅいん)ばかりぞ、そのかたとて残りたる。丈六の仏九体、いと尊くて並びおはします。行成(こうぜい)大納言の額、兼行(かねゆき)が書ける扉、なほあざやかに見ゆるぞあはれなる。法華堂などもいまだ侍るめり。これも亦、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから礎ばかり殘るもあれど、さだかに知れる人もなし。
されば、萬(よろず)に見ざらむ世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ。
【口語訳】
飛鳥川の淵や瀬は常に姿を変えているが、この川の流れのように移り変わり続けるのが世の常であるならば、時は移り、物事は過ぎ去って、喜びも悲しみも入り交じり過去に流れ去っていく。華やかだった場所も、やがて人の住まない荒野となるが、家が残っていたとしても住む人は違う人に変わってしまう。毎年のように花を咲かせる桃李は何も語らないので、誰に遠い昔のことを尋ねればよいのだろうか。見たこともない古代の繁栄・高貴の遺構を示す廃墟は、とても儚いものである。
藤原道長が建立した豪華な京極殿・法成寺などの跡を見ると、昔の貴人の思いが偲ばれて、今のすっかり荒れ果てて変わってしまった様子が哀れに感じる。多くの荘園を寄進して、自らの一族が末代まで天皇の後見人となることを望んだ道長は、その繁栄を極めている時期にこのように変わり果ててしまった状態を予測することができただろうか。法成寺の大門・金堂などは最近まであったのだが、正和の頃に南門は焼け落ち、金堂はその後に倒れたままであり、再建する目途も立っていない。無量寿院だけが、その形を今でも残しており、一丈六尺の仏様が九体、尊い姿で並んでいる。藤原行成大納言の書いた額、源兼行が書いた扉の絵が、今も鮮やかに残っている様子が悲しく感じられる。法華堂などもまだ残っているが、これもいつまであるだろうか。こういった過去の名残・記録もないような場所には、建物の土台の跡が残っているだけで、何の建物の跡だったのかを正確に知る人はいないのである。だから、自分が見ることのできない遠い子孫の代まで考え定めておこうとするようなことは、すべて儚いのである。
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※時の威力の前には、人間の営みなど何と儚いものか。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠った藤原道長は、絶対的な権力を振るい、その莫大な財力をもってして、子孫の繁栄を願い京極殿・法成寺を作った。しかし、その京極殿も道長死後13年後に消失した。法成寺も道長死後30年をして全焼し、その後再建されたが、またも災禍に見舞われ鎌倉時代末期に廃絶された。まさに人生無常の紛れもない姿である。
令和2年3月4日 記
徒然草 (第75段)
吉田兼好
つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に從へば、心、外の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よその聞きに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。惑(まど)ひの上に醉へり、醉の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。
いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑(しづか)にし、事に與(あづか)らずして心を安くせんこそ、暫く樂しぶともいひつべけれ。「生活(しゃうかつ)・人事(にんじ)・技能・學問等の諸縁を止(や)めよ」とこそ、摩訶止觀にも侍(はべ)れ。
【口語訳】
暇ですることがないといって嘆く人がいるが、どうしてそんなことを言うのか不思議だ。何事にも煩わされずに、たった一人でいるのが最善なのである。世間一般に同調すると、自分の本心が外部の刺激に影響されて混乱しやすく、人と交渉をもつと自分の言葉が他人の耳に逆らわぬようにと相手に追随して、まるで自分の心ではない。冗談を言ってみたり、人と争ったり、ある時は恨み言を言うかと思えば、喜びの声を上げたりする。(といった具合に)人に対する態度に一定の基準による確かさがない。心が動揺している上に、さらに酔っているなかで、夢をみているのである。走り回って忙しがっており、精神がぼやけていて、しかもそれに気付かずにいることは、世間一般みな同様である。
仏の道を知らない人でも、俗世間的な環境から遠ざかって、我が身を静かな境涯におき雑事と関係を絶ち心の平静を保つなら、誰でもしばしの安楽が得られよう。「生活、交際、芸能、学問など世間とのつながりを断て」とは『摩訶止観』という仏典にも書かれていることである。
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※ 俗縁に拘束された生活を放擲し、心の安穏を保つべきである。まさに、所縁を放下すべき時がきた。外の塵は、「外に六塵有り、色声香味触法と謂う」という仏書からきている。
【参照】 ホームページ「禅の視点」より
眼は「姿」を知覚し、耳は「音」を知覚し、鼻は「匂い」を知覚し、舌は「味わい」を知覚し、身は「感触」を知覚し、意は「考える対象」を知覚する。そして、それら6つの対象を専門的な言葉として一文字で示し、眼の対象を「色」、耳の対象を「声」、鼻の対象を「香」、舌の対象を「味」、身の対象を「触」、意の対象を「法」と名付けた。
令和2年2月27日 記
徒然草 (第85段)
吉田兼好
狂人のまねとて,大路を走らば,則ち狂人なり。悪人のまねとて人を殺さば悪人なり。驥(き)を学ぶは驥のたぐひ,舜を学は舜の徒(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを賢といふべし。
【口語訳】
かりそめにも狂人のまねだといって大通りを走ったならば,とりもなおさず狂人である。悪人のまねだといって,人を殺したならば悪人である。千里を行く駿馬のまねをする馬は駿馬の仲間であり,舜をまねる人は,舜の仲間である。見せかけにせよ,賢人のまねをする人を賢人というのは至当なことである。
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※ 常にあるべき姿を求めて日々修練を重ねたいものである。短い人生に寄り道は許されない。
令和2年2月26日 記
徒然草 (第110段)
吉田兼好
雙六(すぐろく)の上手といひし人に、その術(てだて)を問ひ侍りしかば、「勝たんとうつべからず、負けじとうつべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりとも遲く負くべき手につくべし」といふ。
道を知れる教(おしえ)、身を修め、國を保たむ道も、またしかなり。
【口語訳】
双六の名人と呼ばれている人に、その必勝法を聞いてみたところ、「勝ちたいと思って打ってはいけない。負けてはならぬと思って打つのだ。どんな打ち方をしたら、たちまち負けてしまうかを予測し、その手は打たずに、たとえ一マスでも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」と答えた。
その道を極めた人の言うことであって、一身を治め一国を保っていく道も、やはりそのとおりである。
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※なるほどと感心する。これは、様々な競技に言えることであろう。自己反省をし、己の弱点を見極めることが進歩の原理だとする真理。積極的に見えることばかりが必ずしも勝利への道ではなく、むしろ消極的に見える態度の中に含まれているしぶとい負けじ魂こそ、勝利へと続く道であるという真理。いつの時代も同じだ。
ところで、コロナウイルスが蔓延しているが、爆発的な感染を緩やかにするためにはここ1、2週間が瀬戸際だとする。そのためには、必要とする人にPCR検査が出来るようにしなければならないのにしないのは、罹患者を洗い出さない国の不作為を感じる。民間施設を利用すれば、出来るのに。4月の習近平の来日、オリンピックなどのために国民を人身御供にしている政府の愚策を感じる。
令和2年2月25日 記
徒然草 (第188段)
吉田兼好
或者、子を法師になして、「学問して因果の理(ことわり)をも知り、説教などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のままに、説教師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請(しょう)ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻(ももじり)にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事の後、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説教習うべき隙なくて、年寄りにけり。
この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、この事あり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成(じょう)じ、能をも附き、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心には懸けながら、世を長閑(のどか)に思ひて打ち怠りつつ、先づ、差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるる齢(よわい)ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へ行く。
されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし。一日の中、一時の中にも、数多の事の来らん中に、少しも益(やく)の勝らん事を営みて、その外をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方(いづかた)をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。
