沙石集

           沙石集

 南都に、歯取る唐人ありき。ある在家人の、慳貪にして利養を先とし、事にふれて商ひ心のみありて、徳もありけるが、「虫の食ひたる歯をとらせむ」とて、唐人がもとに行きぬ。歯一つ取るには、銭二文に定めたるを、「一文にて取りてたべ」といふ。少分の事なれば、ただも取るべけれども、心様の憎さに、「ふつと一文にては取らじ」といふ。やや久しく論ずる程に、おほかた取らざりければ、「さらば三文にて歯二つ取り給へ」とて、虫も食はぬに良き歯を取り添へて二つ取らせて、三文取らせつ。心には利分とこそ思ひけめども、疵なき歯を失ひぬる、大きなる損なり。これは申すに及ばず、大きに愚かなる事、をこがましきわざなり。

【口語訳】
 奈良に、虫歯を抜く唐人(中国人)がいた。ある在俗の人で、ケチで私利私欲を優先し、何かにつけて儲けたいという心ばかりがあって、財産もあった人が、虫歯を抜いてもらおうと思って、その唐人のもとに行った。虫歯を一本抜くのに銭二文、と決まっていたのに、「一文で抜いてくだされ」と言う。少額のことなので、ただで抜いてやってもよいくらいだが、その心根の憎らしさに「絶対に一文じゃ抜かない」と言う。やや長いこと言い争ううちに、唐人がまったく抜かなかったので、「じゃあ三文で二本抜いてくだされ」と言って、虫歯でもない良い歯とあわせて二本抜かせて、三文を支払った。その人の心の中では得をしたと思ったのだろうが、虫歯でもない歯を失ったのは大いなる損失である。これは申し上げるまでもなく、非常に愚かなこと、馬鹿げたことだ。
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※『沙石集』(しゃせきしゅう)は、鎌倉時代中期、仮名まじり文で書かれた仏教説話集。仏教説話集とは、万人を仏法で救う目的で書かれたもので、教訓的な事例や仏教の霊験あらたかな事例などを挙げている。

 ところで、教会に行くと、宗教画が掲示されていたり、ステンドグラスが飾られたりしてあるが、あれは識字率の低かった当時の民衆に、分かり易くキリスト教を布教するためのものだったと聞いた。してみると、仏教説話集の存在と同じことになる。ともに宗教を布教するための腐心したかたちと言えよう。
                 平成26年8月4日記