(中略)
一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一の大事成るべからず。人の数多ありける中にて、或者、「ますほの薄(すすき)、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺の聖、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮(とうれん)法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑・笠やある。貸し給へ。かの薄の事習ひに、渡辺の聖のがり尋ね罷(まか)らん」と言ひけるを、「余りに物騒がし。雨止みてこそ」と人の言ひければ、「無下の事をも仰せらるるものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつつ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゆしく、有難う覚ゆれ。「敏(と)き時は、即ち功あり」とぞ、論語と云ふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。
【口語訳】
ある者が、自分の子を法師にして言った。「仏の道を学んで物事の因果の理を知り、学んだ内容を説経でもして、世を渡るための支えとせよ」と。子は親の教えのままに、説経師になることに決め、そのために、最初に乗馬を習うことにした。(そのわけは)自分が大きな寺の僧侶のように牛車・輿に乗れる身分でもないので、法事の導師として招かれて馬などで迎えに来られた時に、桃尻で落馬したら恥ずかしい思いをすると心配になったからである。次に、法事の後で、酒など勧められた時に芸の一つも披露できないと、檀那がつまらなく思うだろうと思って早歌を習った。乗馬・早歌の二つがだんだんと熟練の域に達して、いよいよその道が面白くなってしまい懸命に練習しているうちに、本来の目的だった仏教の説経を習う時間もないままに年寄りになってしまった。
この法師だけではない、世間の人は誰でもこんなものだ。若いうちは何につけても、まずは身を立て、大いなる目的をも達成し、技芸を身につけて、学問を修めようと、長い将来をあれこれと計画しているものだ。だが、まだまだ人生は長いと思ってやるべきことを怠けていると、差し迫った目の前の仕事に紛れて月日を送り、何事も達成できないままに身は老いてしまう。 最後には、何の道にも精通せず、思い通りに出世することもできず、それを悔いたところで取り返しのつかない年齢になっており、ただ坂道を転がる車輪のように衰えていくだけである。
(中略)
一つの事を必ず成そうと思うならば、他の事が失敗しても落ち込むのではなく、他人の嘲りを受けても恥じてはいけない。全ての事柄と引き換えにしなければ、一番の大事が成るはずなどない。大勢の人がいる中である人がこう言った。『ますほのススキ、まそほのススキなどと言うことがある。渡辺の聖は、このススキについて何か知っているということだ』と。その場にいた登蓮法師はそれを聞いて、雨が降っていたのにも関わらず、「笠と蓑はありますか。あれば貸してください。そのススキの事を習いに、今から渡辺の聖のところへ行ってまいります」と言った。「あまりに性急ですね。雨がやんでからでいいでしょう」と周りの人が言ったのだが、「とんでもないことを言わないでください。人の命が雨の晴れ間をも待つものでしょうか。私が死んで、聖も死ねば、誰が尋ねて誰が教えることができるんですか。」と登蓮法師は言い返した。登蓮法師は雨の中を駆け出して、渡辺の聖にススキの事を習いに行ってしまったと伝えられているが、立派な即断であり、なかなか出来ないことでもある。「すぐに行えば、すぐに良い結果が得られる」と、論語という書にも書かれている。ススキを不審に思ってすぐに知ろうとした登蓮法師のように、乗馬・早歌の道に優れた初めの法師も、一大事の因縁こそを思うべきであった。
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※人生において何が大切なのかを考え、物事に軽重をつけるべきである。そうしなければ、世事の瑣末なことに追われて一つのことも成就できない。人生は、思っている以上に短いはずだ。富岡風生の句に「いやなこといやで通して老の春」とある。かく生きられれば、心も穏やかだろう。しかし、生きられないから、このような俳句が出来たのかもしれない。
令和2年2月22日 記
徒然草 (第15段)
吉田兼好
いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、ここ・かしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、『その事、かの事、便宜に忘れるな』など言ひやるこそおかしけれ。
さようの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはおかしとこそ見ゆれ。寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。
[口語訳]
どこであっても、しばらくの間、旅立つということは、目がさめる心地がする。そのあたり、ここかしこを見てまわり、田舎びた所、山里などは、本当に見慣れないことが多いだろう。都へ良い知らせを求めて手紙を送る、『その事、あの事、都合良く忘れるな』などと言ってやるのは面白いものだ。
そのような旅先でこそ、全てのことに心遣いをすることができるだろう。持っている調度品も良いものは良い、芸能のある人、容姿が美しい人も、いつもより興味深く見ることができる。寺や神社などに忍び込んで、ひっそりと籠るのもまた面白い。
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※ 徒然草は、約700年前(鎌倉幕府終焉に近い1331年頃)に成立している。現在であればヨーロッパぐらいまで行ける時間で、当時はせいぜい京都郊外ぐらいが常であったろう。つまり、京都の郊外に出るということは、現在の我々がヨーロッパ旅行をするぐらいの高揚感にみまわれるということだ。だからこそ、見るもの、聞くことが、新鮮に感じられたに違いない。現在の感覚とは違うことを念頭に置きながら、旅行することの楽しさの共通項を探りたい。しかし、ゆめゆめクルーズ船での旅行は考えたくないものだ。
令和2年2月21日 記
徒然草 (第233段)
吉田兼好
よろずの科(とが)あらじと思はば、何事にも誠ありて、人を分かず恭(うやうや)しく、言葉すくなからんには如かじ。男女・老少、みなさる人こそよけれども、ことに若くかたちよき人の、ことうるはしきは、忘れがたく、思ひつかるゝものなり。
よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得(ところえ)たるけしきして、人をないがしろにするにあり。
【口語訳】
どんな場合でも人に非難されることのないようにと思ったら、いつも誠実に事に当たり、人を差別せず礼儀正しく、口数を少な目にしているのが一番である。これは老若男女を問わず誰にも言えることである。とりわけ若くて姿かたちが整っていてしかも言葉遣いがきちんとしているなら、好感をもたれてよい印象を残すことは確実である。
一切の失態は、物慣れたふうに、また巧者らしく振る舞い、のさばって他人を無視する行為から起こるものである。
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※相手を尊重することは、いつの時代にも共通することである。そうすれば、家庭でも国同士でも争いごとはなくなる。常に自分の行動を見つめ直す必要がある。
令和2年2月17日 記
徒然草 (第167段)
吉田兼好
我が智をとり出でて,人に争ふは,角をかたぶけ,牙あるものの牙をかみ出すたぐひなり。人としては善にほこらず,物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは,大きなる失なり。品の高さにても,才芸のすぐれたるにても,先祖の誉にても,人に勝れりと思へる人は,たとひ言葉に出てこそ言はねども,内心にそこばくのとがあり。つつしみて是を忘るべし。をこにも見え,人にいひけたれ,わざはひを招くは,ただこの慢心なり。
一道にも誠に長じぬる人は,みづから明らかにその非を知る故に,志(こころざし)常に満たずして,終(つひ)に物に伐(ほこ)る事なし。
【口語訳】
自分の知識をぶちまけて人と争うのは、角ある動物が角を傾け,牙のある動物が牙をかみ出して相手に襲いかかってゆくのと同類である。人間としては、善事を行っても誇らず人と争わないのが美点なのだ。他人より勝れていると自分で意識するのは大きな欠点である。家柄・身分が高いこと,学才・芸能の勝れていること,先祖の名誉ということでも,他人よりも勝っていると意識している人は、たとえ言葉に出さなくても内心に多くの非難に値するものがある。自戒して自分の勝れているところは忘れてしまえ。他人からは馬鹿に見え,非難され禍を招くのはただこの慢心である。
一つの専門の道に本当に達し通じている人は,明確に欠点を知っているから満足することなく,最後まで他人に自分の力を偉ぶって誇示することがない。
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※ 「人に勝れりと思へる人は,たとひ言葉に出てこそ言はねども,内心にそこばくのとがあり。」と人間の本質を厳しく指摘している。誰しもが人に認められたいと思うのが常である。その心の奥底にあるものすら見透かしている。本当に力がある者は、自らの力を誇らずとも周りから認められる。しかし、そうだとしても一片の驕りがあるかどうか内省してみなければならない。
「一道にも誠に長じぬる人は,みづから明らかにその非を知る故に,志常に満たずして,終に物に伐る事なし。」戒めとしたい言葉だ。
令和2年2月13日 記
徒然草 (第157段)
吉田兼好
筆をとれば物書かれ、樂器(がくき)をとれば音(ね)をたてんと思ふ。杯をとれば酒を思ひ、賽(さい)をとれば攤(だ)うたむ事を思ふ。心は必ず事に触れて來る。仮りにも不善のたはぶれをなすべからず。
あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文(ふみ)も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むる事もあり。仮に今この文をひろげざらましかば、この事を知らんや。これすなはち触るゝ所の益なり。心更に起らずとも、仏前にありて数珠(ずず)を取り、経を取らば、怠るうちにも、善業おのづから修せられ、散乱の心ながらも縄床(じょうしゃう)に坐せば、おぼえずして禅定なるべし。
事理もとより二つならず。外相(げさう)もし背かざれば、内証(ないしょう)かならず熟す。強ひて不信といふべからず。仰(あふ)ぎてこれを尊(たふと)むべし。
【口語訳】
筆をとると何かものを書きたくなり、楽器を手に取ると何か音を立てたくなる。盃を手に取れば酒が飲みたくなり、サイコロを手に取れば一勝負したくなる。人の気持ちはいつも物に触れることによって動く。したがって、かりそめにも冗談で不正をしてはいけない。
しかし、気まぐれにお経の一句を見ると、何となく前後の文章にも目がいく。そうすると、思いがけず長年の誤りを正せたりもする。もし、いまこの経文をひろげなかったなら、この間違いに気付かないであろう。これこそ、物に触れることによって得られる利益である。
まったく気乗りがしなくても、仏前に座って数珠を握りお経の本を手に取るなら、怠けながらも自然に善根を積むことになる。心が乱れていても席に着いて座禅を組めば、我知らず心は統一静寂の境地に入るのである。
外面的な出来事と内面の悟りは、本来別々のものではないのだ。だから、たとえ外面的であっても道を外れずにいるかぎり、内面の悟りは必然的に育っていくのである。ことさらに(仏教の形式的な行為について)これを正しい信仰ではないと言うべきではない。外相の正しい点は、深く尊ぶべきである。
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※ 「事理もとより二つならず。外相もし背かざれば、内証かならず熟す」が、この段の最も重要なところである。外部に現れた所作と内に潜んでいる有り様は、別物ではなく実は同一なのだとする。仏道に関して述べているが、人間の生き方に直結している。己を厳しく律して生きていくことが、心の安寧に繋がること必定である。
令和2年2月12日 記
徒然草 (第12段)
吉田兼好
同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。
たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつかたも我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞわびしきや。
【口語訳】
気心のしっくりあった友と、しんみりと話をして、優雅なことでも、ちょっとした世間話でも、お互いに腹蔵なく話し合って、心を慰めることはこんなに嬉しいことはない。でも、そういう人は都合よくいるわけもなく、お互いに相手の気持ちに背くまいと(気を遣って)対座していると、(話し相手はいるといっても、実は)一人でいるのと同じ気持ちがするであろう。
互いに話し合うようなことは、なるほど(もっともだ)と聞いてみる価値もあるけれど、違った意見であったならば「そんなことはない」と論争が勃発し「こうだからこうなのだ」などと議論になる。それはそれで、心さびしい思いも慰められるのかもしれないが、本当は、小さな愚痴も受け止めてもらえない人と話していたら、とりとめのない話をしているうちは良いけれど、真実の肝胆相照らす友という境地には、遙かに距離がある(のを否定できない)のはどうも致し方のないことであるよ。
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※相手の気持ちに逆らうまいとする社交的な会話は、魂の無孤独感を増長するにすぎない。実に心の友は得難いものである。
令和2年2月6日 記
徒然草 (第123段)
吉田兼好
無益のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事(ひがごと)する人とも言ふべし。国のため、君のために、止むことを得ずして為すべき事多し。その余りの暇、幾ばくならず。思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。
人間の大事、この三つには過ぎず。餓ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、閑かに過すを楽しびとす。ただし、人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁忍び難し。医療を忘るべからず。薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つの外を求め営むを奢りとす。四つの事倹約ならば、誰の人か足らずとせん。
【口語訳】
無益なことをして時を過ごす人は、愚かな人とも、不正なことをする人とも言うべきである。国の為、主君の為と、やむを得ずにしなければならないことは多い。それ以外の義務にとらわれない暇な時間というのは、ほとんどない。考えてみるといい、人間にとって絶対に必要とされるもの、第一に食べる物、第二に着る物、第三に住む場所である。
人間にとって大事なのは、この3つに過ぎない。餓えなくて、寒くなくて、雨風がしのげる家があるならば、後は閑かに楽しく過ごせば良いのだ。ただし、人には病気がある。病気に罹ってしまうと、その辛さは堪え難いものだ。だから医療を忘れてはならない。衣食住に医療と薬を加えた四つの事を求めても得られない者を貧者とする。この四つが欠けてない者を、金持ちとする。それ以上のことを望むのは、奢りである。四つの事でつつましく満足するなら、誰が足りないものなどあるだろうか。
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※ 「足るを知る」ということを実践するのは、なんと難しいことか。人間の欲には限りがない。それを捨てなければ、心の安寧は得られない。心の修行だ。
令和2年2月4日 記
徒然草 (第108段)
吉田兼好
寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人の爲にいはば、一錢輕しといへども、これを累(かさ)ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人(あきびと)の一錢を惜しむ心、切なり。刹那覺えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期(ご)、忽(たちま)ちに到る。
されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐることを惜しむべし。もし人來りて、わが命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか營まむ。我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならん。一日のうちに、飮食(おんじき)・便利・睡眠・言語(ごんご)・行歩(ぎゃうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その餘りの暇、いくばくならぬうちに無益(むやく)の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟(しゆい)して、時を移すのみならず、日を消(せう)し、月をわたりて、一生をおくる、最も愚かなり。
【口語訳】
この世は一瞬を無駄に過ごす人ばかりである。これは一瞬の貴重さを知っていながら無駄に過ごすのだろうか、それとも知らずにそうするのだろうか。一瞬の貴重さを知らない人のために言うなら、わずか一銭のお金でも、これを貯めることによって、貧乏人が金持ちになることを思えばよい。だからこそ、商人は、けっして一銭を無駄にしないのである。逆に、一瞬一瞬は目に見えないけれども、それを無駄に過ごし続けていると、命の終わるときは瞬く間にやってくる のだ。
したがって、道に志す人は、一日や一月といった長い時間を惜しむのではなく、現在の一瞬が無駄に過ぎるのを惜しむべきである。もし誰かがやって来て「おまえの命は明日には必ず尽きる」と告げたとしたら、今日一日が終わるまでの間、自分はいったい何を目的にして、何をするか考え てみればよい。我々が生きている今日という日が、この最後の日でないとどうして言えよう。ところが、その一日の多くは、食事をしたり、トイレに行ったり、眠ったり、 しゃべったり、歩いたりという、やむを得ないことで使われてしまうのである。もしその残りのわずかな時間を、無駄なことを言い、無駄なことを考え、無駄なことをして過ごすとしたら、さらには、そんなふうに月日を過ごし、一生を送るとしたら、まったく愚かなことではないか。
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※ 「一寸の光陰軽んずべからず」、人生は、儚い夢のように過ぎていく。永遠の命を生きているわけではない。
令和2年1月25日 記
徒然草 (第185段)
吉田兼好
城陸奧守泰盛(じょうむつのかみやすもり)は、雙(そう)なき馬乘りなりけり。馬を引き出でさせけるに、足をそろへて閾(しきみ)をゆらりと超ゆるを見ては、「これは勇める馬なり」とて、鞍を置きかへさせけり。また足を伸べて閾に蹴あてぬれば、「これは鈍くして過ちあるべし」とて乘らざりけり。
道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。
【口語訳】
安達泰盛(あだちやすもり)は並びなき乗馬の名手だった。馬が引き出されるとき前足をそろえて敷居を飛び越えるのを見ると、「これは気の荒い馬だ」 といって別の馬に鞍を置かせた。また、馬が敷居にけつまずくのを見ると「この馬は鈍感であぶない」と言ってその馬には乗らなかった。
道を究めていない人は、これほど用心することはないだろう。
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※ 名人は、細部にまで気を配る。凡人には、これが出来るようで出来ない。名人への路には、多くの艱難辛苦があったことだろう。
令和2年1月22日 記
徒然草 (第236段)
吉田兼好
丹波に出雲といふ所あり。大社(おほやしろ)を遷(うつ)して、めでたく造れり。志太(しだ)の某(なにがし)とかやしる所なれば、秋の頃、聖海上人、その外も人數多(あまた)誘ひて、「いざ給へ、出雲
拜みに。かいもちひ召させん」とて、具(ぐ)しもていきたるに、おのおの拜みて、ゆゝしく信(しん)起したり。
御前なる獅子・狛犬、そむきて後ざまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやういと珍し。深き故あらむ」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝の事は御覽じとがめずや。無下なり」といへば、おのおの
あやしみて、「まことに他に異なりけり。都のつとにかたらん」などいふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めてならひあることにはべらむ。ちと承らばや」といはれければ、「そのことに候。さがなき童どもの仕(つかま)りける、奇怪に候ことなり」とて、さし寄りてすゑ直して往(い)にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
【口語訳】
京都の丹波地方にも出雲というところがある。しだ某という者の領地で、島根の出雲大社の流れをひく立派な社が造営されている。ある年の秋、そのしだ某が「是非当地の出雲神社にお参りください。名物のおはぎでもご馳走いたしましょう」と聖海上人など大勢の人を招待して、連れだって出かけた。そして、おのおの拝殿でお祈りをして、大いに信仰心を深めた。
そのうち聖海上人が、本殿の前の獅子と狛犬が反対に向いて背中合わせになっているのを見てしきりに感心しはじめた。「おお、これは見事なものだ。こ
の獅子の立ち方はとてもすばらしい。きっと深い意味がこめられているのにちがいない」と言い、ついには涙ぐみながら「皆さん方にはこの素晴らしさがお分りにならんのですか。ああ情けない」と言いだした。すると他の者たちもみな不思議がって「そう言えば本当に変っていますな」とか、「これは都に帰ったら、いい土産話になりますな」とか言いだした。しかし、それでも物足りない上人は、いかにもこの神社のことに詳しそうな高位の神官を呼びだして、「ちょっとお伺いしたいのですが。このお社のお獅子の立ち方にはきっと何か謂われがあるのでございましょうな」と言うと、「それなんですよ。あれはいたずら坊主の仕業でして、まったくけしからん子どもたちです」と言いながら駆け寄って元の向きに戻して、そのまま行ってしまった。こうして上人の感動の涙は無駄になってしまったということである。
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※ 笑い話である。しかし、人の話には十分気を付けたいものである。よく「眉唾物」というが、その意味は、「騙(だま)されないように用心しなければならないこと」である。眉に唾を付けると狐などに化かされないという俗信からきている。オレオレ詐欺、ネットでの販売や投資の勧誘、訪問販売など、相手を騙そうとする巧妙な犯罪は枚挙に暇がない。自分は騙されないと思っている人が、最も騙され易いそうである。しっかり眉に唾を付けなくてはならない。
ところで、本文で「御前なる獅子・狛犬」とあるが、本来神社には、左が獅子で口を開いたもの、右が狛犬で口を閉じているものを置くのが普通である。今は、二体とも狛犬になっているかもしれない。
令和2年1月20日 記
徒然草 (第52段)
吉田兼好
仁和寺に、ある法師、年よるまで石清水(いわしみず)を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人徒歩(かち)より詣でけり。極樂寺・高良(こおら)などを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍(かたへ)の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊(たふと)くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。
すこしの事にも先達(せんだち)はあらまほしきことなり。
【口語訳】
仁和寺のある僧侶は年を取るまで一度も石清水八幡宮に参詣したことがなかった。このことを情けないと思ったので、ある日思い立って、たった一人で歩いて お参りに行った。ところが、この僧は極楽寺と高良神社などに参拝しただけで満足して帰ってきてしまった。
そして、仲間の僧侶に向かってこう言ったという。
「年来の思いをとうとう果たしました。聞きしにまさる尊いお社でした。それにしても、お参りに行った人が誰も彼も山へ登っていったのはどうしてでしょ う。わたしも気にはなりましたが、自分は神社にお参りするために来たのだと思って、山には行きませんでした」
ちょっとしたことでも指導者のいるのが望ましいということである。
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※石清水八幡宮を一人で参詣したが、麓の摂社・末寺だけを拝んで、それが石清水八幡宮だと思って帰ってきてしまったという失敗談である。思い込みは誰にでもある。だからこそ、「すこしの事にも先達はあらまほしきことなり」の言葉が重く響く。
令和2年1月17日 記
徒然草 (第109段)
吉田兼好
高名の木のぼりといひし男(おのこ)、人を掟てて、高き木にのぼせて梢を切らせしに、いと危く見えしほどはいふこともなくて、降るゝ時に、軒長(のきたけ)ばかりになりて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍(はべ)りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候。目くるめき、枝危きほどは、おのれが恐れ侍れば申さず。あやまちは、安き所になりて、必ず仕ることに候」といふ。あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、かたき所を蹴出して後、やすくおもへば、必ず落つと侍るやらむ。
【口語訳】
木登りの名人が、高い木に人を登らせて剪定作業をさせていた。非常に危険なところにいる間は何も言わないで、木から降りてくるとき、しかも、軒先の高さまで来たときになって、「気を付けて降りろ。怪我をするなよ」と声をかけたのである。わたしは「どうしてそんなことを言うのか。こんなに低いところなら、飛び降りても大丈夫だろうに」と申し上げたところ、「はい、そのことでございます。目がまわるほど高いところや、枝が危険なところでは、自分で自分のことを心配しますから、わたしは何も言いません。怪我をよくするのは、簡単なところに来たときなのです」と答えた。卑賤な身分の男だが、言うことは聖人の教えと何ら変わらない。蹴鞠(けまり)も、難しい球をうまく蹴り上げたあとで、簡単だと思うような球をよく蹴り損なうと言われている。
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※何事も仕上げが大切である。「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠く」にならないようにしたい。危険は、ちょっとした油断の中にある。最後まで気を抜かないことが肝要だ。中学校の教科書によく取り上げられているのも理解できる。
「九仞の功を一簣に欠く」
事が今にも成就するというときに、手を抜いたために物事が完成しな
い、または、失敗すること。 「仞」は古代中国の高さや深さの単位で、
「九仞」は非常に高いという意。 「簣」は土を運ぶかご、もっこ。
令和2年1月14日 記
徒然草 (第18段)
吉田兼好
人は己をつゞまやかにし、奢(おご)りを退けて、財(たから)を有たず、世を貪(むさぼ)らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。
唐土(もろこし)に許由(きょゆう)といひつる人は、更に身に隨へる貯へもなくて、水をも手して捧げて飮みけるを見て、なりひさごといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりければ、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また手に掬(むす)びてぞ水も飮みける。いかばかり心の中(うち)涼しかりけん。孫晨(そんしん)は冬の月に衾(ふすま)なくて、藁一束(わらひとつかね)ありけるを、夕にはこれに臥し、朝にはをさめけり。
唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記しとゞめて世にも傳へけめ、これらの人は、語りも傳ふべからず。
【口語訳】
人は自分を質素にして、奢りたかぶりを退け、財を持たずに、世俗の欲望を貪らないようにすることが、素晴らしいことだ。昔から、賢人が富むのは稀なことである。
唐土(中国)の許由という人物は資財もなくて、水を手に捧げて飲んでいるのを人が見て、「なりひさこ(瓢箪)」という物を与えた。ある時、木の枝に瓢箪を掛けていたら、風に吹かれてそれが鳴るので、音がうるさいと捨ててしまった。また、手ですくって水を飲むようになった。どんなに心か、が澄みきったことだったろう。孫晨は、冬の月に衾(布団)がなくて、藁一束だけがそこにあった。夜はこの藁に寝て、朝はその藁を片付けた。 中国の人は、こういった質素倹約な生活を素晴らしいと思えばこそ、これを書き残して世に伝えたのだ。しかし、日本の人は、この事績を語りもしなければ伝えもしない。
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※ 「足を知る」ことは、心を軽やかにすることである。何物にも縛られず生きることは、心ある人の生き方である。松尾芭蕉の句に「菰(こも)をきてたれ人ゐます花の春」がある。何物にも囚(とら)われず、俳句の芸術性を高め、風雅に生きようとする覚悟が表れている句である。私も常にそうありたいと考えるが、煩悩ばかりが頭をもたげこれが出来ない。凡人たる所以である。
令和2年1月9日 記
徒然草 (第143段)
吉田兼好
人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、ただ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく、異なる相を語りつけ、言ひし言葉も振舞も、己れが好む方に誉めなすこそ、その人の日来の本意にもあらずやと覚ゆれ。この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士も測るべからず。己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。
[口語訳]
人の臨終の時の素晴らしかった様子などを人から聞くと、ただ静かに安らかに亡くなったとでも言ってくれれば趣き深く感じるのに、愚かな人は、不思議な様子を加えて異なるように大袈裟に語ってしまう。故人の語った言葉も振舞いも、自分が好きな方向に作為を加えて褒めちぎるのだが、その故人の普段の様子からすると、そういった(事実とは異なる)大袈裟な作為は本意ではないのではないかと思ったりもする。人間の死という重大事は、神仏の権化であっても定めることなどできない。博学の有識者であっても、人の寿命は予測できないものだ。死にゆく人が、自分の普段の本意と異なることなく亡くなっていくのであれば、他人の見聞によってその故人の評価をすべきではないのだ。
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※中世人にとって臨終正念の問題は重大であった。吉田兼好は、それについて率直に合理的な考え方を述べている。人の死は、個々人それぞれであって他人がとやかく言うべきものではない。
令和2年1月8日 記
徒然草 (第51段)
吉田兼好
亀山殿の御池(みいけ)に大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。多くの銭(あし)を給ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、大方(おほかた)廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、いたずらに立てりけり。さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結(ゆ)ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るる事めでたかりけり。
万(よろず)に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。
[口語訳]
後嵯峨上皇が、亀山殿(仙洞院)の庭の池に引く水を、大井川から引こうとして、大井の百姓に命じて水車を作らせた。百姓たちに労賃となる銭(おあし)を沢山与えて、数日で水車の本体を作り上げさせたが、大井川に水車を設置してみたところ、まったく回らない。何とか直そうとしてみたが、結局水車は回ることがなく、無意味にそこに立てかけられたままであった。そこで、宇治の里人たちを召しだして、水車をこしらえさせてみると、簡単に水車を組みあげて設置したのだが、思いのままに水車は良く回った。水は亀山殿の庭の池にスムーズに流れるようになり、その水車作りの技術は素晴らしかった。
何につけても、その道をよく知っている者は、素晴らしいものである。
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※一見何事もないようなことでも、その道に精進し精通した人にはかなわない。どんなことでも突き詰めてみると、奥が深いものである。
令和元年12月27日 記
徒然草 (第112段)
吉田兼好
人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙(もだ)し難きに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇(いとま)もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。日暮れ、塗(みち)遠し。吾が生既に蹉陀(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。信をも守らじ、礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀る(そし)とも苦しまじ。誉むとも聞き入じれ。
【口語訳】
人間の儀式で、どれかやめにくいようなものがあるだろうか。世間の慣習を黙って無視してばかりもいられないということでこれに従っていると、願い事が多くなり、身体の調子も悪くなり、心も落ち着かなくなる。一生は、雑事の小片に邪魔されて、空しく暮れてしまう。日は暮れて、道は遠い。わが人生も、既に斜陽を迎えている。世俗の諸縁を放棄すべき時なのだ。 信義を守ることもなく、礼儀にもこだわらない。この心が分からない人は、狂ったと言ってもいいし、馬鹿だとでも、人間の情愛がないとでも思えばいい。謗(そし)られても苦しまないし、誉められても聞き入れない。
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※人間の一生は、雑事に追われてしまう。所縁を放擲(ほうてき)して生きられれば、それにこしたことはない。ただし、凡人ではここまで達観できないだろう。
令和元年12月25日 記
徒然草 (第242段)
吉田兼好
とこしなへに違順(いじゅん)に使はるる事は、ひとへに苦楽のためなり。楽と言ふは、好み愛する事なり。これを求むること、止む時なし。楽欲(がくよく)する所、一つには名なり。名に二種あり。行跡(ぎょうせき)と才芸との誉なり。二つには色欲、三つには味ひ(あじわい)なり。万(よろず)の願ひ、この三つには如(し)かず。これ、顛倒(てんどう)の想より起りて、若干の煩ひあり。求めざらんには如かじ。
【口語訳】
人が永遠に環境に心動かされることは、ただ一途に楽を求めて苦を逃れようとするためである。『楽』というのは、あるものを好んで愛することである。これを求めれば、終わりがない。楽しんで欲望することの、一つは『名誉』である。名誉には二種類ある。自分がやってきた実績(あるいは公的な身分・立場)と自分の持っている才能・技芸の二つの名誉である。楽しんで欲望することの二つ目は『色欲』である。三つ目は『美味しいもの』を食べたいという味覚の欲である。すべての願いは、この基本的な三つの欲望には及ばない。これらは真実とは正反対のことを信じる顛倒の思念によって起こるもので、多くの心の苦悩を伴うものだ。多くを求めないことに越したことはない。
顛倒の想・・・無常なのを常住と考え、色々な苦しみを楽しみと思うこと。
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※何事にもとらわれなければ、心は自由である。そんな生き方をしたいものである。
令和元年12月24日 記
徒然草 (第49段)
吉田兼好
老(おい)来りて、始めて道を行(ぎょう)ぜんと待つことなかれ。古き墳(つか)、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ち(たちまち)にこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速かにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。
【口語訳】
年をとってから初めて道の修行をしようとするな。古きお墓は,ほとんどが若くして亡くなった人のものである。はからずも病を受け,たちまちにこの世を去ろうとする時,初めて自分の来し方が間違っていたと気づくものである。誤りというのは他でもない。優先して速やかにすべき事を後回しにして、後でもできる事を急いでやったということであり、こういった過去の過ちを悔しく感じるのである。しかし、死が差し迫った時に後悔しても、どうしようもない。
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※一日があっという間に過ぎ去っていく。退職して7年目、身をもって感じている。平安時代の『古今和歌集』に下記の短歌がある。
「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる よみ人知らず」
飛鳥川は、無常を表す象徴である。この世にある何一つとして、止まっているものはない。終活も徐々に考えていかなければならない。
令和元年12月23日 記
徒然草 (第88段)
吉田兼好
或者、小野道風(おののとうふう)の書ける和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)とて持ちたりけるを、ある人「御相伝(ごそうでん)、浮ける事には侍らじなれども四条大納言撰ばれたるものを、道風書かん事、時代や違ひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。
【口語訳】
ある者が、三筆の一人である小野道風が書いた『和漢朗詠集』だとして持っていた書物がある。これを見たある人が、「先祖代々受け継がれる御相伝の書物を疑うわけではないのですが、小野道風が死んだ後に生まれた四条大納言の撰書である『和漢朗詠集』を、道風が書くなどということが可能でしょうか。時代も違い、あり得ないことです」と言った。すると、持ち主は「あり得ないものだからこそ、世にもありがたい価値あるものなのでございます」と答え、ますますその偽作と思しき『和漢朗詠集』を大事そうに秘蔵してしまった。
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※世の中には、不思議というか奇々怪々な物が多い。そのような物を秘蔵している人も多いことだろう。私もよく骨董市に行くが、楽しみ程度にして儲けようなどとは考えないことにしている。欲をかくと大きな痛手を被ることになる。
令和元年12月19日 記
徒然草 (第106段)
吉田兼好
高野の証空上人(しょうくうしょうにん)、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曵(ひ)きける男、あしく曵きて、聖の馬を堀へ落してげり。聖、いと腹悪しくとがめて、「こは希有(けう)の狼藉(ろうぜき)かな。四部の弟子はよな、比丘(びく)よりは比丘尼(びくに)は劣り、比丘尼より優婆塞(うばそく)は劣り、優婆塞より優婆夷(うばい)は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有の悪行なり」と言はれければ、口曵きの男、「いかに仰せらるるやらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほいきまきて、「何と言ふぞ、非修非学の男」とあららかに言ひて、極まりなき放言しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。尊かりけるいさかひなるべし。
【口語訳】
高野山の証空上人、京へ上る途中の細道で、女を乗せた馬と行き違ったが、女の馬の口取りの男の引き方が悪くて、上人の乗っていた馬を堀へ落としてしまった。馬を落とされた上人は、激しく怒って口取りの男をとがめた。「これはあってはならない無礼な狼藉だぞ。四部の弟子というのは、比丘(出家した男性信者)よりは比丘尼(出家した女性信者)は劣り、比丘尼より優婆塞(在家の男性信者)は劣り、優婆塞より優婆夷(在家の女性信者)は劣る。そのように低い身分の優婆夷であるのに、高い身分の比丘の馬を堀へ蹴入れさせるとはいまだかつてない悪しき行いである」と。(仏教の信仰について詳しくない)口取りの男は「なにを仰られているのか、良くわかりませんが」と答えたが、上人は更に怒って捲(まく)し立てた。「何を言うか、仏道を修める気もなく、学問もしていない無教養な男めが!」と。ここまで荒々しく罵った後に、ふと上人はこの上ない粗暴な暴言を言ってしまった(高僧という自分の立場も忘れて心無いことを言ってしまった)という気まずい顔をした。そしてそのまま、馬に乗ると逃げてしまった。
有り難い尊い争いとうべきである。
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※人はどのような立場になったとしても、相手を尊重しなければならない。時として、立場が人を傲慢にしてしまうことがある。天地自然の中で生かされていることを忘れず、常に謙虚でありたいものだ。
令和元年12月18日 記
徒然草 (第189段)
吉田兼好
今日はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先(ま)づ出で来て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は違ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、易(やす)かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎ行くさま、予(かね)て思ひつるには似ず。一年の中もかくの如し。一生の間もしかなり。予てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違(たが)はぬ事もあれば、いよいよ、物は定め難し。不定と心得ぬるのみ、実(まこと)にて違はず。
【口語訳】
今日はあの事をやろうと考えていたら、思わぬ急用が出来てしまいそれに紛れて時間を過ごし、待っていた人は用事で来られなくなり、期待していない人が来たりもする。期待していた方面は駄目になり、思いがけない方面の事柄だけが思い通りになってしまったりもする。 面倒だと思ってきたことは何でもなくて、簡単に終わるはずだった事には苦労する。一年というのはこんなものだ。一生という時間もこんな風に過ぎていくだろう。かねてからの予定は、全て計画と食い違ってしまうかと思えば、たまには予定通りに行く事もあるから、いよいよ物事というのは定めにくいものだ。予定なんて不定(未定)と考えていれば、実際の現実と大きく異なることはない。
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※まさに人生は不定だ。そのことを心に刻まないと、あっという間に人生が終わってしまう。「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(詠み人知らず)『古今和歌集』という歌もある。
令和元年12月17日 記
徒然草 (第30段)
吉田兼好
人の亡き跡ばかり悲しきはなし。中陰(ちゅういん)の程、山里などに移ろひて、便りあしく狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営みあへる、心あわたゞし。日数(ひかず)の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日は、いと情なう、互にいふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりち゛りに行きあかれぬ。もとの住家にかへりてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。「しかじかの事は、あなかしこ、跡のため忌むなる事ぞ」などいへるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。
年月経ても、露忘るゝにはあらねど、去るものは日々に疎しといへる事なれば、さはいへど、その際(きは)ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。骸(から)は、けうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、程なく卒都婆も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。
思ひ出でて忍ぶ人あらむほどこそあらめ、そも又ほどなくうせて、聞き傳ふるばかりの末々は、哀れとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も、千年を待たで薪にくだかれ、ふるき墳(つか)はすかれて田となりぬ。その形(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。
【口語訳】
人が、亡くなった後ほど痛ましいものはない。四十九日の間、郊外の寺などにこもり、不便で窮屈な所に大勢が、鮨詰め状態で追善の仏事を営んでいるのは、誠に心落ち着かないものである。その時間の過ぎていく速さは、喩えるものもない。最終日には、なんの情味もなく互いに挨拶もせず、各自勝手に荷造りを済ませ、蜘蛛の子を散らすように帰っていく。帰宅してからが、本当の悲しみに暮れることも多い。それでも、「ああ縁起でもないよ。これこれのことは、後に残ったものにとって忌むことになっているのだ」などと言うのを聞くと、これほどの最中に、なんだって(そんな縁起をかつぐ必要があるものか)と人間の心の中は、やはり嫌なものだと思われる。
何年経っても、亡くなった人のことを少しも忘るわけではないのだが、「去る者は日々に疎遠になる」と言いように、死んだ当座ほど感じないのであろうか、つまらない冗談を言って、つい笑ってしまう。亡骸は、人気のない山奥に葬られ、忌日や墓参りなど決まった日だけに訪れるてみると、まもなく墓石にも苔がはえ、木の葉が厚く散り積もって、夕方の嵐や夜の月だけが訪れる縁者なのだ。
故人を思い出して偲ぶ人が生きているうちは、しみじみと感慨を抱く人もあろうが、そういう人もまた死んで、ただその人のことを聞き伝えてるだけの子孫は、感慨をもようすであろうか、もよおしはしない。そうなると、墓参りをし弔いをすることも絶えてしまうので、誰の墓かも分からなくなる。毎年生え替わる春の草だけを、風流を解する人は感慨深く見るであろうが、ついには、嵐に咽(むせ)びなくような音をたてていた松も、千年の年月を待たないで、薪に切り砕かれ、古い墓は鋤(すき)かえされて田となってしまう。そうして、その墓の跡形さえなくなってしまうのは、痛ましいことである。
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※昨年の「NHKクローズアップ現代+」で、引き取り手のないお骨を特集していた。様々な要因により、捨てられたお骨や引き取り手のないお骨が、各自治体に寄せられているという。それらの運命は当然のように処分である。墓もない弔う人もいない、その現実の苛酷さに嘆息せざるをえなかった。
永久の時の流れの中に、地上に現れ泡沫(ほうまつ)のように消えていく個々の命。それを兼好法師は、冷徹な目で見詰め、客観的に述べている。人間の死の悲しさ、それ以上に忘れ去られていく痛ましさ、年月はさらに拍車を掛けていく。やがて墓石は苔むし、塚も耕されて田畑になっていく、まさに人生無常、生々流転の真の姿である。
令和元年12月13日 記
徒然草 (第38段)
吉田兼好
名利に使はれて、靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
財(たから)多ければ身を守るにまどし。害を買ひ、煩ひを招く媒(なかだち)なり。身の後には金(こがね)をして北斗を支ふとも、人の爲にぞ煩はるべき。愚かなる人の目を喜ばしむる樂しび、又あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人はうたて愚かなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵になぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。
埋もれぬ名をながき世に残さむこそ、あらまほしかるべけれ。位高く、やんごとなきをしも、勝れたる人とやはいふべき。愚かに拙き人も、家に生れ時にあへば、高き位にのぼり、驕りを極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから卑しき位にをり、時に遇はずして止(や)みぬる、また多し。偏(ひとえ)に高き官・位(つかさ・くらゐ)を望むも、次に愚かなり。
智惠と心とこそ、世に勝れたる譽(ほまれ)も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは人の聞きを喜ぶなり。誉るむる人、譏(そし)る人、共に世に留まらず、伝へ聞かん人またまた速かに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られんことを願はん。誉はまた毀(そしり)の本(もと)なり。身の後の名、残りて更に益なし。これを願ふも次に愚かなり。
たゞし、強ひて智をもとめ、賢をねがふ人の為に言はば、智惠出でては偽(いつはり)あり。才能は煩惱の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可・不可は一條なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へむ。これ、徳をかくし、愚を守るにあらず。もとより賢愚・得失のさかひに居らざればなり。
迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事はみな非なり。いふに足らず、願ふに足らず。
【口語訳】
名利にもて遊ばれて、心静かにする暇もなく一生を苦しめられるのは、まことに愚かなことである。
財産が多いと我が身を守るのに手抜かりが起きる。恨みをかい禍を招く媒介物となる。北斗星を支えるほどの財産も、自分の死後には、子孫にとって人生の苦労を残すものとなるだろう。衆愚の目を驚かせる物も、無益なである。大きな車、肥えた馬、黄金や珠玉の装飾品も、ものの道理が分かった人ならば、馬鹿げたことだと思うに違いない。だから黄金は山に捨て、珠玉は淵に投げ捨ててしまうのがよい。利に奔走することは、最も愚かな人である。
永遠に消えない名誉・名声を後世にまで残したいというのは、誰もがそう願うことであろう。しかし、高位高官を得た高貴な人たちが、本当に優れた人たちだと言えるだろうか。愚かで思慮が足りない人でも、それなりの名門・名家の家柄に生まれて、時流に乗ることができれば、高位高官に上り詰めて贅沢な生活ができる。反対に、並外れた才覚・人柄をもつ賢人や聖人が、卑賤な官位に留まって、時流に乗ることができずに、そのままこの世を去ってしまうことも多い。故に、高位高官に上って名声を残そうとするのは、財力を求めることの次に愚かなことである。
世間一般の人よりも優れた知恵と精神をもっていれば、知性において名誉を残したいと思うものだが、よくよく考えてみれば、知性・賢さに関する名誉を欲するということは、世間の評判を求めているだけのことである。自分を褒める人もけなす人も、共にいつかはこの世からいなくなってしまう。自分の賢さについての評判を伝え聞いていた人も、また遠からずこの世を去ってしまい、自分の名誉も消え去ってしまう。(そういった諸行無常の世において)自分の名誉を、誰に対して恥ずかしく思い、誰に認められたいと願うのだろうか。名誉は誹謗(ひぼう)の原因でもある。死んだ後に、名誉名声が残っても何にもならない。知恵・賢さの名誉を求めようとするのは、高位高官を求めることの次に愚かなことである。
しかし、本気で知恵を求め、賢明さの獲得を願っている人に敢えて言うならば。知恵があるからこそ偽りが生まれるのである。才能とは、煩悩の増長したものに過ぎない。人から伝え聞いて、書物で読み知ったような知識は、真の知識ではないのだ。では、どういったものが、本当の知識と言えるのだろうか。世の中でいう可、不可とは、明確な区別があるものではなく一条の流れである。真の知性を体得した賢人には、智もなく、徳もなく、功もなく、名もない。こんな脱俗の境地を誰が知っていて、誰が伝えることができるだろうか。これは、徳性を隠して、愚を装うだけの境地ではない。初めから、真の賢者は、賢と愚・得と失を区別して満足するような相対的な境地にはいないからである。
迷いの心をもって、名誉や金銭を欲すると、全てが愚かな結末を迎えてしまう。名誉・金銭に関わる世俗の万事は、すべて否定されるべきことだ。(あなたが様々な不満・迷いを抱えているにしても)語るに足らず、願うに足りないということである。
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※人間の愚かな行為を三段階に分けている。第一利欲のために心を惑わすこと、第二に高位高官を願い名を残すこと、第三に智恵を願うことと言う。確かに、この三つから解放されれば、生き方は穏やかになるであろう。
物欲に目がくらんで、悲惨な目にあう人のなんと多いことか。生活できる最低の物だけあればよいと考えることは、心の安定に繋がる。徳川光圀も、「聲色飲食(せいしょくいんし)其の美を好まず弟宅器物(ていたくきぶつ)其の奇を要せず、有れば則ち有るに随つて樂胥(らくしょ)し、無ければ則ち無きに任せて晏如(あんじょ)たり。」と述べている。まさに人生の見識である。また、『文選』に、「女は織紐(しょくちゅう)を修め、男は耕耘(こうてん)を務む、器は陶瓠(とうこ)を用ひ、服は素玄(そげん)尚とし、繊美を恥じて服せず、綺麗を賤(いや)して珍しとせず、金は山に捐(す)て、珠は淵に沈む」とある。質素を旨としろということである。
名を残そうとすると、世間の評判や周りの噂が気になる。それに惑わされることもくだらないことである。智恵もまたしかり。「もとより賢愚・得失のさかひに居らざればなり」この境地で人生を送りたいものである。
令和元年12月12日 記
徒然草 (第117段)
吉田兼好
友とするに悪きもの、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵(つはもの)。六つには、虚言(そらごと)する人。七つには、欲深き人。
よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師(くすし)。三つには、智恵ある友。
【口語訳】
友とするのに、適切でないものが七つある。第一に高貴な人。第二に若い人。第三に無病で頑健な人。第四に酒好きの人。第五に勇猛な武士。第六に嘘をつく人。第七に欲の深い人。
友とするによいものに、三つある。第一に物をくれる友。第二に医者。第三に知恵のある友。
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※なるほどと感じ入る段である。友とするに不適切だとして挙げているのは、いずれも相手の心情を配慮し得ない人間の類型である。
『論語』には、「益する者三友、損する者三友。直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは益なり。便辟(べんぺき)を友とし、善柔を友とし、便侫(べんねい)を友とするは、損なり。」とある。
便辟・・・人の嫌がることをさけて媚びること。
善柔・・・外貌ばかり柔和で、内に誠意のないこと。
便侫・・・口先が巧みで人の気に入るように行動し心が曲がって
いること。
ここより、「益者三友、損者三友」という言葉が生まれた。
ところで、「桜を見る会」の弁明は一体何なのだろう。幼子でさえ、あのような稚拙な嘘は言わないであろう。官僚は国民に奉仕するものであり、総理大臣の私物ではない。「便辟、善柔、便侫」そのものだ。
令和元年12月11日 記
徒然草 (第7段)
吉田兼好
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
【口語訳】
あだし野の墓地の露が消える瞬間がないように命は儚く、鳥部山の火葬場の煙が去り消えないで(いるように、我々の命がいつまでも地上に)住みおおせるとしたならば、どんなにか、ものの情趣というものがないことであろう。人生は不定なのが素晴らしいのである。
この世に生きるものを観察すると、人間ほど長命のものはない。かげろうは日が暮れるのを待って死に、夏を生きる蝉は春や秋を知らずに死んでしまう。そう考えると、しんみりと落ち着いて一年を暮らす間ですら、格段に長くのどか(な人生に感じられること)である。惜しい惜しいといると、たとえ千年を過ごしてみても、(その人にとっては短い)一夜の夢のように感じるであろう。
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※ 「誰とても とまるべきかは あだし野の 草の葉ごとに すがる白露」という西行の歌にもあるように「化野の露」は、人生の無常の象徴として短歌などで広く使われてきた。また、鳥部山(東山山腹の清水寺以南、泉湧寺以北の地)も火葬場のあった地で、世の無常を言う時に用いられてきた。「鳥部山 こよひも煙 立つめりと いひてながめし 人もいずらは」と俊恵法師も詠んでいる。
この段は「世は定めなきこそいみじけれ」とい一文が印象的であり、吉田兼好が無常観のもたらす美的人生観を述べた段である。 我々は限りある命を生きている。それは、生きとし生けるものの宿命であり、肝に銘じなくてはならない。常に死を意識して人生を送ることの大切さは数々の知識人の主張するところであり、それは生を軽んずることではなく、悔いのない人生への賛歌でもある。
以前、NHKの「ブラタモリ」で清水寺近辺を紹介していた。鳥部山に広がる広大な墓地も映していた。古来より人を弔う地であった。「鳥部山の煙立ち去らでのみ」と本文にあるように、火葬になったのは鎌倉時代からである。それまでは亡くなった人を洛外に運び出し、下記にあるように鳥葬・風葬を行っていた。
化野 念仏寺(平成27年6月29日撮影)
【参考】
その墓地一体は平安時代は鳥辺野(とりべの)と呼ばれる、化野、蓮台野と並ぶ京都三大風葬地でした。当時庶民がお墓に埋葬されるという事はなく、死者は木に吊るしその肉を鳥に喰らわせる鳥葬・風葬を行っていました。「鳥」という字がついているのは鳥葬の地、「野」というの野原、場所を意味しました。 ホームページ『古都コトきょーと』より抜粋
令和元年12月9日 記
徒然草 (第32段)
吉田兼好
九月廿日(ながつきはつか)の比(ころ)、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見ありくこと侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうちかおりて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。
よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらしまかば、口をしからまし。あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。
【口語訳】
九月二十日の頃、ある人に誘われて夜明けまで月を見て歩きまわったことがありましたが、ある人がふと思い出した場所があるということで、供のものに案内させて、その家の中にお入りになった。荒れた庭の生い茂る植物には露がたくさん降りており、周囲にはわざとではない焚き物の香りがしんみりと漂っていて、人目に立たぬように暮らしている様子にたいそう心打つものがあった。
ほどよいな時間に、ある人はおいとまされたのだが、その情景がいかにも優雅に感じられて、物陰からしばらく見ていたところ、その女性は妻戸を少しだけ開いて、月を見ている様子だった。(ある人を送った後)すぐに引きこもって戸締まりをしてしまっていたら、残念な気持ちになっただろう。(その家の女性は)まさか客人が帰った後にも自分を見ているなどとは思いもかけなかっただろう。このような(自然に出た優雅な振る舞いは)平素の心がけによるものであろう。その女性は、間もなく亡くなられたと聞いている。
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※ 「かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。」、この一文が強く心に残る。何をするにも普段からの心掛けが大切である。これはどのような話をする時にも活用できる。
令和元年12月6日 記
徒然草 (第189段)
吉田兼好
今日はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は違(たが)ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、易かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎ行くさま、予(かね)て思ひつるには似ず。一年の中もかくの如し。一生の間もしかなり。予てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあれば、いよいよ、物は定め難し。不定と心得ぬるのみ、実(まこと)にて違はず。
【口語訳】
今日はあのことをやろうと考えていたら、思わぬ急用が出来てしまいそれに紛れて時間を過ごし、待っていた人は用事で来られなくなり、期待していない人が来たりもする。期待していた方面は駄目になり、思いがけない方面の事柄だけが思いどおりになってしまったりもする。 面倒だと思ってきたことは何事もなく、簡単に終わるはずだったことには苦労する。一年というのはこんなものだ。一生という時間もこんなふうに過ぎていくだろう。かねてからの予定は、全て計画と食い違ってしまうかと思えば、たまには予定どおりにいくこともあるから、いよいよ物事というのは定めにくいものだ。予定なんて不定(未定)と考えていれば、実際の現実と大きく異なることはない。
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※世の中はうまくいかないことが、定めなのかもしれない。時々うまくいくから頑張れるのだろう。「不定と心得ぬるのみ、実にて違はず」、こんな考え方で慰めるほかはない。
令和元年12月5日 記
徒然草 (第187段)
吉田兼好
万(よろず)の道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の非家(ひか)の人に並ぶ時、必ず勝る事は、弛(たゆ)みなく慎みて軽々しくせぬと、偏へ(ひと)に自由なるとの等しからぬなり。
芸能・所作のみにあらず、大方の振舞・心遣ひも、愚かにして慎めるは、得の本(もと)なり。巧みにして欲しきままなるは、失(しつ)の本なり。
[口語訳]
それぞれの道の専門家は、専門家の中では劣っていても、素人の中で上手な人と並んだ時には、必ず勝つようになっている。これは、専門家が気を緩めることなく、その技芸・知識を慎んで訓練して軽々しく扱わないことと、素人が自由気ままに練習して上達を目指すこととの違いである。
芸能や所作だけではなくて、普段の振舞いや心づかいにしても、自分の未熟さを認めて慎むのであれば、熟達・成功の原因となる。器用であっても好き勝手にやるのは、失敗・失策の原因である。
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※この段は、150段「能をつかんとする人」と酷似している。物事の本質を外れることなく、謙虚に愚直に精進することこそ、その道を極める道筋である。耳が痛い。
令和元年12月4日 記
徒然草 (第155段)
吉田兼好
春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとる序(ついで)甚だ速し。生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。
四季は、なほ、定まれる序あり。死期(しご)は序を待たず。死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟(ひがた)遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
【口語訳】
春が暮れてそのあと夏になり、夏が終わって秋が来るのではない。春は春のまま夏の気配を兆しており、夏のうちから早くも秋の気配が兆し、秋はすぐに寒くなり、寒いはずの十月は、小春日和の暖かさであって、草も青くなり、梅も蕾をもつのだ。木の葉が落ちるのも、まず木の葉が落ちて、それから芽が生じるのではない。木の内部から芽が兆し、その勢いの進むのに堪え切れないで、木の葉が落ちるのである。新しい変化を迎える気配が下に待ち受けているので、交替する順序が非常に速いのである。このように人間の生・老・病・死がやってくることも、また、四季の変化以上に速やかである。
四季は速いとはいっても、やはり決まった順序がある。 しかし、人の死は、順序を待たない。死は必ず前方からやってくるものとは限らず、いつの間にか、人の背後に迫っている。人は誰しも皆、死があることを知っているものの、しかも死が急にやってくると思って待っていないうちに、死は不意にやってくる。それはちょうど、沖までの干潟が遥か彼方まで続いているので安心していても、足もとの磯から急に潮が満ちて来るようなものである。
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※五木寛之は、『想う』の中で「ところが今、私たちの生活というのは、死というものを目前にすることが非常に少なくなっています。よく言われることですが、昔は、ふつう、人は家で亡くなるわけですから、臨終のときには家族はもとより、周りも親族一同も集まってきて、苦しんだり平静に死んだり、そういうふうにしてこの世から旅立つ肉親を、悲しみながら見守っていました。そして湯灌ということを行ったりしました。
僕も子供心に覚えていますけれども、母が亡くなったときも、お湯をたらいに入れ、やせて三分の一ぐらいになった体をタオルでみんながふいてあげたのです。そのように死の儀式を家族の手で行うことにより、死んでゆく、滅びてゆく肉体というものを手で触るように、子供心ながらに感じられたものです。僕の母は四十四歳で亡くなりました。僕が十三、四のころですけれども、ほんとうに死というものが目に見えて感じられたものです。
(中略)
人間は泣きながら生まれてきて、重い重い宿命を背負いながら、それをはね返し、はね返し、生きている。これ以上、その人間に何を要求することがあるだろうか。失敗した人生もあるであろう。平凡な人生もあるであろう。成功した人生もあるであろう。しかし、どの人間もみんなそのように与えられた生命というものを必死で戦って生きてきた一人の人間なのです。
そう考えてみますと、生きていくということはすごいことだな、どんな生き方をしたかということはせっかちに問うべきではないな、という気持ちにさえなります。生存していること、この世の中に存在していること、このことで人間は尊敬されなければならないし、すべての人は自分を肯定できるのではないか。人は己の人生をそのまま肯定しなければならない。もしも余力があれば、世のため、人のためにも働けるにちがいない。今はただ、生きて、こうして暮らしていることだけでも、自分を認めてやろうではないか、と。そこから、ほんとうに希望のある前向きな人生観が生まれてくるのではないでしょうか。そんなふうに今、僕は人生というものを受け止めているところです。」と述べている。
末期癌になった弟が為す術もなく転院(水戸市から那珂市へ)を余儀なくされ、一昨年11月9日に亡くなった。病状が悪化し手術をとの話(1週間もしないうちに亡くなった)もあったが、それは医者としての立場上の見解であり、どうみてもできる状態ではなかった。一切の治療を拒否し、静かに最期の時を迎えさせるのも一見識だと思っている。欧米では寝たきりの高齢者はほとんどいないとのこと。それは口から食べ物を摂れなくなったら終わりだとする考え方があるからだ。
胃瘻(いろう)などをして生かしておくのが、本当の治療なのか。人間としての尊厳まで奪い生かしておくのは傲慢だ、と考えるのは私一人だけであろうか。そのような考え方から、転院後は一切の治療をしないように署名した。弟は哀れな人生を送ったと感じたが、それは不遜な考え方ではないのかと五木寛之の『想う』を読むと考えさせられる。
はらからの命果てたり冬の月 山崎淳一
『欧米に寝たきり老人はいない―自分で決める人生最後の医療』
(中央公論新社、内科医、宮本顕二・礼子夫妻著)より
スウェーデンが初めての海外視察だったのですが、食べなくなった高齢者に点滴も経管栄養もしないで、食べるだけ、飲めるだけで看取るということが衝撃的でしたね。脱水、低栄養になっても患者は苦しまない。かえって楽に死ねるとわかり、夫と私の常識はひっくり返ったのです。そして施設入所者は、住んでいるところで看取られるということも、日本の常識とは違うので驚きました。視察先の医師も、自分の父親が肺がんで亡くなった時に、「亡くなる数日前まで普通に話をしていて、食べるだけ、飲めるだけで穏やかに逝った」と言っていました。
「四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり」、常に死を意識することは、決して後ろ向きな考え方ではない。しっかりとその現実を受け止め、限りある命を最大限にいかす生命への賛歌である。
令和元年12月3日 記
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